第六話 疑惑
翌日、速水京子の姿が屋敷内にないことはすぐ異邦者全員に知れ渡った。
何故なら朝食時に彼女が食堂に来なかったからだ。誰も知り合いのいなかったバスの運転手――両崎茂とは違い、速水京子は大きなグループに所属していた。友達が多かった。彼女の安否を心配する者は多く、何人かは彼女の部屋まで探しに行ったが、既にもぬけの殻。この屋敷の警護をしている騎士などに尋ねると、正面玄関からは誰も出ていないとのこと。
それを受けて、すぐに生徒会長の大和純平が指揮を取って、すぐに全員で屋敷内を探したが、彼女の姿はどこにも見えなかった。
それから――異邦者たちは再度食堂に集まった。もちろん午前の訓練は大和純平の希望のもと、注視になった。彼いわく、このままだと訓練を集中して行えないとのことらしい。
そして集まった理由は、仲間の一人が失ったことを受けて、それについて話しあうため。
犯人探しのための情報収集も兼ねているのだろう。
誰が犯人かは、未だ不明だった。
「今日はオレたちの仲間の――速水京子さんがいなくなったことについて話しあおうと思うんだ。オレたちは全員が一蓮托生の仲間だ。その一人がいなくなった。これは大変な事態だと思っている」
大和純平は異邦者たちの前に立って語り始めた。
その瞳には激しい炎が宿っていた。
「でも話しあうって……何を?」
生徒会メンバーの一人である女性が言った。
「速水さんがどこに行ったか、それとも拐われてどこに連れて行かれたかは、騎士団の人たちが探してくれている。だからオレたちはこれからの気をつけ方と、昨日の彼女に何があったかを確認したいと思うんだ。まず聞きたいんだけど、昨日、彼女の悲鳴を聞いた人はいないよね?」
大和の言葉に頷く者はいない。
どうやら誰も心当たりはないようだ。
それを受けて、また彼の話は続いた。
「じゃあ、彼女と最後に話をした人はいる?」
また、誰も名乗り出ない。
それから数秒が経った。
一人が立ち上がって、おずおずと手を上げたのは、体育部グループの一人の女性だった。メガネをかけていて、髪は三つ編みにまとめている女性だ。菊花は彼女を学校で見たことがないので、学年や名前などは分からない。しかし、体育部グループは女性メンバーが少ないので、彼女は特に速水京子と仲良くしていた節がある。
「あのー」
すぐに視線が彼女に集中された。
だが、彼女は前に立つ純平を見ておらず、確実に菊花を見ていた。
「君が最後に会ったんだよね? その時はどうだった?」
「……いや、私が最後に会ったかどうかは分からないんだけど、はやみんは夕食が終わった時に、等々力菊花さんの所に行くと言っていたんだけど……」
その言葉と同時に、全ての視線が菊花へと移り変わった。
菊花はまるで多方向を銃口で見られているような、緊張感を覚えた。
「等々力くんは昨日の晩に速水さんと会ったの?」
「会った」
純平の言葉に菊花は頷いた。
「その時は他に誰かいた? もしくは速水さんといたことを証言できる人はいる?」
「菫がいた」
菊花は隣に座っている菫の頭を撫でる。
彼女はそれがくすぐったいのか、少しだけ笑う。
「それが昨日の最後の彼女の姿だったんだね?」
「いや、それは分からないんだ。少し話した後に、速水さんは部屋を出て行ったから。ちなみに行き先は聞いていない。おそらくは部屋に戻ったと思った」
「そうなんだ……」
純平は菊花からの情報が少しの役にも立たないことに落ち込んでいた。
だが、粘っても他に有力な情報は出ない。
彼女が自室に帰ったのは確かだろうと純平も考えたが、その先は誰にも分からなかった。何故なら彼女の隣の部屋に住んでいる者や正面に住んでいる者には悲鳴などは聞こえず、昨日も静かな夜だったらしいのだ。
それからすぐに調査は断念したので、純平は次の議題に移ろうとした。
「残念だけれど何も分からないようだから、これについての対策に移ろうと……」
――だが、その時に食堂に入ってきた者がいた。
貴族の――トルべ・フェアファクスだった。今日は鎧の上に赤いサーコートを羽織って、腰には鮮やかな細剣が身に付けられていた。
軍靴を食堂に響かせながら純平の元まで行って、その足元に片膝をつけて進言する。
「純平様――」
