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忍と刀と戻らぬ簪  作者: 秋田友
弐の章-追想の明星-
17/20

弐の二

「まーたこんな遅くまで仕事?」

 封和が倒れて数日。学園祭直前の高等部はいつも以上に浮足立っており、生徒会は多忙を極めていた。特に封和の負担は他の生徒会役員たちよりも大きい。つい先日倒れたばかりだというのに、封和はそれを反省する気配もなく遅くまで学校に残って仕事をしていた。

「この時期は多忙だと何度言わせるつもりだ。用事がないなら話しかけるな。というか帰れ」

「それは無理。封和がまた倒れたら、誰が先生に言い訳するのさ」

「誰もそんなこと頼んでないだろ」

「はいはい、何でもいいからごはん食べに行こー。いつもコンビニ弁当じゃさすがに飽きるでしょ?」

「私は食べられるなら何だって構わない」

「オレは飽きたのー。いいから行こうよ。あんまり遅くまで残ってんのがバレたらマズいんでしょ? 残りの仕事なんて持って帰っちゃえばいいじゃん」

 弥勒の言葉に封和は手を止める。封和は文句を言いたそうな表情で弥勒を一瞥すると、手元の書類を簡単に纏めてクリアファイルに突っ込む。そのまま必要なものだけをカバンに入れると、封和は席を立った。

「行くぞ」

「そうこなくっちゃ」

 誰もいない廊下を封和と弥勒は並んで歩く。

「どうしてお前まで残っていたんだ」

 真っ暗な階段を下りながら、封和はぽつりと尋ねた。

「家の鍵、忘れたから」

「――そういうことにしておくよ」

 正門は既に閉められていた。しかし高い身体能力を持つふたりにとって、その程度の高さは簡単に越えられる。ふたりは学園の敷地を出ると、寝起きしているマンションとは逆方向の駅前に向かって歩き出す。学園付近の住宅街を歩く人は居らず、街頭だけが道行くふたりを見下ろしていた。

 住宅街を抜けて繁華街に差し掛かると、ふたりは人目を集めた。夜の街を制服姿で並んで歩く男女の姿はこの辺りでは珍しかった。加えてふたりとも整った顔立ちをしており、町行く人は皆、無意識に振り返ってしまう。しかし封和も弥勒もそれを別段気にする様子はない。

 駅前は夜になっても騒がしかった。とりあえず流されているだけの音楽や、必死で客引きをするどこかの店員の呼び声、酔って大声で話すサラリーマンや携帯電話で見えない相手と談笑する女性たち――日本で暮らすうちに慣れたとはいえ、この夜の喧騒を封和は好きになれなかった。

(耳障りだ、昼間の方が、よほど静かだろう)

 といっても、真面目な優等生を営む封和は平日の昼間に駅前を訪れたことはない。

「どの店に入るつもりだ?」

 苛立ちを抑えて封和は尋ねる。

「決めてないよ。でもせっかくだから、いつもと違う店がいいなー」

 弥勒はふらりふらりと道沿いの店を覗く。だが、決め手には欠けるようで、弥勒はどの店にも入ろうとしない。

 封和は数歩先を行く弥勒の後ろを黙って歩く。弥勒は楽しそうに店選びをしていて、封和はその姿に今まで張っていた緊張を解いていた。

(弥勒――わざわざ演じなくても、お前の考えは解っているよ)

 手にしている鞄を一瞥した封和は弥勒に視線を戻す。弥勒が早々に店を決めない理由を封和は知っていた。その理由は考えるのがバカバカしくなるほど、弥勒らしいものだった。

(お前――昔からそういうところは、変わっていないんだな)

 気遣う相手に気遣っていることを悟らせないようにするのが弥勒は昔から得意だった。しかし付き合いの長い封和には弥勒の考えなどお見通しだった。

「弥勒、そろそろ決めてくれないか。私も流石に――」

「やめてくださいっ!」

 ふたりが路地裏に抜けた時のことだった。夜の喧騒を背負っていても十分耳に届く声量に、ふたりは自然と意識を向けた。

 視線の先では、数人の男たちが上品な白い制服に身を包んだ少女を取り囲んでいた。少女はふたりに背を向けており、顔は見えない。しかし先ほど聞こえた一言で、少女が嫌がっていることは理解できた。

「そのようなことをして恥ずかしくはないのですか! あなた方に大人の自覚があるのなら、早々にこの場を立ち去りなさい!!」

「ほー? そんなこと言っていいのかい? お姉さん、見たところ高校生だろ? こんな時間に出歩いてること、学校に知らせちゃっていいのかなー?」

 男たちは舐め回すように少女を見る。しかし少女は怯える様子を見せない。もしかしたら少女は自分の置かれた状況を理解できていないのではないだろうか――そんな風に封和と弥勒が考えてしまうくらい、少女は凛とした姿勢を崩さなかった。

