9 嵐の前の静けさってこんな感じか?
今日のアンジェリカは本当に可愛かった。思い出すだけでも、色々と滾るものがある!
「カイル様、お顔が……」
何度目か思い出せないほどの回想を行っていると、ダニエルに可哀想な子を見る様な目を向けられてしまった。
何時も頬笑みを湛えているダニエルにあんな顔をさせるとは……。俺は一体どんな顔をしていたんだ?
ダニエルから隠す様に片手で顔を覆い、チロリと視線を向ける。
「そんなにか?」
「お気持ちは解りますが、ギラギラし過ぎです。その極地的なフェロモンをもう少しどうにかされませんと。……そのうち怖がられてしまいますよ? お相手は何も知らない少女なのですから」
ダニエルから苦言を頂いてしまった!
余りうるさい事を言わないダニエルに、こんな苦言を言わせてしまう程、今の俺はアレな状態らしい。
でもだな! 俺にだって言い分はあるぞ?
「だが……、節度を守った触れ合いしかしていない、と思うのだが……」
髪に触れたり、肩を抱き寄せたりはしているが、唇へのキスはしていない。それ以外の場所へのキスと言っても軽く唇で触れる程度だ。どれも、中学生並みの軽いスキンシップだろ? いや、今時の中学生は進んでいるらしいから、それ以下の触れ合いかもしれない……。
抱きしめるのですら我慢していると言うのに、それ以上俺にどうしろと?
言葉以上の不満が顔に出ていた様で、ダニエルは“やれやれ”と言わんばかりの顔をしている。
その顔は俺が子供の頃によく見せていたものだった。どうしようもない弟に向ける様な……。
やめて! そんな目で見ないで!!
まるで俺が駄々をこねているみたいじゃないか!
俺は『年頃の男の子』として、当然の主張をしているだけの筈だぞ? 残念な子扱いは、心外だ!
でも、次にダニエルに言われた内容は納得せざるを得ないものだった。
「他の事に気を紛らわせるのではなく、只々理性の力で衝動を抑えていらっしゃるせいで、フェロモンが増強している様です」
ナルホド……。要するにアンジェリカは、俺の溢れ出る下心に戸惑っているのか……。
それは、怖がられて当然だな。
何とか制御しないとな……。必死で色々と我慢しているのに、それが原因で嫌われたりしたら堪らない。
「次から衝動を感じた時は、執務等嫌な作業の事を考えると頭が冷めるのも早くなりますよ」
「解った。出来る限り善処しよう」
俺の考えなどお見通しのダニエルが、有難い助言を授けてくれた。
彼女から与えられるものは、痛みであろうと何であろうと真正面から受け止めて消化していきたかったのだが、怯えられては意味が無い。
彼女の様子を見ながら、少しずつ慣れてもらうことにしよう。
「ふむふむ」と今後の『触れ合い計画』を練る俺に、ダニエルは小さく苦笑していた。
だから、その残念な子を見るような視線を何とかして! 結構、傷つくんだからな!!
