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忍と刀と戻らぬ簪  作者: 秋田友
壱の章-愛護の簪-
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其の十四

 声のする方にその場に居た全員が振り向く。

「菖蒲──」

「久し振りね、飛沫。撫子が亡くなって以来だから……おおよそ10年ぶりかしら?」

「何をしに来た。巫女が城から離れて良いわけないだろう。今すぐ戻れ」

「愚問ね。分かっている癖に。結界のことなら平気よ。繋がりさえ保てれば、距離なんて問題にならない──きちんとそう作り直したもの。椿姫、撫子、飛沫──3人が愛した場所は、あたくしがきちんと守り抜くわ」

「今すぐ帰れ。椿姫が蘇ることはない」

「そんなはずないわ。椿姫は巫女よ? 願ったことを叶えられる、諏訪で最も強い力を持つ術師よ? 其の娘が失敗するなんて、あり得ないわ」

「椿姫の企みを成功させてやるつもりなどない。たとえ同じ魂の持ち主だとしても、あれは椿姫ではない」

 菖蒲と飛沫は睨み合う。どちらも譲るつもりはない。

「わざわざ出向いてもらって悪いんだけどね、菖蒲サマ。オレたちも杏ちゃんを守りたいんだよね」

 弥勒の生意気な口振りに、菖蒲は苛立ちを見せた。

「──あら、誰かと思えば。あなた、永熾の息子ね。許嫁の娘とは仲良くやっているかしら?」

 菖蒲の発言に弥勒と封和は殺気立つ。

「あたくしの式神を根絶やしたのはあなただったのね。正直驚いたわ。あれらは全て、飛沫の能力を基に生み出した、実力の高いものだったのに」

 菖蒲は嘲笑する。

「無駄な抵抗はおよしなさい。椿姫に匹敵する力がない限り、邪魔することすら出来ないのは分かっているでしょう?

 それに、今から封じようとしたところで、時間は残されていないわ」

 菖蒲の言うことは全て正論だった。抗おうとする者が全てを諦めてしまうほどに文句のない、見事な絶望をもたらした。事実、日付変更までに残された時間は20分。ここから家に戻るには、最短でも30分を要する。足掻いても手遅れにしかならない。

「手遅れでも、諦めることなんでできないんですッ!」

 杏理は杏の腕を掴むと来た時と同じ術の使い方を試みる。

「っ!? どうして……!?」

 しかし杏理の術は発動しなかった。

「飛沫が昔使っていた術でしょう? ならば、その仕組みは知っているわ。あたくしの前では速さなど意味を持たないもの」

(全部──見破られている──)

 杏理は初めて菖蒲に対して恐怖を抱いた。自分の持つ策が何一つ通じないこの状況。それを絶望と呼ばずして何と形容したらいいものか。

「口で言って帰っていただけないようなら、我々は実力行使するしかありません。もう一度言います。菖蒲様、城へお戻りください」

「城へは戻るつもりよ。ただし、椿姫が目を覚ましてからね。共に城へ戻り、巫女としての務めを果たすわ」

「どうやら聞き入れていただけないようですね。ならば、仕方ありません」

 封和は高く跳躍すると、構えたクナイで菖蒲に襲い掛かる。

「他國の巫女に手を出していいと思って? あなたのしていることは、宣戦布告に他ならなくてよ? 再び戦争を始めようと言うの?」

 封和のクナイは菖蒲には届かない。菖蒲が展開した不可視の障壁によって、封和の攻撃は全て弾かれていた。

「1人で突っ走んないでよ。何の為にっ、オレと組んでると思ってん……のっ!」

 弥勒は菖蒲の背後に跳躍すると、男性特有の強い力で回し蹴りを繰り出す。しかしそれも不可視の障壁によって易々と防がれる。

「あたくしの領域へは、誰も踏み込ませなくってよ」

 菖蒲は余裕の笑みを浮かべる。

「じゃあ……これならどうですかっ!」

 杏理もまた、高く跳び上がる。そして結界中和用の術式を手に障壁に対峙する。さらに杏理は透明な鈴を1つ消費して威力を高めようとした。

「考えたものね。でも、まだまだ拙いわ」

「──よくやった、杏理。十分だ」

 僅かな光の照り返しから、障壁に穴が空いたと判断した飛沫は、そこに触媒である水銀の入った小瓶を投げ入れる。

「その程度の触媒、あたくしの力の前では無意味よ」

 水銀は術の展開速度を上げる働きがあり、杏理の構築した結界中和用の術式の広がりを速めた。しかし所詮は少ない触媒と未熟な術式。それらは菖蒲の術式に簡単に呑まれてしまう。

