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第五話 不協和音

 菊花たちの運命の日から一週間が経った。

 現在は午後だ。異邦者たちはあの草原で変わらず訓練を続けている。もう大部分の者が初心者用の手袋を卒業して、個々の適正や希望に合わせた紋章を紙に描いてもらって、それを使って紋章術を発動させている。風や火を生み出したり、はたまた無から水を出したり、または土を剣の形に精製したり、と様々な紋章は異邦者の子供心をくすぐった。その講義を休む者など殆ど現れなかった。


 異邦者は紋章術についてはずぶの素人と言っても徐々にこなれてきており、簡単な紋章なら自分で地面や紙に描く者さえ現れてきた。それに神官たちは驚嘆していて、事あるごとに「君は十年に一人の天才だ」などといった言葉も送られることが多い。


 だが、あくまでそれは異邦者の大部分であって、少数派はそうでもない。

 ――罪人。刺青を持つ者達は既に訓練を諦めていて、訓練に出ないものさえ現れた。最初の三日程度までは神官に付き合ってもらって、オドを流してもらう練習をしたのだが、結局誰一人として手袋を光らせることはおろか、オドの気配すら感じられるものもいなかった。

 それについて神官の一人はこう説明した。


オドというのはこの世界に満ちた神の気とも言えます。人は神によって生まれたので、相性がいいのですが、あなた達はそうではないようです。あなた達のような人はあまり歴史にも現れていませんが、曰く――神気オドが寄り付かないのでしょう。私達もあなた達が諦めないのであれば、訓練には付き合いますが、早めに諦めてもらったほうが気は楽になると思います」


 と、冷たい声色で告げられた。

 紋章術については初めて見る異邦者よりも、この世界に住んでいる彼らのほうが詳しいので誰もがその言葉を最終的には受け入れた。中には粘って、「どうしても使う方法はないのか」と質問した者もいたが、「ありません」と切り捨てられるように言われた。


 その言葉の裏には、おそらく無駄な訓練に付き合わせるなや、芽の出ない種に水をやってどうなる、といったニュアンスも含まれているのだろう。

 そんな事もあってか、罪人たちは最早今では誰も紋章術を訓練していなかった。


 ある者は訓練をさぼって飯時には帰ってくる生活を送ったり、国王の許可を得て図書館に入りこの国の簡単な――絵本に近い文学を見ている者もいたり、はたまた菊花たちのように訓練場に来ている者もいた。

 今日も草原の上で異邦者たちは訓練をしている端で、菊花は菫と追いかけっこをしたり、周りに生えている野生の花を集めて冠を作ったりしている。紋章術を諦めてから最初の一日は菫とずっと自室にいたのだが、今は菫の希望によって外で遊ぶことが多い。


 気を紛らわせたいのだろう、と菊花は考えている。

 菫は元の世界に帰れないことは理解しているが、それでもまだまだ親に甘えたい年頃だ。晩になると母や父の懐かしい記憶が蘇って泣き出すことも多い。菊花はその度に慰めるのだが、最近はどうやらますます精神が不安定になっている気がする。疲れるまで泣いて、寝落ちすることもよくあるのだ。

 もしかしたら、この国の異様な雰囲気に菫はついていけてないのかもしれない。


 何故なら――彼女も“罪人”だからだ。


 そんなこともあってか、菊花はできるだけ菫のわがままを聞くようになっていた。少しでも回復してくれたほうが、彼としても安心できるのだ。

 だから、今もこうして草原の上に胡座をかいて、菫と花の冠を作っている。菊花はその作り方を知らないのだが、彼女はもともと知っていたようだ。


「見て、見て! ね、菊花! 凄いでしょう?」


 少々形は歪だが、円形になった花の冠を見て、菊花は微笑んだ。

 だが、まだ小さく菊花が「被るのならもう少し大きくしてくれ」と言うと、彼女は笑顔でまだ花を編み出した。


 その隣で、菊花の目線は他の異邦者に向けられる。

 どうやら今のところ紋章術が一番進んでいるのが、大和純平の生徒会グループらしく、総勢は八人程度だが聖痕スティグマを持つ彼を筆頭に次々と新しい紋章術を会得している。


 また、そのグループの中には菊花の友人である鬼瓦宗敦も含まれていた。どうやら大和純平本人から一緒に訓練をしないかと四日ほど前に誘われたらしい。菊花のいたグループは二日目から瑠奈が体育部のグループに入り、またその中の半分が罪人ということもあって、ほぼ解散に近い形で別れていたこともあってか、大和純平も鬼瓦宗敦を誘いやすい雰囲気が出来ていたといえる。特に宗敦の紋章は――武器生成、という珍しい紋章と類まれな紋章術の才能もあってか、異邦者の中でも重宝されている。


