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 おそらくリンジーはさっきヘイリーとあたしが話している姿を見たのだ。そしてまた、ヘイリーがあたしを追いかける姿も見てしまった。

「あんたたちただの友達なんでしょ? しかも“元”! なのにどうしてヘイリーはあんたに構うのよ?!」

 プールのある広い庭に来るなり、リンジーはあたしの腕を振り払ってわめきたてる。プールサイドにはビーチベッドやテーブルがあって、そこで寝そべったりお酒を飲んだりしている若者が何人かいる。

 今やリンジーは支配者の笑みもモデル並みの営業スマイルも浮かべていなかった。身内を殺した敵を見るマフィアのような眼差しで、あたしを睨んでいる。

 リンジーの大声で、少しずつ人が集まってきた。校門前でされた時もそうだが、あたしは人の視線を浴びるのが得意ではない。ただでさえ鬼の形相のリンジーに圧倒されているのに、観客まで増えてしまっては、言いたい事のひとつも言えない。

 本当は、「ヘイリーがあたしを構う理由なんて、こっちが聞きたいわよ」とリンジーを睨み返してやりたい。けれど出来たのはただ自分のつま先をじっと眺める事だけ。

 リンジーはプールサイドで、狭い範囲をぐるぐると歩きまわった。

「ヘイリーとはなんともないって、言いなさいよ。もう関わらないって!」

「なんで……」

 あたしはぎゅっと、拳を握った。ほとんど口の中でつぶやいたような言葉でも、リンジーには聞こえてしまったようだ。

「あんたにうろちょろされると邪魔だからに決まってるでしょう。いい、ヘイリーはあんたなんかに時間を割くような暇はないの。本人の前で関わらないでって、嫌いだって言うのよ!」

 リンジーの望みはあたしの望みとそう変わらない。けれど、誰かにこんな風に命令されるなんてまっぴらごめんだ。どうして、自分の行動を誰かに支配されなくちゃならないワケ? いくら彼女が学園の人気者だからって、こんなのおかしい。

 息を吸ったら、体がふるえてるのが分かった。

「……いやよ。自分の、することぐらい、自分で決める」

 拒否したのは、ヘイリーとこれからも関わり合いたいからじゃない。誰かに命じられるままに行動をするのが嫌なだけ。それなのに、リンジーには伝わらなかった。

「何なのよ!」

 とん、と肩を突き飛ばされて、あたしはよろめく。たいした衝撃ではなかった。すぐに体勢を整えられるはずが、プールサイドが濡れているためにそう出来なかった。

「あ、ちょっと……」

 プールに突き飛ばすつもりはなかったらしいリンジーの驚いたような声が、水飛沫によって遮られた。

 突然冷たい水の中に放り込まれたというのに、あたしの頭は何故か冷静だった。そうか、足元が濡れていたから滑ってプールの中に落ちてしまったんだ、と頭の中で確認している。

 音がなくなって、空気の泡が揺れているのを肌で感じた。

 あたしはあんまり泳ぎが得意じゃない――というか運動のほとんどが得意じゃない――から溺れてしまうかもと思ったが、足はすぐにプールの底にぶつかった。思っていたより浅いプールだったらしい。

 勢いよく頭を水上に出すと、大きく息を吸った。酸素がやけに久しぶりに感じる。

 視界が狭い。それに、眼鏡をどこかに落としてしまった。

「……ぷっ」

 体を起こして眼鏡を探そうとしたその時、誰かが吹きだしたような音がした。「笑ったら、悪いよ」「でもあの頭……」笑いをこらえるような吐息と、ひそひそ声。

 一番最初に吹きだしたのは、リンジーだった。途端にプールの周りにいる者たちがコメディアンが最高のジョークを言ったみたいに、げらげら笑い出した。

 プールの中に落っこちた時には冷静だったのに、今度のあたしは羞恥心で訳が分からなくなっていた。

 みんなが笑ってるのは、コニー・フェアフィールド、このあたし。

 冷たい水にさらされて、体は冷えてるはずなのに、顔が熱いのが分かった。

 笑われても、何も出来ない。

 自分に何が起きたのか、分からなくなった。

 今更、耳鳴りがした。

 まわりの音が、遠くなる。

 誰かが何か言ってるのも、意味をなさないただの音になった。

 ばしゃん、と大きな水音がそばでしたのにも、気づくのが遅れた。

 誰かがあたしの腕を引きよせて、プールの端に連れて行く。背中を押され梯子をのぼり、そのまま突っ立っていると体に乾いた何かを巻き付けられた。

 笑い声は、二度目の水飛沫がたった頃からやんでいた。

 肩を抱く誰かがいて、「帰るぞ」と言ったような気がしたけど、この時のあたしにはひどく遠い出来事でしかなかった。


 トッドの家を出て、車道でヘイリーが「家まで送ってくる。あとで連絡する」と言っていた相手が誰だか、よく見えなかった。でも簡単に想像出来る。

 車の後部座席に押し込まれて、腰をおろした頃には自分に何が起きたのか分かってきた。

 たぶん、あたしの長いちりちりの髪が原因だ。濡れた髪の毛が顔の前にまで落ちて、毛玉のお化けみたいになっていたんだろう。小さい頃にもからかわれた事があるから、想像が出来る。