「空の鈴はね、忍術にしか作用しないものなのよ」

 まだ術の使い方が拙い杏理に向かって、可愛らしいものを見たと言うように菖蒲は微笑む。

「あなたが飛沫の娘? 撫子に教わっていれば、良い巫女になれたかも知れないわね」

「わたしは忍の娘ですっ!!」

 杏理は空けたはずの穴に向かってクナイを投げ込む。

「惜しいわね」

 しかし穴はすぐに塞がれ、クナイは障壁に弾かれる。

(あと一瞬、速ければ──!)

 杏理は歯軋りをした。

「弥勒先輩──刀を使ってはいけませんか」

「前にダメだって言ったはずだよね」

「でも今はそんなこと言ってられる状況じゃ──!」

「キミに菖蒲サマの命を奪う覚悟があるなら構わないよ。でも、本当に出来る? 菖蒲サマの命は、キミ1人の命よりも格段に重いんだよ?

 それを背負う覚悟はあるのかい?」

「それは……」

「命には本来、比較出来る重さなんてものは存在していないんだけれどね。彼女は國全体の命を背負っているんだよ。彼女が死ねば、結界は維持できなくなる。そうすると多くの死者が出ることは、キミもよく分かっているよね?

 彼女には1つの國と同じだけの価値がある。理解できないはず、ないよね?」

 風吹は答えられずに黙り込む。

「結界が無ければ人は生きられない──それは三國のどこでも同じだよ。キミは三國に住む人全員を──殺せる?」

 無理だ──と、風吹は理解する。それほどの命を背負って生きていくことなど、風吹には出来そうもない。

「理解したなら、止めておきなよ。──人は、1人の命よりも多くの命を選んでしまうものなんだから──」

 弥勒はどこか遠くを見詰めながら言う。

「もう──終わりかしら? 椿姫の魂を持つ娘は、何もしてこないの? 守られているだけ?」

 菖蒲は試すように杏を見下ろす。俯いていた杏は唇を出血しそうなほど強く噛み締めると、クナイを構えて跳躍する。その攻撃は障壁に阻まれて菖蒲には届かない。それでも杏は力を加える。

「あら──あなた──」

 杏は悔しそうに奥歯を噛み締めると、クナイで自身の身体を弾いて着地する。

「フフ──ウフフ──アハハハハハハハ!! これは傑作ね!!」

「何を笑っている──」

「飛沫、まさかあなたも気付いていないの? だとしたら飛沫、あなたは父親失格よ。その子の顔を見てご覧なさい」

「何、を……」

 飛沫は菖蒲の言っていることが理解出来ないままに杏の顔を注視する。杏は俯いて、泣きそうな顔をしていた。

「まだ気付かないの? その子はここに居る誰よりも現状を理解しているわ。だから自分のすべきことを知っているし、既に決断も下しているのよ。──本当に、誰も気付かなかったというの?」

 菖蒲は飛沫らを嘲笑う。愚かで重大な間違いを犯してしまった全員を、腹の底から菖蒲は嗤った。

(当然じゃない──。あたしみたいな使えない忍なんかより、椿姫様みたいな素晴らしい力の持ち主の方が望まれてるに決まってる──)

 杏は諦めていた。菖蒲が目の前に現れた以上、杏理がどれだけ力を尽くしても敵うことはない。杏に残された希望は、少したりとも存在していなかった。

「飛沫、あなたは結局、その子の望まない方へ動いていたのよ。相当(つら)かったでしょうね。当事者を置き去りにして周りが勝手に動いているんだもの。言いたいことだって、言えなかったでしょうに」

 菖蒲の言葉を受けて、風吹は腹が立っていた。自分の気持ちを押し付けるばかりで、風吹は杏の気持ちを聞いたことが無かった。それに気付けなかったことに、風吹は腹を立てた。

(杏──ごめん──ごめんっ!!)