「僕はね、ここの形はシンメトリーが美しいと思うんだ! だからそうしよう」


 菊花の耳に佐竹秀の声が強く響いた。

 異邦者の訓練の中で最も盛り上がっているグループといえば、佐竹秀の属するところだ。全員が学生で、顔や名前を共に知っている気心が知れた者達が五人ほど集まったらしい。実はその五人とは菊花はあまり親しくはないのだが、秀は話が合うらしくその中の一人が秀と仲がいいので、グループに入れてもらったらしい。


 人数は多くなく、また希少な紋章持ちも集団に一人しかいないので、しっかりと足を地につけた訓練を行っているらしい。上達速度こそ早くはないが、誰もが実力は徐々につけてきている。


「全然出来ないしー」


 茶髪に短いワンピースと、この世界の服をギャル風に改造した菊花と同じ学校の生徒と――


千奈ちなちゃん、ファイトです!」


 二十代前半頃のまだ若い女性が集まったグループに菊花の目線は移った。

 そこは老若男女様々な者が集まったグループで、人数はもう六人も集まっており、大人もいるので安定した訓練が続けられていた。両崎がいなくなった今、二十歳を超えるだろう大人は四人しかいなくて、残りの大人は全てそのグループに所属していた。もちろん菊花の学校で数学を担当している三十代ほどのメガネをかけている数学教師もそのグループに入っているに近い。


 またこのグループには特色があって――罪人が一人いるのだ。二十代前半頃の女性が、刺青持ちだということを菊花は知っている。だが、彼女は上手くグループに溶け込んでおり、仲間の一人として認められているグループだった。


「ね、ね、菊花! これでどう?」


 そんな事を考えていると菫は出来上がった花の冠を菊花の頭の上に乗せて、にこやかに笑っていた。菊花もそれを貰って「ありがとな」と少し乱暴に菫の頭を撫でると、「頭が揺れるよ!」と非難しながらも目を細めて喜んでいた。すぐに菊花の手が離れると、今度は「瑠奈ちゃんのを作る」と菫は張り切っていた。


「ね、ね、菊花。これ、瑠奈ちゃんに小さいかな?」


 菫が小さな手で輪っかを作って瑠奈の頭のサイズを予測している。


「もうちょっと大きいほうがいいんじゃないか?」


 菊花もそれに合わせて、瑠奈を見てから少しだけ頭の様子を思い浮かべて両手で彼の想像する輪っかを作っていた。

 菫もそれを見て、「分かった」とまた冠づくりに勤しんでいた。

 小泉瑠奈が所属するグループは――異邦者の中でも最大グループだ。人数は瑠奈も入れて最多の十三人になっている。


 そのほとんどが菊花の学校の運動部だが、中には文化部の子も含まれていて、全員が菊花と同じ高校で編成されたグループだ。その特色といえば、個人の実力や才能も大きく違っているが、とにかく団結力が強いことだろう。最近は皆の団結力を高めるために、訓練を始める前に円陣を汲むほどだ。その中でも中心角の空手部主将や剣道部のルーキーなどが安定した紋章術を発揮しており、有力な人物も何人かいる優秀なグループだった。


 もちろん、罪人も一人含まれているが、それも含めて彼らは統率力が強かった。生徒会メンバーのように友達同然に仲がいいわけではないが、中心人物が見事にリーダーシップを発揮している。