 それ故に――だろうか。普段は自分から厄介ごとに首を突っ込まない封和が動いた。

(やれやれ……ま、気に入らないからいいんだけど)

 弥勒もそれに続いた。弥勒は封和より先に男と少女の間に割り込む。

「おにーさんたち、その辺でやめておいたら?」

「あぁん? ンだよテメェ。ガキはおとなしく帰って寝てな。これは大人の問題だ」

 弥勒の忠告に耳も貸さずに男たちは少女の手を引く。

(あーあ、大人しく聞いときゃいいのに)

「きゃっ」

 少女の悲鳴と同時に男のひとりが倒れる。

「その汚い手を離せと言ったのが聞こえなかったのか。――下種(ゲス)が」

 弥勒の隣には殺気立った封和が立っており、倒れた男を睨み付けていた。

「何だよテメー。暴力がいけないことだって親に習わなかったのか――よッ!!」

 立ち上がった男は封和を見るとすぐに殴り掛かってきた。しかし――。

「あいにく、私はそんな甘えた教えを受けてはいなくてな」

 封和は男の攻撃を正面から片手で受け止めた。体格のいい成人男性の全力の攻撃を受けても、封和は辛そうな表情を見せない。当然だ。封和にとっては成人男性であろうと日本人の腕力ごとき、取るに足らない。

 華奢な少女が片腕だけで威力を相殺した――その意味が理解できないほど、男たちは愚かではなかった。その証拠に、あれだけの威圧感を出していた男たちは皆震えている。

「――優しく言っている内に立ち去ったらどうだ?」

 封和はそのまま男の手を捻る。すると男の体は回転し、簡単に地面に転がった。

「もう一度言うぞ。失せろ」

 封和が手を放すと、男たちはクモの子を散らすように逃げていった。

「――気に入らない」

「どこにでもああいうのっているからね」

「あ、あの……」

「キミは? 大丈――!?」

 背に庇っていた少女の方を振り向いた弥勒は、目を見開いて驚きと動揺を(あらわ)にしていた。

「ええ――平気です。助けてくれて、ありがとう」

 だって、そこに立っていたのは、弥勒が四年前に失ったと思っていた人だったのだから。

「――――っ」

 同様に振り向いた封和も何も言えなくなった。

 それほどまでに――少女の姿は『彼女』に似ていた。


 ◆


 弥勒が学園に入学する前、高炎寺家には新たな人間がやってきた。しばらく家を留守にしていた弥勒の父、永熾(えいし)と共に家の門をくぐったのは、弥勒と同じくらいの年頃の女の子だった。

 父の帰りを心待ちにしていた弥勒は、屋敷から駆け出して永熾に飛びついた。

「父さん、お帰りなさいっ!」

「弥勒か。只今帰ったぞ」

 ひとしきり永熾にじゃれついた弥勒は、興味の対象を背後の少女に移した。彼女はボロボロの布きれを辛うじて身に纏い、手枷を嵌められ、裸足で歩かされている。

「あの子、どうしてあんな格好してるの?」

 自分とはあまりにも異なる装いに、弥勒の好奇心は膨れ上がった。

「お前は気にしなくてもいい。それより、屋敷へ入ろう。長旅で疲れてな。弥勒、背中を流してくれないか?」

「うん!」

 弥勒は永熾と共に大浴場へ向かった。久し振りの父親との会話で、話題は尽きなかった。湯に浸かっている間も、身体を洗っている間も、弥勒が口を閉じることはなかった。

「弥勒、充実した時間を過ごしたようだな。退屈していなくて何よりだ。私は少し、休ませてもらうよ」

 永熾はそう言って廊下を歩き去った。残された弥勒は先ほどの少女のことを思い出した。

(……どこに連れてかれたのかな)

 弥勒は屋敷の中を散策する。しかし彼女の姿は見つけられなかった。だから弥勒は考えた。家の中で、誰も行きそうにない場所。誰も知らなそうな場所。勘だけを頼りに弥勒は広い屋敷のそういった場所を探していく。

(いないな……)

 もう屋敷の中は殆ど見てしまった。あと見ていない場所といえば、男が入ることのできない大浴場の女湯か厠、そして立ち入ることを許されていない宝物蔵くらいだった。

(あそこかな?)

