17.通の温泉入浴法
「今晩は、キャンデロロ子爵。こんな夜分に押しかけて済まないね」
館の前で俺たちを出迎えてくれたのは、40台半ばぐらいの茶の短髪で肥満体型、身長はアンジェリカと同じぐらいといった容姿を持つ、キャンデロロ子爵だった。
事前に了承を得ていたとは言え、既に人様の家を訪ねるような時間帯では無いので、しっかり詫びはいれておく。
別に、最後の休憩に立ち寄った街で一泊して翌朝にキャンデロロ子爵領に到着しても良かったんだけど、子爵が夜遅くの到着でも構わないと言ってくれたので、今回はその言葉に甘えさせてもらったのだ。
「いえいえ、此方が言い出した事ですので、そのような事は気になさらないで下さい。……今回は、私共の領地をカイル皇子の療養の地に選んでいただいて、誠にありがとうございました。大した持て成しも出来ませんが、ゆっくりと静養ができる様にお手伝いさせていただきますので、何なりとお申し付けください。」
キャンデロロ子爵はそう言って、ポッチャリ……いや、かなりふくよかなお腹を震わせ人の良さそうな笑顔を浮かべて俺たちを歓迎してくれた。
この顔が、本当の彼の資質を表すものでないということは解っている。
この人物は、なかなかに欲深く狡猾な人物だと聞いている。そして俺も、この地を選んでから直接交わしたたった数度のやり取りの中で、そう感じた。
なので、決して隙を見せない様にと、へたり込みたいくらいに疲れている身体と頭に鞭打って、穏やかな微笑みを浮かべて見せた。
「ええ、こちらこそ宜しく頼みます。此方の温泉は、打撲や打ち身に対する効能が優れていると聞いていますので、とても楽しみにしているのですよ」
「ええ。我が領地の温泉の効果は素晴らしいものですので、きっとカイル皇子のお気に召す事と思っております。あとは、今日は長距離の移動でお疲れだと思いましたので、歓迎の宴は明日に予定させて頂いたのですが、それで宜しかったでしょうか?」
「お気遣い感謝します。今日は私達も流石に疲れてしまっているので、早く休みたいと思っていたのですよ」
俺が「疲れている」という事を言った為、キャンデロロ子爵は慌てた様に自分の体で塞いでいた扉を開けさせる。
そうして「部屋の準備はできていますので、今夜はゆっくりお休み下さい」と言って、館内に招き入れてくれた。
俺たちが挨拶の会話を交わしている間に、それぞれの執事や侍女が勝手口から荷物を用意された部屋に運び込んで、部屋を整えてくれている筈だ。このまま部屋に向かっても良いが、彼らに部屋の支度を急がせるのも申し訳ない。
「子爵、良ければ温泉に案内して欲しいのですが……。ルイス達は先に部屋に案内してもらっても構わないけど、どうする?」
ちょっとした時間稼ぎのつもりで、そう皆に声をかけた。皇子である俺がこう言っているのに、自分だけ先に部屋に戻るなんて言えるわけがない事など百も承知だ。
この場でそれが言えるのは、立場的に考えてリリスだけだ。
案の定、全員「一緒に行く」と答えたのだが、リリスには先に部屋に言っておく様に指示をだした。
幾ら回復したとは言っても、あれだけ具合が悪くなったのだから、彼女は早目に休ませた方が良いと思ったんだ。
俺に「馬車から降りるのを手伝え」と言ってきた時も、本当は体調が悪くて足が震えていたのを知っている。夕食も、言うほどには食べていなかった様子なのも、体調が戻っていなかったせいもあるのだろう。
クラックもそのことに気づいていたからこそ、リリスのエスコートを名乗り出てくれてその上抱き上げてくれているのだと思う。あとは、俺の事にも気づいているんだろうね、きっと。
「すまないがクラック、そのままリリスを部屋まで運んでやってくれないかな?」
「もちろん構いませんよ。では、私が戻るまでカイル様はどちらでお待ちくださるのでしょうか?」
「それでは、皆様はティールームに案内しましょうか。従僕に、リリス様の部屋まで案内をしたあと、クラック様をお連れする様に命じておきます」