 菊花がその中でも瑠奈を見ていると、その視線に体育部グループに一人が気付いた。

 瑠奈ではない。別の男だった。同級生の記憶がある。

 確か野球部の一員だった。もちろん髪は坊主で筋骨が大きく、体育部メンバーの中でも紋章術は上手い方だった。また、規律に厳しい人間でもある。


「何を見ているんだ!」


 その者は菊花まで近寄ると、いきなり声を荒らげて言った。

 異邦者や女中、貴族たちの全員の視線を集めた。


「小泉を見ていたんだけど」


 菊花の隣にいた菫は動きを止めていた。


「何故だ?」


「菫があいつのために花冠を作りたいらしくて、そのサイズを予測していたんだよ」


 菊花は正直に言った。

 すると彼の気に触ったのか、小さく吐き捨てるように言った。


「……オレたちが頑張っている横で、能無しが遊んでばかりいやがって……」


 その言葉は小さいながらも全員に聞こえた。

 菫の体が大きく飛び跳ねた。


「あ? 今、何て言った?」


 菊花は座ったまま声を低くする。

 その目は男を睨みつけていた。


「紋章術も使えねえ、能無しが遊びやがって、って言ったんだよ! 聞こえなかったのかよ! この能無しが!!」


 その男は大声で言った。

 まるでたまった鬱憤を吐き出すように。


「何か問題があるのかよ?」


 その男は声をより一層強くして、菊花を見下すように言った。


「あるさ! あるよ! オレたちはな! 早く元の世界に変えるために覇王を倒そうと頑張って訓練しているんだ! それを隣で遊んでなんかいられたらな、集中できないって話だよ! 能なしなら能無しらしく、オレたちに尽くすような行動をしろよ! お前も帰りたいんだろうが! そんな時にな、落ちこぼれの兄妹揃って楽しくおままごとなんかしている場合かよ? お前みたいな奴をオレたちはいらないん……」


「本瀬くん!」


 その男の言葉を遮るようにして、瑠奈の怒りが飛ぶ。

 彼女は本瀬を睨んでいた。また同じグループでは空手部主将は本瀬を睨みつけており、罪人である弓道部子は悲しそうに下を俯いていた。また他の者も悲しんでいたり、怒っていたり、また彼の言葉に賛同できる部分もあるのか神妙に頷いていた者もいた。


 その中でも菫はもう泣きそうだった。

 本瀬は様々な視線に耐え切れなくなって、感情が爆発したことにやっと気がついた。そして自分のしてしまったことに後悔して、冷や汗をかいた。


「あ、いや……その……等々力……ごめ――」


「――良かったよ」


 本瀬が頭を下げて謝ろうとするのを、菊花は止めるように立ち上がった。


「な、何がだよ?」


 本瀬はその反応は予想していなかったのか焦った。


「だからさ、俺の血が落ちこぼれで、紋章術が使えなくてよかったと言っているんだよ。もしも俺の血が有能で、こいつと共に紋章が出ていたりなんかしたら、こいつまで戦争に参加させられるかもしれないからな」


 菊花は作りかけの花冠と頭に乗せた花冠を纏めるように集めて、今にも泣きそうな菫を抱き抱えた。菫はそのまま彼の胸に顔を押し付けるようにして泣く。菊花は相手の謝罪や弁明などを受け取る暇もなく、本瀬の横を通りすぎていつも自分たちが眠っている屋敷を目指した。

 そして様々な異邦者たちの間を通り抜ける時、体育部グループメンバーのリーダー格である空手部主将がフォローするように言った。


「……すまないな。あいつもいつもはあんなんじゃないんだが、この世界に着て、思い通りにならないことがいっぱいあって、心が張り裂けそうなんだよ」


「分かっているさ」


 菊花はそれだけ言って、屋敷に戻って行った。

 草原には不協和音だけが残った。



 ◆◆◆



 菊花はその日の夕食を女中に頼んで部屋まで持ってきてもらった。そしてベッドの上で未だ横になっている菫と一緒に軽い夕食を食べた。他の異邦者たちはいつも通りあの広い食堂で食べたらしい。菫も美味しい夕食を食べたので、少しは元気になった。


 菊花は、明日はもう草原に行くのを止めて、図書館にでも行って、幼児向けの絵本でも借りに行こうかな、と机の上に置かれた花冠を見ながら考えていると、部屋のドアが叩かれた。