その声には威厳があった。
「速水さんの行き先は分かった?」
しかし、純平の言葉にトルべは明るい表情を見せない。
「いえ、何もただ……」
「ただ?」
「ただ、こんな状況になりましたので、もう一つお伝えしたいことがありまして……」
「何? 言ってみてよ」
「実はあなた様方がこの国に来て二日目でしょうか。その時にそこにいる等々力菊花様から、一人、あなた達のお仲間が見えないとの情報がありまして。聞いた所によりますと、その時にも似たような事件が起こっているのです」
トルベの言葉に異邦者のほぼ全てが驚愕した。
それをしていない者は、五人。菊花、菫、鬼瓦宗敦、佐竹秀、小泉瑠奈だ。彼らには事前に帰化がその事件の概要を話しているので、トルベからの情報に何も驚きはしない。
だが、純平は違った。
「等々力くん、何故、そのことをオレたちに言ってくれなかったんだ? もしそれが本当なら、もっと皆で話し合って対策を練って、速水さんのことも事前に防げたかもしれないのに」
激しい怒りを菊花にぶつけた。
だが、菊花は椅子に座って純平から目を外したまま。何もいうことはなかった。
そこに、トルベが割って入るように告げた。
「――純平様! 申し訳ありません。全ては僕の判断なのです!」
「君の……判断?」
「ええ! こんなことが公になれば貴方様方が混乱になると思って、我々騎士団の者が独自に調査をしていたのです。もちろん、屋敷の警備もそれからより強固にしていました。隠していて本当に申し訳ありません」
トルべが平伏して誤ると、純平は諦めるように溜息をついた。
そして、再度菊花から今度はバスの運転手――両崎茂の件を聞いた。このことについては代表して菊花が告げたが、その時の部屋に外の三名もいることを付け足して述べた。
また純平が両崎を最後に見た者について述べると、やはり誰も現れず、これも最後に見たのは暫定的に菊花たちとなった。
「……トルべさん、隠していることはこれで最後ですか? それに等々力くんも」
純平は全ての情報が集まったことを二人に確認するが、まだトルべの顔は青い。
「いえ……実は……まだ……」
「まだなら、全ての情報をオレたちに伝えてください!」
純平が強く断言すると、トルべは少しずつまた口を開いた。
「実はこの屋敷を警護しているのですが、それには二つの方法を取っています。一つは騎士たちによる見回りなどの警護。それともう一つは――紋章術を使った警護です」
「紋章術? そこを詳しく教えてもらっていいかな?」
「はい。紋章術は扉を固くしたり、窓ガラスを開けないようにしたり、といった直接的な効果はないのですが、侵入者が屋敷内に入った時に反応するように仕組まれております。そしてあなた達がこの屋敷に来て以来……その紋章術が反応したことは一度もありません」
「つまり?」
純平の目が厳しくなった。
「言いたくはないのですが……貴方様方の中に……今回の誘拐でしょうか? それを手助けしている者がいると私ども騎士団が思っているのです」
そのトルべの発言をきっかけにして、異邦者たちがざわめき出した。
誰が速水を売ったのか、誰に売ったのか、隣にいる者から疑い始める。元々、異邦者たちは全員が強固な絆で繋がれた仲間、というわけではない。またクラス単位や学校単位で分けられた規律ある集団でもなく、話したこともない者が多数いる中で無作為に選ばれた集団なのだ。
その関係は――酷く脆い。
「皆、落ち着いて!」
純平の言葉に異邦者たちは一旦、その動きを止めたが、誰もが疑いの目を向けてあっている。
その中で体育部メンバーの空手部主将が立ち上がって、一人を睨みつけて叫んだ。
「この中で誰が一番怪しいか? もう実は皆、分かっているのではないか?」
誰も名乗り出ない。
だが、彼の瞳は――確実に菊花を射抜いている。
「――等々力菊花。速水さんともう一人の最後の姿を見たのは君だ。だとすれば、君が一番怪しいと思うのは当然ではないか?」
その発言に、異邦者たちは示し合わせるように菊花を見た。
その中には「そういえばそうだ」や、「偶然が二つも重なるってありえるのか?」や、「両方を最後に見た彼だけが、被害に会った人の一人になるタイミングが分かる。だとすれば――」などと、その考えは加速した。
