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第七話 冤罪

 食堂での話し合いから一週間が経った。

 菊花はこの一週間にわたって本当にすることがないので、今日も図書室で時間を潰している。見ているのは難しい文字ばかりの本ではなく、絵で説明される地図だった。まだこの世界の文字が読めない菊花でも、地図だけは頭の中に入れることが出来る。それに速水京子との約束を思い出したこともあって、図書館に通うことを止められなかった。


 何故、菊花のすることがないのかと言えば、元々罪人たちは訓練には混じることができないのに加えて、唯一の菊花の役目だった菫の世話もここ一週間は瑠奈が付きっきりで行っていた。いや、正確には、瑠奈の所属するグループの女性メンバーが交代で、菫の面倒を見ているのだ。


ならば菊花も訓練に出ればいいのだろうが、最近は他の異邦者の目つきが厳しい。

 どうやら速水京子、並びに両崎茂を誘拐したのを手助けしたのが菊花だと、大部分の異邦者たちは本気で思われているらしい。

 またその余波か、菊花には常に騎士が二人もつくようになった。

もちろん大和純平からは襲われた時のための護衛、と言われているが、あいにく菊花はそうは思わない。むしろこれは自分を監視するために用意された物だと思っている。異邦者の中からそういう声が多かったのだろう。

騎士たちは菊花の自室まで入ることはないのだが、その時も部屋の前で待機しているのを想像すると、とても肩身が狭い思いをしていた。


 菊花としては既にここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、菫がいる状況だとそうはいかない。今は瑠奈が殆ど面倒を見ているとはいえ、彼も現在の菫の保護者という自覚はある。あくまで瑠奈は他人であって、菫の血縁者は菊花一人。そんな状況で菫を置いて逃げるなど、菊花はできなかった。

 どうしようか、と深く悩みながらまた菊花は地図を眺めた。


 結局、今日は図書館で本を読んでいたことが昼食時までそれが続いた。

 菊花は昼食時が憂鬱だった。

 何故なら、他の異邦者たちと顔を合わせるからだ。

 基本的に自由席である食堂において、最近の菊花のポジションは決まっている。端の席だ。もちろん隣や向かい側には誰も座らない。それだけならまだいいのだが、最近は目つきが特に厳しい。

 どうやら異邦者たちの多くが菊花に騎士をつけて観察して何も見つからないのは、ぼろを出さないだけだと思っているらしい。現実にあれから異邦者の失踪事件は影を潜めている。

 菊花としては自分が監視されている間に失踪者が出るのが望ましいが、あれから一週間。まだ屋敷内は静かなままだ。

 そして菊花は数々の視線に晒されたまま昼食が終わった。

 数々の異邦者たちが自分たちの訓練に向かって、菊花も逃げるようにそこから立ち去ろうとした時、それは起こった。


「――おい、お前、どこに行くつもりなんだよ?」


 それは体育部メンバーの一人だった。

 身体に紋章を持つ男の一人だ。

 体育部メンバーは菊花を疑っている筆頭とも言える。


「オレたちを攫うために作戦を練るんじゃねえの?」


 もう一人も体育部メンバー。

 こちらは固有の紋章を持たない。

 二人に絡まれた菊花は、小さく舌打ちをした。


「――おい、ついてこいよ」


 最近は――そういうことも増えたのだ。

 二人は菊花を連れて誰も目につかない場所へと移動した。森の中だ。周りには木しかない。ちなみに騎士は着いて来ているが、知らんぷりをしている。

 一人がそこにつくとすぐに、菊花の腹を殴った。

 菊花は呻いて、地面へと転がった。


「速水さんはどこに拐われたんだよ!」


 地面に横たわった菊花の上に、男の蹴りが落ちた。

 菊花はそれを受けるも、何も言わない。言えなかった。“こういうこと”が始まったのは一週間前。あの日からだ。初めは抵抗して、逃げていたのだが、そうすると彼らはイジメをエスカレートして紋章術を使い出す。火で燃やされたり、雷を撃たれたりするよりかは、単純な暴力のほうがまだいい。

 四日ほど前に大きな火球を身に受けた時は、死ぬかと思ったのだから。


「おい、何か喋れよ? 次は誰を狙うつもりなんだ? 小泉さんか? それとも俺か? 誰なんだよ!」


 また別の男は何も応えない菊花へと苛つくように蹴った。まるで菊花はサッカーのボールの扱いだ。

 菊花はまた呻きながらそれを受ける。紋章術などのブーストがないと言っても、男子高校生の蹴りは強烈だ。

 騎士は――助けてくれない。護衛として菊花についているという名目だが、実際は監視だ。また体育部グループは騎士派とのつながりが深い。おそらくこの場は見逃しているのだろう。いや、自分という犯人を炙り出すために行っているのかもしれない、という考えも菊花は浮かんでいた。


「お前って、何も出来ないくせにタダ飯は食って、俺達を売って、本当にいい気分だよな!!」


 また男が菊花を蹴る。ご丁寧に服の下の胴体が多い。そのため最近は身体は青い痣だらけだ。

 菊花は言い訳もしない。

 最初は「違う」などの言葉を言っていたが、それを彼らは聞くと、「罪人が嘘を言うんじゃねえ!」と殴られるのだ。物的証拠がないと主張しても、結果は蹴られて終わり。それが何回も続くと、菊花は意見を言う気も失せた。最近は黙って暴力を受けていることが多い。