「どちら様ですか?」


 菊花はいつもの友人だと思いながら扉に近寄って聞くと、驚いた答えが帰ってきた。


「私は速水京子はやみ きょうこと言うんだが、ちょっと刺青のことで話があるんだが今は時間がいいか?」


 外からは凛々しい女性の声がした。


「分かった。すぐ開ける」


 菊花はそう言ってから、鍵を開けて彼女を招き入れた。

 速水京子は大和撫子という言葉が似合う女性で、菊花の学校でも一つ上の先輩で有名である。まず腰まで伸びた柔らかな黒髪が目について、次に日本人形のように整えられた容姿はとても美しい。スタイルもよく、上流階級出身なので仕草の一つ一つまで艶やかである。それに成績は優秀で、弓道部にも属する文武両道である彼女は、男子よりも女子に人気があることで有名だった。

 そしてこの世界では――罪人の一人として異邦者の中では知られている。


「まずは初対面だから自己紹介だな。私は速水京子だ。これからよろしく頼む」


 菊花はベッドに座って、その正面の椅子に京子を座らせた。


「俺は等々力菊花。こっちは菫。まあ、同じ罪人として仲良くしようぜ」


 二人は軽く挨拶をしてから本題に入った。


「それで、この刺青について何が聞きたいんだ?」


「うむ。刺青のことは納得しているんだが、等々力は私達の状況をどう考えている?」


「それは、俺達が異世界人としてか? それとも罪人としてか?」


「もちろん、罪人としてだ」


 菊花は少しだけ考えを巡らせた。

 罪人の、立場。

 今日のことがあったから、彼女も相談しに来たというのは分かる。今のところ覇王はおろかその末端の部下でさえも満足に戦えない罪人に、王国は何も言ってこないが、今後、城から追い出される可能性は十分にある。


 しかも、それだけではない。

 両崎のことがあって以来、菊花は必要以上に警戒していた。この国の中のどこに自分たちの敵がいるかは分からない。貴族や神官などの言葉を合わせると、どうやら自分たちは何者かに、それも複数の組織に命を狙われているらしい。今のところは落ち着いているが、これから先に何があるのかは全くわからない。

 それも菊花は含めてこう言った。


「危うい、と思う」


「危うい、とは?」


 菊花はそのことを受けて、一週間前にあった両崎のことを簡潔に話した。


「――もう、被害が出ているのか!」


 その話を最後まで聞くと、京子は驚いたあまり顔を菊花まで近づけてしまった。


「ああ。そうだ。捕まったところでどうなるかは分からないが、きっとそんな連中だ。まともに人生が送れなくなるのは間違いないぜ」


 その話を川霧に、菊花は京子と様々なことを話し合った。

 様々な情報が集まったおかげか、以前に両崎と話した時よりも分かりやすかった。その話の中心は紋章術や自分たちを狙っている犯人、それにこの“罪人の証”と呼ばれる不名誉な紋章のことではなく、これからの身のふるまい方についてが多かった。


 流石に京子もあんな発言をされれば、他の異邦者たちと訓練へは行きにくくなるらしい。もしかしたら自分も役立たず、口だけしか出さない、などという評価を取られると精神的にも辛いようだ。


 それは菊花も一緒だった。

 何なら、明日は菫も連れて一緒にこの国の図書館に行くか、と提案すると京子は喜んで頷いていた。部屋の中でずっといるのも暇だからそれは避けたいのだが、この世界には生憎と娯楽は少ない。だからどうしようか困っていた時に、図書館というのは魅力に見えたらしい。

 菫も、ずっと京子が部屋にいて時折笑顔で手を振っていたからか、少しだけ彼女になついた。


「――今日は私の相談に乗ってくれてどうもありがとう。明日はよろしく頼むぞ」


 そしてひとしきり喋り終わると、京子は「今日はもう遅い。明日のしよう」と笑顔で出口まで向かっていく。

 菊花もドアまで近寄りながら、


「ああ。明日はよろしく頼んだぜ」


 と別れを告げた。 

 部屋の中では菫が京子に向かって手を振っている。

 菊花はその様子を見ながら、これで少しは菫の負担が減ると思うと気が楽になった。

 すぐに彼は京子が出て行くとすぐに鍵をかけて、今日このことを「話しやすくていい人だな」と思えたので、明日のことを楽しみにしながら眠りについた。


 だが――次の日、早見京子の姿は消えていた。

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