「等々力くん、何か反論はあるかい? それとも、君が昨日も、そして初日に夜も、誰かといたということは証明できる?」
純平の発言に、菊花はゆっくりと答えた。
「隣にいる菫といた」
「だが、部屋で一人になった後にはアリバイがないだろう?」
空手部主将が追撃するように菊花を攻めるが、
「残念ながらこっちの世界に来てからはずっと菫と寝ている。菫の部屋も用意されてはいるが、殆ど俺の部屋にいるんだ。だよな、菫?」
菊花は隣にいた菫の顔をのぞき込んだ。
「うん! ずっと一緒にいた!」
菫は元気に答えた。
その発言に何人かはほっと溜息をつくが、空手部主将は違った。
「――信じられないな」
「何?」
菊花の瞳が厳しくなった。
「だから、信じられないと言っているんだ。その子ぐらい小さければ、騙して抜け出すことも簡単なんじゃないか? それにどうして彼女が君の部屋にいるんだ? 君がアリバイ作りのために呼んだんじゃないか?」
疑い出したら人は止まらない。
空手部主将の考えでは、既に菊花を犯人と決めつけていた。
だが、裏切り者の手がかりが全くない状況では、一番怪しいと思えるのが菊花という意識を持っている異邦者は彼だけではないようで、その意見に賛成する者も多い。
「それは暴論なんじゃねえか? そもそも菫が俺の部屋にいるのは……菫がいたい、って言ったからだぞ」
「だからそれも怪しい、と言っているんだよ! そもそも君は昨日の晩に速水さんと何を話していたんだ? 接点も殆どないはずだろ?」
「……この左腕の刺青について相談されたんだよ」
菊花は自分の左腕を指差した。
「……信じられないな。実は君が速水さんを呼び出したんじゃないか?」
「いや、急に部屋に来たんだよ」
そんな菊花の話を無視するように空手部主将は純平へと方向を変えた。
「……それも信じられない。そもそも初日に人が消えたという点を、オレたち皆に黙っていた時点で怪しいんだよ、君は。だから君の言うことは何一つとして信用出来ないね。もしかしたらまだ隠していることがあるのかもしれない。大和君、オレは訓練に向かわせてもらう。こんな裏切り者と、一緒の部屋になどいたくはないからな」
彼は最後に菊花を睨んでから食堂から消える。
その後には何人かの異邦者がついて行った。どうやら彼らは体育部グループのメンバーで、そのリーダーである空手部主将の言葉に付き従うらしい。
何人かが食堂から消えてから、今度は純平が菊花を怪しむように言った。
「等々力くん、どうなんだい? まだ隠していることはあるの? あるんだったら、君を信用するためにも言ってほしい」
「いや、何もない」
そもそも菊花の持っている情報でさえ少なすぎるのだ。
何も知らないに等しい。
「そうか。また、分かったことがあったら僕達に教えてくれ。言いにくいようなら僕だけでもいい。分かったね?」
「……分かった」
その菊花の発言を最後にして、今日の話し合いは終わった。
菊花に近づく者は誰もいない。宗敦や秀でさえも。
瑠奈は菫を連れて行った。曰く、「今のあんたに菫ちゃんは任せられない。もしかしたらあんたが菫ちゃんを利用している可能性もあるからね」とのこと。どうやら瑠奈も可能性の一つとして、菊花を疑っているようだ。
そして人が少なくなった食堂で、菊花はゆっくりと息を吐きながら天井を見上げた。
――まさか、こんなことになるとは思わなかった。
それが正直な彼の感想だった。
「可哀想に。一緒に部屋にいて話しただけであんたが疑われたのは、オレは言いがかりに限りなく近いと思うぜ?」
だが、そんな中で一人だけ、孤立した菊花に近づく者がいた。
男だ。染めてあるのか明るい茶色の短い髪をつんつんに立たせている。糸目が特徴的で、小さな耳には銀のシンプルなピアスが付けられていた。
「オレか? オレは佐藤秀吉って名で、あんたと同じ側の人間だぜ」
佐藤は自分の左腕を指差した。
どうやら彼の――罪人らしい。
「それで俺を庇ってくれるのか?」
「いや、オレもそれほど力がないからな。ま、同じ罪人同士仲良くしようぜ」
佐藤は自分の右手を差し出した。
菊花はそれを強く握った。
菊花にとって、新しい友人が出来たのだった。