俺の側近候補たちへの更正計画は、今の所はまずまず順調に進んでいると言える。
折に触れヒューイとダグラスには、現実に目を向ける様、それとなく苦言を呈している。ヒューイには最悪でも、婚約者の汚点にならない行動する様にと言い聞かせているのだが……。それに対しての動きは未だ見ない。
俺がこれだけ働きかけているのに、それでも彼らが「君のために全てを賭けて」と考えるのであれば、俺は国を導く者として、それ相応に対応するしかない。
俺が“友人”として彼らにできる事は、苦言を呈する事ぐらいなのだ。公的な立場で彼らを見るなら、行動を改めない時点で見限るしかない。
俺が奴らの更正を待てる期限は、学園に在籍している間。皇子としてじゃなく、“学生”として存在していられる間だけなんだ。
その間に彼らに変化が無いようなら、俺は彼等を切り捨てるしかない。今の状態では、彼等はこの国にとって害にしかならない。そんな奴らを、国の中枢に置く訳にはいかないんだ。
奴らが早くその事に気付いて、自分の行いを見つめ直してくれれば良いのだけど……。
……ロバートは……、まあ、放置で。
あいつに色々な事を理解させるのは、俺には無理だ。ロバート言語の習得からとか、面倒臭過ぎる。
それに……、ルイスの希望もあるし、な。
俺は、脳筋馬鹿の将来よりも、優秀な親友であり、将来の義兄の子供の頃からの望みを選ぶ。
それから、ビッチに関わらないという選択肢は早々に諦めた。ゲーム補正が掛かるのか、どう行動しても遭遇するし、ミニイベントが起こってしまうんだ。下手に避けようとすると、周囲にも影響が出て、更にややこしい事になる。
あの、アンジェリカとのアフタヌーンティーデートに乱入された時みたいに、な。
という事で、俺はビッチを避ける事を辞め、代わりに次々とフラグを叩き折ってやっている。ビッチが何をしようと好感度が下がる、“鬼仕様”ってやつだ。
この間なんかは、イングリッシュガーデン風の中庭で、二人きりで話す状況が出来てしまった。それだけでもかなり苦行だったのだが、さらに哀れむ様な瞳で見つめられた上。
「カイル様は大きな責任を抱えて苦しいでしょうに、いつも笑顔で悟られない様にされているのですね……。でも、それではいつか限界がきてしまいますわ。……せめて私の前では無理に笑わないでください。そのほうが、私は嬉しいです」
とか、知ったか顏で言われて、本気で切れた。
白鳥だって、水面では優雅に泳いでいる様に見えるが、水面下では溺れない様、沈まない様に必死で足を動かしている。だが、皆に見せるのは優雅な部分で良いんだ。少なくとも俺はそう思っている。
必死で努力している事を知られていたとしても、それを自分から吹聴するつもりはないし、あまつさえわざわざ暴き立て「解ります」なんて共感されるのは唯の屈辱でしかない!!
ゲームのカイルは努力を認めて、共感してくれる事を望んでいたようだが、俺にとってその言葉は、正に“逆鱗”だった。
必死に取り繕って表に出さない様にしている事を、ドヤ顔で暴きたてられ「私だけは、貴方の苦しみを知っています」なんて言われたら……。
アンジェリカやルイスも、俺の努力や苦労を知っているし、認めてくれている。でも、表立って「お前が努力してる事、知ってるよ」なんて絶対に言わないし、俺が無理をしている様なら、そっと手を貸して支えてくれる。
それが本当の気遣いだと、俺は思っている。
ミシェルの様に、言葉で「解ります」と言うだけで行動が伴わない物は、唯の偽善だ。しかも、大して親しくもない相手に対して、掛ける言葉じゃないだろ?
なので俺は、ビッチの言葉をありがたく受ける事にした。ビッチに対しては、一切、貼り付けた笑顔すらも向ける事を辞めた。
そのお陰で、かなりのストレスが無くなったよ? 正に、不幸中の幸いってやつだよな!!
その事に対して、空気の読めないロバートは、「どうしたんだよカイル?女の子にそんな顔するもんじゃないぜ!」なんてウインク付きで言っていた。しかし俺が、「笑っていないほうが嬉しいと言われたからな」と答えれば、あっさり納得してしまった。
ほんとに……お前って……。
アンジェリカは今でも、俺の知らないところでビッチや攻略対象達に嫌味を言ったりしている様だ。しかし、ゲームでカイル攻略ルートに入った時の様に、嫉妬に狂った感じは一切ない。俺から示される重すぎる愛情は、不安を感じる隙もないのだろう。
そして、至極尤もな事しか言わないアンジェリカは、当事者たち以外の生徒には好評の様で、悪い噂は一切聞こえてこないのだ。
面白いほどに、思い通りに事が運んでいる。後は、今日のあのイベントを乗り切れば、俺的には一区切りつくな。
俺はルイスと最終打ち合わせを行うため、連絡を取った。