 笑われた理由が分かったからって、恥ずかしさが消えるはずがない。

 あたしは、音に色が見える事がおかしいって指摘されて以来、恥ずかしい思いをしないように、目立たないように、噂にならないように、生きてきた。たいていの場合それは成功したから、笑いものにされるのには慣れていない。こうならないように、ひっそりと息をひそめて生きてきたのに――。

 泣きたいワケじゃない。ただひたすら、自分という存在がはずかしい。消えてなくなりたいくらいに、みじめで、どうしようもなく愚かなあたし。

「……大丈夫か」

 運転席のドアが開いて、深刻そうな声が入ってきた。ヘイリーはドアを閉じると、こちらを少し向いて、あたしの鞄をあたしの隣に置いた。車内は暗かったし、あたしは眼鏡をつけていなかったので、彼の顔はよく見えなかった。

 暗くて、寒くて。ゆっくりと、羞恥心さえも冷えていく。

「言い合いがはじまった頃に、止めればよかったのに」

 声は申し訳なさそうだった。

 ヘイリーがエンジンをかけて、車を発進させた。

 プールで、『もう大丈夫だから』そう言ったヘイリーの声が耳に届いた頃には、あたしは誰に助けられたのかを知っていた。彼はたぶん、うるさい外野を黙らせてもいたと思う。

 でもあたしは、それらの事が自分とつながらなくて、世界と自分の間に透明の膜のようなものをまとっている状態だった。今もまだ、膜は少し残っている。

 ひとつ分かったのは、ティーンエイジャーのパーティにはやっぱり、出ちゃいけなかったって事。

 寒くて、体の感覚も麻痺してるみたいだった。それでも鼻をすすってしまって、ヘイリーはそれを泣いていると思ったみたいだった。

「気にするなよ、あいつら酔ってたから、何見ても笑えたんだ」

 ヘイリーが言い終えると、車内はとても静かになった。エンジンの稼働する音と、時々ウインカーのカチカチいう音がするだけ。

「サイテーだよな、人がずぶぬれになってるのを見て笑うなんて」

 あたしが何も言わないのでまだフォローが足りないと思ったのか、ヘイリーはよくしゃべった。「寒くないか? 寒いに決まってるよな。タオルか何か借りればよかったけど……あそこから早く出るべきだと思って」そこであたしはやっと、自分の肩にかけられたものに目をやった。男ものの茶色いジャケットだ。きっと、ヘイリーの上着。

 今日は、なんだかとっても疲れてしまった。

 なんだかもう、すべてがどうでもいい。

 あたしは目を閉じた。

「……サンドラも付き添うって言ったんだけど、家が反対方向だから、それで……」

「ヘイリー」

 顔を合わすと、いつもケンカ腰。パーティ会場でもあたしはちょっと礼儀に反する態度をとった。それでも、あたしが身動き取れなくて困っていた時、ヘイリーは一番最初にかけつけてくれた。

「どうして、助けてくれたの?」

「え……」

 思ってもみない事を言われたみたいなヘイリーの声。「そ……そんなの、決まってんだろ……」常に堂々としている彼には珍しくどうも困惑しているらしい。もにょもにょとはっきりしない声が聞こえる。

「お、おれはただ……あの時の詫びがしたいっていうか、子供だったけど、言い方があるよなって思って、それで……だからなんていうか、お前の手助けがしたかったっていうか」

 ヘイリーは幼い頃に仲違いのきっかけを作った事を後悔しているらしい。

 どうして突然ヘイリーが過去のあやまちを謝罪したいと思ったのかは知らないが、そういう事なら納得がいく。彼は誰かに謝るのがひどく苦手な子供だったから、なかなかうまく言い出せなかったんだろう。

 本当はもっと何か言うべきだったんだろうけど、あたしは目を閉じたまま息を吐いた。

「もう、気にしてないよ」

 ヘイリーは過去にした事の償いがしたくて、あたしに声をかけてくるようになったのだ。

 だとしたら、もうそんな必要はないと教えなくちゃならない。あたしはもう友達にいやな事を言われてしょげるだけの小さな子供じゃない。落ち込む事があってもそれを乗り越えていけるくらいには成長した。音楽に色が見える事なんてもう誰にも言わないし、その事で深く思い悩んだりしない。

 今日の事も一晩眠れば恥ずかしさは減るだろう。つらい気持ちはうすめる事が出来る。

「だから……そっちも気にしなくて、いいよ」

 言い切ったあと、もう一度息をつく。

 しばらくして、ヘイリーの反応がないのでそっと目を開けた。暗くて、近視なのに裸眼で、ヘイリーの背中と後頭部しか見えない後部座席にいて、何かが視認出来るはずもなかった。でも少し目を凝らしてヘイリーをバックミラー越しに見ようとした。眼鏡がなくちゃ、何も見えるはずがない。ヘイリーが何を思って、どんな顔をしているのか、あたしには少しも分からなかった。

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