 もっと話せばよかった、もっと色々聞けばよかった、もっと一緒に過ごせばよかった──実の父親である飛沫よりもこの4年間で多くの時間を杏と共に過ごした風吹は、杏に対してしてきた全てを悔いた。

「良い機会だもの。言いたかったことを全て告げてしまったら? あなたは今、何を思っているの?」

「あた、しは……」

 杏は戸惑い、震える唇から言葉を紡ぎ出そうとする。最期だから伝えるべきか、それとも最期だから伝えない方が良いのか──杏は葛藤する。

「杏……」

「お姉ちゃん……」

「最期よ? 全て吐き出してしまいなさいな」

 菖蒲は妖しく笑む。

「あたし、は……これ以上、みんなに戦ってほしくない……だって、誰もあたしを必要となんて、していないんでしょ……なら、無理に戦わなくても……」

 言葉の端々に複雑な感情を覗かせながら杏は続ける。

「封和先輩も弥勒先輩も、頭がいいから──あたしよりも椿姫様が必要とされてることは理解しているでしょう? それに2人とも、あたしと特に親しいわけじゃないし──任務だから、あたしを守ってくれてたんでしょう?」

 封和も弥勒も、何も言えなかった。それは心のどこかでそういう風に思ってしまっていたからかも知れない。

「お父さんは、家の名前を守るために戦ってるんでしょ。椿姫様が甦ったことなんてすぐに知れ渡るだろうし、そうしたらお父さんが禁忌を犯して一族の恥さらしになるもんね。それを防ぎたいんでしょ」

 飛沫は何も言わないで黙っている。その真意は誰にも分からなかった。

「杏理だって──同じでしょ。家族の和を乱したくないから、自分は波風立てないようにお父さんの方針に従って──もう、無理なんてしなくていいよ」

「お姉ちゃん……そんな風に、思ってたの……」

 杏理は衝撃のあまり、それ以上の言葉を紡げなかった。

「風吹も──お父さんに拾われてから、逆らえないもんね。従わなければ、恩を忘れた薄情者になっちゃうし……追い出されたら、もう行くところなんてないもんね」

「そんなことないよっ!! 僕は、杏と一緒に──」

「なら、どうして全力を出してくれなかったの? どうして先輩の言い付けを律儀に守ってるの?」

「それは──」

「やっぱり、嘘なんだ……風吹もみんなと一緒。あたしを必要となんてしてないんでしょ」

 杏の頬にはいつの間にか、涙の伝った跡が出来ていた。

「そう……色々抱えていたのね……あたくしと同じ……」

 菖蒲が小さく呟いたのを、杏は聞き逃さなかった。

(菖蒲様……?)

「聞いたでしょう、飛沫。あなたは撫子との間に出来た子に、こんなにも辛い人生を強いてしまったのよ。誰にも必要とされない孤独が、あなたに理解出来て?」

 菖蒲は怒りを飛沫にぶつける。菖蒲の純粋な怒りに、杏は妙な人間らしさを感じていた。

「そんな人生をこのまま過ごしていても、幸せになれる見込みなんてないわ。心が空っぽなまま、押し潰されそうになるだけよ。そうなるくらいなら、今、少しでも幸福感が胸に残っている内に終わらせてしまった方が良いでしょう? さあ、こちらへいらっしゃい。まだ椿姫は目覚めていないけれど、城へ戻りましょう」

 杏は頷きもせずに菖蒲の方へ歩み寄る。

「杏!」

「お姉ちゃんっ!」

 風吹と杏理は杏の背中に向かって叫ぶ。杏は振り返りもしない。

「待て! 行くな!」

「杏ちゃん! オレの言ったことを忘れたの!?」

 封和と弥勒も同様に訴える。杏は聞き入れようともしない。

「杏──戻りなさい。死者が甦るなど、決してあってはならない」

 飛沫も諭すように促す。しかし──。

「煩いっ! そうやって周りが抑圧するから、この子は自分の存在意義を見出だせなかったんじゃない!」

 菖蒲は激昂する。

「本人が望んでいるのよ!? 何故尊重しようと思わないの!?」

「それが間違った決断だからだ」

「飛沫──あなた、こんな時だけ親の顔をするのね。呆れたわ。間違いを選ばせたのは誰か、よく考えることね」

「正すのは、親である俺の役目だ」

「いい加減にしなさいッッッ!」

 菖蒲が叫んだ瞬間、誰にも認識出来ない何かが飛沫たちを襲った。

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