 弥勒は今は使われていない蔵に近づいた。すると何やら話し声が聞こえた。

「あの娘、薄気味悪いよな。何も喋らねえし、与えた食事にも手を付けねえし」

「何ていうか、生きたまま死んでるみたいだよな」

(あの子、どうして……)

 弥勒は物陰に隠れて大人たちの話を聞いていた。彼女が蔵に押し込められているのは間違いないようだと弥勒は確信する。弥勒は大人たちが去ったのを確信すると、使われていない蔵のひとつに侵入する。

「どなた、ですか?」

 弥勒は蔵の隣にある松の木に登り、蔵の上部の窓にある木戸を開けた。蔵の中にはそれまで光がなかったのか、彼女は眩しそうに目を細めた。

「オレ、弥勒。この家の子供だよ」

「みろ……く……」

 彼女は弱々しく弥勒の名前を繰り返した。

「ごはん食べてないって聞いたけど……」

 弥勒がそれを口にすると彼女は蔵の隅に置かれた食事を見た。

「ひどい……どうしてこんなもの……」

 弥勒が同じように視線を向けた時、与えられたものの酷さに絶句した。そこに置かれていたのは残飯だった。人間が口にするものではなく、野良猫や野良犬に与えられるような餌。

「こんなの、許せない――」

 弥勒は静かに怒った。

「来て」

 弥勒は彼女の手を掴むと、立ち上がって蔵の扉を蹴破った。錆び付いた扉の南京錠は幼い弥勒の力でも壊れた。

(父さん――は、寝てるから――)

「母さん!」

「そんなに怒ってどうしたの、弥勒……あらあら、その子、ボロボロじゃない」

「この子、蔵に押し込められて、犬のエサを食べろって言われてたんだよ」

「それは酷いわね。食事はきちんと用意させるから、まずはお風呂に入ってらっしゃい。弥勒、覗いてはダメよ」

「分かってるって。行こ」

「……はい」

 弥勒は再び彼女の手を引いて大浴場へ案内する。長い廊下を歩く間、屋敷の使用人は誰ひとりとして姿を見せなかった。

「ねえ」

「……はい」

 彼女の返答はいつも少し遅れていた。

「キミ、名前は何ていうの?」

「……分かりません。何も、思い出せないの……」

 彼女は目を伏せて足を止める。弥勒も同様に足を止めた。

「……でも、これだけは――」

 彼女は一度伏せた顔を上げ、中庭に植えられた植物を見つめる。すると庭師に手入れされた植物たちが一斉に成長を始めた。その様子に弥勒は驚いて声も出せなかった。

「――身体を動かすように、出来ます」

 弥勒はその現象に心当たりがあった。否、その現象を知っている。

「――キミ、忍だったの?」

 彼女はフルフル、と首を横に振る。

「何も、思い出せないの……」

「そっか……自分のことが分からないって、不安だよね」

 彼女は再び首を横に振る。

「……何とも思わないの」

「キミ……」

 弥勒が何か言いかけると、彼女は首を傾げた。その様子を見た弥勒はさらに言葉に詰まった。

「ううん、何でもない。でも名前がないのは不便だよね。オレが付けてあげるよ。何がいいかなぁ……」

 弥勒は再び歩き出し、宙を仰ぐ。彼女は弥勒に手を引かれながら、その様子を観察するようにじっと見つめていた。

「――そうだ、葉月(はづき)っていうのはどう?」


 ◆


「あの、私の顔に何かついていますか?」

 彼女に――葉月によく似た少女は、不自然に言葉を失った弥勒を心配するように声をかける。

「い、いや――知り合いにとてもよく似ていたから戸惑っただけだ。心配はいらない」

 答えたのは弥勒ではなく封和だったため、少女はますます不思議そうな表情を浮かべた。封和の声にも動揺は色濃く出ていて、傍から見ればふたりはかなり不審だ。

「助けてくれてありがとうございます。私は櫻宮(おうみや)美月(みづき)と申します。聖園(みその)女学院の二年生です」

「私は清水封和だ。千秋(せんしゅう)学園高等部の二年生で、生徒会長をしている」

「お強いのですね。――ふたりとも」

 やんわり浮かべたその笑みに邪気はなく、その仕草さえも葉月にそっくりだった。

「こんな時間にこんな場所をひとりで歩くなんて危険だ。すぐに帰った方がいい」

「忠告ありがとうございます」

 美月と名乗った少女は小さく一礼するとすぐにその場を後にした。

「弥勒――行くぞ」

「……うん」

 弥勒はどこか上の空で返事をして封和の後に続いた。

 結局食事は摂らず、家に帰るまでふたりの間に会話はなかった。

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