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忍と刀と戻らぬ簪  作者: 秋田友
壱の章-愛護の簪-
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其の一

 忍――高い身体能力と忍術を駆使して戦場の最前線で戦う者達をそう呼ぶ。

 彼らが戦場に姿を現すようになったのは、諏訪(すわ)大和(やまと)()の三國が大きな戦争を始めてから少し過ぎたあたりだ。戦で負傷した兵士が森の中で彼らの集落を発見したのだと古い文献には記されている。出身國の壁を越えて共に暮らしていた彼らは、それぞれの國の都合で引き裂かれ出身國へと連れ戻された。その後彼らが國を越えて共に暮らしたことは無く、忍は戦のための道具として使われるようになった。

 長きに渡って続いた戦も、現在は数回目の休戦状態にある。どの國も忍の多くが命を落とし、数が減ってしまったからだ。

 忍は子を成しにくい。だから戦争で数が減ったからと言ってすぐに増やすのは難しい。忍の子は親の才能を必ず受け継ぐため、忍の子は忍にならなくてはならない。そんな決まりを設けてもなお、忍の数に各國は満足していない。

 そういう思惑もあって、忍の家に生まれた子はたったそれだけの理由で未来の選択肢を大きく奪われる。忍の才能を持つ者が他の職を選ぶことは許されない。力を持つ者が持たないものを守らないなんて、そんなことは誰も認めない。

 忍の世界では強さこそがすべてだ。

 その力は結局才能に依るところが大きく、努力だけでは到達できない領域の強さが存在している。

 故に忍の世界は、徹底された実力主義であり、同時にそれは非情な才能主義で、結局のところは血統主義なのだ。


 だから――彼女の様な人物は忍には向かない。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「もっと急いで、(あんず)。今日もまた遅れちゃうよ」

 森の中を駆けるふたりの子供が居た。ひとりは(すみれ)色の独特な形の着物に身を包んだ長髪の少女。もうひとりは、萌黄(もえぎ)色のこれまた独特な形の着物に身を包んだ少年。

 彼らの着ている着物は忍装束と呼ばれ、動きやすさを重視したものだ。露出があまり好まれない時代ではあるが、彼らはその常識に縛られない。

「いいよ、別に。どうせ間に合ったところで、いつもと変わらないよ。風吹(ふぶき)だって少しはそう思ってるんじゃないの」

「そんなわけないでしょ。忍として、遅刻は許されないことだよ。急がないと」

 風吹と呼ばれた少年は困り顔で後ろを振り返り、杏と呼んだ少女を一瞥すると速度を上げた。

 ふたりが向かっているのは忍を育成するために國が立ち上げた学園だ。忍の子供は七歳から学園に通い、十八歳になるまでに忍として必要なことをすべて教えられる。卒業することが出来れば忍としての実力を認められ、國から様々な仕事や任務を与えられて生計を立てて行くことになる。國のために命を賭けることは美徳とされ、それを信じている子供は毎日欠かすことなく修行を重ねる。

「はぁ……もう太陽があんなに高く昇ってる……今日もまた間に合わないかもしれないね」

「そんなに言うならあたしを置いて先に行ってていいのに。あたしに付き合って風吹まで律儀に遅れることないじゃない」

「そんなこと、出来るわけないよ。杏は同じ班の、大切な仲間なんだから」

「――こんな落ちこぼれに時間を割くだけ、ムダだよ」

 杏は不貞腐れた表情でそう小さく呟いた。

「仕方無い、ね……杏、ちょっとごめんっ」

 杏の呟きは聞こえていなかったが、タイミング良く風吹が振り返ったのを見て杏は少し驚く。

 風吹は振り向きざまに杏の右手を掴んだ。

「ちょっと、なにを……わっ」

 杏が抗議の声を上げた瞬間、杏と風吹の体が何の前触れも無く宙に浮いた。杏はその不慣れな現象に驚きの声を上げた。

「怖いかもしれないけど、ちょっと我慢してよ。走るよりもこうした方がずっと速いんだから」

 ふたりの身体はどんどん持ち上がり地上を離れて行く。それは空を飛んでいるようだった。実際は飛んでいるわけでなく、地面から吹き上げる突風により身体が舞い上がっているだけだ。