クラックがリリスを部屋まで送り届ける事を快く引き受けてくれ、その間、俺たちはティールームで一服しながら待つ事になった。
子爵が軽く執事に何事か合図を送る。スッと気配を消した執事がほとんど間を空けずに、1人の従僕を伴って戻ってきた。
クラックはリリスを横抱きにしたまま、その従僕に伴われて廊下の奥へと進んで行く。俺たちは子爵に伴われて、玄関からほど近い場所にあるティールームへと促された。
ティールームに入ると、既に室内が整えられており、テーブルにはサンドイッチやスコーンと言った軽食、チョコレート等が並べられていた。
夕食を食べてから大分時間も経って、丁度小腹が空いていたので、この気遣いは有難い。
日本での妹もそうだったが、女の子ってのは、この時間に食べる事で体重が増える事を酷く気にする生き物らしい。だが、その辺りの事にも気遣ってチョコレートやマシュマロと言った物を用意してくれている辺り、キャンデロロ家の執事は優秀だと思う。
「アフターディナーティーには遅い時間ですし、皆様も小腹が空いているのではないかと思いましたので、変則的に軽い夜食も用意してみました。リリス様にも、甘めのミルクティーとチョコレートを差し入れてありますのでご安心を」
なんと、リリスへもナイトティーの準備をしてくれているらしい。あいつもかなり疲れていたみたいだから、この気遣いはありがたいだろう。
俺たちにソファーを進めてくれながら、執事が「護衛の皆様には、後でお部屋の方に差し入れを届けさせます」と言ってくれた。
ティールームの内外で護衛をしてくれているBSBには申し訳ないが、俺もかなりお疲れだったのでユックリ座らせてもらえるのはありがたい。そしてBSBにも色々と配慮してくれる様なので、彼らには、後でユックリ休んでもらう事にしよう。
俺たちはゆったりとソファーに腰掛け、用意されたお茶と軽食を摂りながらキャンデロロ伯爵の“温泉ウンチク”を聞くこととなった。この話がまた長かった。
話の途中でクラックが戻ってきたのっで、彼にもお茶を飲んで休憩を取る様に進めたんだが、全員がお茶を飲み終わっても、子爵の話は続いていた。
どんな話だったか知りたいか?
入浴方法だけでも纏めてみると、子爵曰く。
1.食前の入浴は短時間が望ましく、食後に入浴する時は十分に休息を取ってから入ること。一番良いのは就寝前。
2.一日の入浴は、3回まで。入浴後には十分な休息を取ること。
3.運動直後や疲労が強い時は入浴を避け、十分に休息を取ってから入浴すること。
4.入浴する前には、かけ湯、かぶり湯をしっかり行い、入浴後には温泉成分を体に残す為上がり湯をしないこと。
5.入浴する時は半身浴から始め、身体が温まってきたら全身浴へと進め、休憩を挟みながら何度かこれを繰り返し、上がる時には全身浴から半身浴へと移行して血行を落ち着かせること。
6.湯冷めを予防するために、しっかりと肌についた水分を拭きとり、汗が引いてから服を着ること。
7.入浴の後は脱水になりやすいので、予防の為にも入浴前後で十分に水分補給をすること。
という7項目を挙げてくれた。俺も日本にいた頃に、家族で温泉旅行に行った時に聞いたことがある内容だ。ネットなんかでもよく見かける内容だよな。
因みに3回入るのであれば、朝食前、夕食前、就寝前と言うのが良いらしい。
語らせておけば、何時間でも“温泉ウンチク”を語り続けそうな子爵を止めてくれたのは、やっぱり、この家の優秀な執事だった。
「旦那様、皆様もお疲れの様子ですので、そろそろ浴場を案内されたほうが良いのではないでしょうか?」
「おお、そうですな! スッカリ温泉の話に夢中になっておりました。……では、浴場をご案内しましょうか」
俺達はにこにことご機嫌な子爵に連れられて、やっと本日最終の(温泉視察という名の)執務へと向かう事になったのだった。
温泉について書いてたら、あと3話はいけそう。
いや、やりませんけどね(笑)




