第一話
なぜ、と。
よく聞いてくる子だった。
それは夏の暑い日の記憶。
縁側で涼んでいた男は口角を下げたまま、自分に走り寄る子供を不思議そうに見ていた。
*******
白檀の匂い。
古から今まで消えずにその芳香を放ち続ける、この厳かさはなんだろう。
「そろそろ起きて帰りなさい」
言われて花は、悪戯を見咎められた子供のように、びくりと身を震わせた。
窓からは夕日が差し始めている。
そんなことはとっくに気がついていた。
太陽が傾いていく過程はスローモーション再生されるビデオのようで、なんとなく、それが見えなくなるまで見ていたかった。
学校の後にそのままここに立ち寄って、花は寝転んでいた。
白檀のにおいがする古い家屋で、つるりとした床に頬を寄せる。
猫のように身を丸め、とは言っても眠るわけでもなく、その目はさながら警戒心を解かない番犬のように、何かを見据えていた。
「・・・まだ早いよ」
「早い?」
隼人は器用に肩眉だけ持ち上げて聞き返した。
二十歳そこそこのはずのこの人は、妙に落ち着いていて、花にはとても兄と同年代とは思えなかった。
「今日は・・・」
せめて今日だけは。
言いかけた言葉を奥歯で噛み殺した。
言葉を選んで、動揺を隠しながら声を発した。
「・・・今日は、見たいテレビもないし」
隼人はいつだって目だけで笑う。
しょうがないな、やっぱり子供なんだな。
そう言われてるのがすぐ分かる。
ねえ、私、そんなことないんだよ?
「大事な娘さんに何かあったら、天国のご両親に合わす顔が無いからね」
「・・・うちの親知らないくせに」
そう、あなたは本当に何も知らないね。
心の中で毒づいて、花は笑った。
「・・・もう帰るね」
「そうした方がいい」
一体この人は、女子高生をどんな生物だと思っているのだろうか。
花にはこの男の思考がさっぱり読めなかった。
時々なんとなく、隼人はこんなことを思っているんだろうな、と考えてみる。
けれどそれはまるで蜃気楼のようで、本当はそこには無い、別のものを映し出した幻だ。
カタン、と音を立てて、花は木造の家を出た。
古いけれど、汚くはない。
むしろ美しいとさえ思える、温かい家。
初めて花がこの家に入った時、清められた気がした。
隼人はここに独りで住んでいる。
「家族は?」と聞いたことがある。
その時、隼人は何も答えず笑った。
振り返ると、隼人がこちらを見てひらひらと手を振って見送っていた。
だから花も振り返って、ぶんぶんと大きく腕を振った。
「また明日っ」
にこっと笑うと、隼人は少し困った顔をして笑った。
その表情を見て、花の顔が曇る。
さっと隼人から目を逸らして、顔を顰めた。
お願いだから、私がここに来ることを拒まないで。
この家に来ることが、私の清めの儀式なのだから。
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