「さ、さむ……」

 空には風を遮るものが何も無い。身体が地面から離れて行く間、杏はその寒さに震えていた。

「我慢してって言ったでしょ」

 辛うじて暖が取れるのは風吹と繋いでいる右手だけだった。それ以外の部分は凍る様に冷たくなっていく。

 学園の演習場が見えるほど高く昇った頃、体の上昇が止まった。杏はそれ以上地面から遠ざかることがないと知ると安堵した。しかしそれも一瞬のうちに崩される。

「しっかり捕まっててね」

「え?」

 風吹の言葉の意味を杏が理解する前に、身体は急降下を始めた。

「嫌ああああぁぁぁぁっっっっ!!」

 無様な悲鳴を上げながら凄まじい速度で杏は落下する。しかし風吹は杏の手をしっかりと握り、体勢を崩すことなく着地点を見据える。

 超常現象染みたこの状況は、風吹が意図的に作り出したものだ。

 忍は忍術と呼ばれる不思議な力を扱うことができる。火、水、風、土、雷――忍術の分類は大きく分けてこの五つである。例外もあるが、この分類を属性と言う。ひとりの忍は、物心つく頃からひとつの属性の術を扱えるようになる。

 風吹の属性は『風』で、自由に風を操れる。だからこういった状況を作り出すのも息を吐くように出来るのだ。

 着地の間際、風吹は再び地面から風を巻き上げてその衝撃を緩めた。お陰で終始悲鳴を上げているだけだった杏も不恰好ながら安全に着地することができている。

「死ぬかと思った……」

 肺に溜まった空気が漏れるのと同時に杏はそう呟いた。

「遅れてすみません、飛沫(しぶき)先生。ほら、杏も立って」

 風吹に促されるまま杏は立ち上がり、顔を上げる。眼前には疎ましいと言わんばかりの級友達の不機嫌な表情が並んでいた。

「これで何回目だ、杏。時間は絶対遵守しろと何度も言っているだろう」

 杏を叱りつけるのは、黒い忍装束に身を包んだ男の忍だ。

「――風吹だって、遅れたじゃない」

 忍の世界は年功序列だ。年上に敬語を使わないのは極めて無礼な行いだ。しかし男の忍は一切それを咎めようとはしない。

「原因はお前にあるのだろう。風吹が遅れるのは事故と同じだ」

「何それ。お父さんの言い分だと、理由によっては遅刻が認められるって言ってるようなものじゃない。前に言ってなかった? 理由は関係ないって」

 杏がこんな大きな態度に出られるのは、杏の学年の担任が杏の父親である飛沫だからだ。杏たちの年頃だと、丁度両親に反抗したくなるものだ。

「反省する気が無いのなら、今日は一日、書き取りの罰則を受けていても構わないが」

 険悪な雰囲気がさらに増す。親子喧嘩に付き合わされている他の子供達からすれば目の前の光景は最上級の迷惑だ。

「まあまあ、そのくらいにしたら? ふたりとも」

 その雰囲気に歯止めをかけたのは、橙色の忍装束を纏った青年だった。彼はネコの様に大きな目でふたりを面白そうに眺めている。

 彼の顔を見た飛沫は諦めたように杏を見て、子供達に今日取り組むべき課題を告げる。説明は短く終わり、子供達はすぐに言い渡された内容に取り組み始める。

「落ちこぼれが何しに来たんだよ」

「術も使えない癖に忍になれるわけないだろ」

 杏への罵倒は向けられた本人の耳に確実に届く。

「大和人は國に帰れよ」

「諏訪に何の用だ」

 また、同様に風吹の耳にもその手の罵倒は届く。

 ふたりは学園内でも異質の存在だ。

 杏は生まれつき忍術が使えない。忍の子は必ず術を発現させ、忍としての適性を生まれつき持っているものだ。しかし杏にはそれがない。本来ならば学園への入学すら認められない状況だが、名門である紫苑(しおん)家の直系であるという優遇で特別に入学を許可されたのだ。