菊花は数々の打撃によって、思考が回らなくなっていた。

 口からよだれを垂らしながら、土まみれになって生気のない目をしていると、ようやく彼らは諦めた。


「……行こうぜ」


 一人はとどめに菊花に小さなかまいたちを起こして腕や腹に切り傷を作り、


「クズ野郎が! お前なんて、ゴミ以下の存在だよ!」


 もう一人は菊花に唾を吐いて去って行った。

 菊花は暫くの間、体が楽になるまで地面の上に転がっていた。

 ぴくりとも体を動かさない。

 動かすと痛いからだ。体から熱海が引くまで、菊花はその体勢を維持し続けた。


 目は開けている。

 だが、そこから入る景色は酷く無機質なものだった。

 騎士は自分を汚物か産業廃棄物を見るような目で見下し、木々からは色が失ったようだ。空は雲によって覆い隠され、灰色に染まっている。二つの大きな太陽さえ見えない。また飛んでいるのは小さな虫ばかりが、数百にもわたって集まり、人の悪意のようにうごめいている。どれも見たことのない虫の羽音が、菊花には耳障りだった。

 頬から伝わる土は冷たく、自分から体温を奪っていく。耳に聞こえる音といえば、風のさえずりと、騎士たちの苛つく舌打ちのコーラスが菊花の感情を撫でる。

 菊花は、その状態を十数分も維持していた。



 ◆◆◆



 傷めつけられた体で屋敷に帰った菊花は、すぐに自室に向かった。

 医療施設によるのも嫌だった。

 誰とも顔を合わせたくないのだ。

 一人になりたかった。

 土などを払って、ベッドへと菊花は横になる。

 部屋の前に騎士たちはいるが、この部屋には誰もいない。どんな視線にもさらされることはない。

 そうすると、菊花には酷く楽だった。

 状況は依然として変わらないのに、癒やされたようにも錯覚する。

 このままいれたらどんなに楽だろうか。

 菊花はベッドに寝たまま獣のように傷を癒やしていると、やがて扉をノックされた。最近は小泉瑠奈に加えて、鬼瓦宗敦や佐竹秀も訪ねて来ない。


「誰だ……?」


 菊花はおそるおそる扉に近寄って聞くと、


「佐藤だよ。佐藤秀吉だよ。どうせまた殴られたんだろ、薬などを持ってきたから開けろよ」


 元気で明るい声が聞こえた。

 菊花が扉を開けると、そこには佐藤秀吉がいた。彼の手には消毒薬や包帯などを山ほど持っていた。

 菊花が部屋の中まで彼を招き入れると、佐藤は丁寧な手つきで上を脱いだ菊花の怪我を治療していく。消毒液を塗られた菊花は、それが傷に沁みるので少しだけ顔を顰める。


「なあ、等々力……」


「何だよ?」


 菊花の背中を治療している佐藤は、消毒液を塗りながら話をする。


「お前、つらくねーの?」


「つらくないわけがないだろうが」


 菊花は溜息をついた。


「じゃあさ、どうしてこの状況に耐えているんだよ?」


「耐えるしかないだろうが。憂いたって仕方ねえよ」


「そうか……」


「そうだよ……」


 佐藤は次に包帯を巻いていった。


「なあ、等々力」


「何だよ?」


「……オレさあ、今さあ、他の異邦者の遠征に付き合っているだろ? 内容は雑用なんだけどさあ、少しでも元の世界に帰る努力がしたくてさあ」


「ああ」


 菊花もその話は知っていた。

 最近は異邦者の訓練が一歩進んで、受動的に紋章術や剣術などを学ぶことから、能動的な実践訓練へと移行していた。

 その相手は様々だ。村を脅かす獣の時もあれば、少人数の盗賊の時もある。また最近は国中で端から徐々に隣国から攻められているらしく、その防衛など、異邦者の技量や持っている紋章に合わせて多岐に渡る。

 そんなどこかに出向く訓練のことを、異邦者は遠征と読んでいるのだ。


「で、さあ。明日からさ、その遠征がまたあるんだよ」


「ああ」


「行く場所は、“魔獣”がいるところらしいんだけどさあ」


「ああ」


「等々力も一緒に行かないか?」


「……」


 菊花はすぐには答えられなかった。

 魔獣のことも菊花は知っていた。前に神官たちが食堂で簡単にその形態を説明していたことがあるのだ。

 いにしえからの伝承によると、魔獣とは悪しき神が呪いを起こした獣がなるらしく、それは人を害するらしい。彼らの特徴としては黒い血を持っていて、酷く凶暴なこと。また通常の獣よりも強く、大きいらしい。


「等々力の評価もさ、皆に協力すればちょっとは変わると思うんだよ」


「そうか?」


「きっと、そうだよ」


 断定する佐藤。

 その時にはもう菊花の怪我の治療は終わっていた。

 菊花は彼の言葉に少しだけ悩むが、異邦者の中で自分の評価が少しでも上がるなら遠征に行ってもいいと思えた。


「……分かったよ」


「本当か! よーし、皆に等々力は裏切り者じゃないって、知らしめてやろうぜ!」


 佐藤の明るい声に菊花は乾いた笑みを送った。

 だが、佐藤はそんな菊花に気付いてもおらず、弾むような声で明日どうやって菊花の評価を上げようか話している。

 こうして、菊花は佐藤の強い押しによって、遠征に付き合うこととなった。

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