 一方、風吹は諏訪の人間ではない。その違いを明確に表しているのは髪の色だ。諏訪人は漆黒の髪の毛を持つ。しかし大和人は色素の薄い、茶色い髪の毛をしているのだ。風吹は後者で、誰がどう見ても大和人と答える容姿をしている。

 戦争が休戦状態になったとはいえ、それ以前の過酷な戦いで大和の忍に親族を奪われた者も学園には多い。そんな状況で大和の子供が諏訪で学んでいるというのを許せないと言う者は少なからず居る。風吹はそんな恨みを向けられているのだ。

「待て、そこのふたり」

 杏と風吹も稽古に取り組もうと演習場の隅に向かって歩き出す。しかしそれを後ろから冷たい声が止めた。ふたりが振り向くと、そこには青い衣に身を包んだ目つきの鋭い少女がいた。加えて、その隣には先ほど飛沫と杏のやり取りを止めた青年も居た。

「お前たちは私たちが相手をする。杏は私に付いて来い。風吹は弥勒が相手をする」

「は、はいっ」

 状況がよく分からないままに杏は返ことをした。

「あの、もしかして弥勒先輩ですか?」

 その場に残された風吹は、恐る恐る訊ねた。

「うん。そうだよ。オレは最上級生の高炎寺(こうえんじ)弥勒(みろく)。今日のキミの修行相手だよ。よろしくね」

「よ、よろしくお願いしますっ!」

 風吹は驚きに満ちた声で挨拶を返す。

 風吹が驚くのも無理は無い。弥勒は最上級生の中でも次席に相当する実力の持ち主で、紫苑家に並ぶ忍の名門、高炎寺家の直系だ。噂では学園内ではその姿を見た者は殆ど居らず、幽霊の様な認識しかないのだ。

「あの、紫苑(しおん)(あんず)です。今日はよろしくお願いします」

清水(しみず)封和(ふうか)だ。先生から話は聞いている。遠慮せず、全力で挑んで来い」

「はい」

 封和もまた、弥勒同様に名前だけの存在となっていた。その実力は最上級生の中でも群を抜いて高く、弥勒以外にその背中を預けることが出来ないと噂されている。

(どうしてそんなすごい人が、あたしなんかの修行の相手になってくれるんだろう……)

 杏にはそれが不思議で仕方なかった。実力差は分かりきっており、端から見れば封和が杏に時間を割くのは無駄だ。

「どうした、お前の実力はその程度か。そんなにのろまでは命を落とすぞ」

「くっ……」

 杏は対戦相手である封和を思い切り睨みつける。しかし封和がその視線に怯む様子は無い。

「道具を使ってもその程度か。紫苑家の直系にしては実力不足だな」

 封和は杏に一切の攻撃を加えていない。ただ悠然と構えて杏の拙い攻撃を避けているだけだ。当然、封和が疲れを見せる様子は無く、呼吸を荒げているのは杏の方だ。


「キミ、イイ動きするね。そういえばまだ名前聞いてなかったっけ」

杉並(すぎなみ)風吹(ふぶき)ですっ!」

「いい名前!」

 そう言いながらも弥勒は風吹に一撃たりとも攻撃を当てさせない。おちょくられている様に感じた風吹は苛立ちを募らせた。

「でも、ちょっとまだ――」

 のらりくらりと攻撃を避けながら、弥勒は思い出したように風吹の背後に回った。

「――教科書通りにしか動けないって感じだねぇ」

 一瞬の出来事に、風吹は何が起こったのかを認識できなかった。風吹が状況を認識する前に弥勒は風吹の背後に回り、そんなことを耳元で呟いたのだ。

「っ――!」

 そして振り返る前に風吹は地面に倒れていた。

「忍の戦いってのは、こういうものだよ」

 愉快そうな弥勒の声に、風吹は畏怖を覚えた。圧倒的な力の差を前にして、自分の実力を疑った。

「――ま、キミも年齢の割にはイイ線いってたよ」

 次の瞬間、弥勒は手合わせ前の呑気な声に戻っていた。風吹は土の味を噛み締めて、ようやく自分が地面に組み伏されたのだと認識した。

「ありがとう……ございました……」

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