第十九話 呉越同舟
「悪魔?」
菊花は自分でも思えないほど間抜けな声が出たと思う。
「あら、知らないのですか? まあ、そんな人もいますよね。七罪教団の知名度はそれほど高くありません。信徒も千人にも満たないとされています。一般人なら知らなくても当然でしょう。ですが――彼らは邪悪な悪魔を信仰しています」
「邪悪、ね――」
「はい。彼らの特徴を言うならば……そうですね。私達七代神教は七代の神を信仰し、聖痕を持った神が使わす“聖人”を現人神としていますが、彼らは悪魔が持つ強大な力を信仰し、聖痕と同等の紋章とされている“烙印”を持つ“咎人”の降臨を信望としています。もちろん、咎人など伝説であって、畏れるに足りません」
菊花はプリシラから咎人と聞いた時、左腕を思わず押さえてしまった。
おそらく、彼女はこの事を言っていると確信していた。
ただその中でも菊花は聞いたことがない単語が現れた。
「烙印? 咎人が持っているのは刺青じゃあ無いのか?」
菊花の発言がおかしかったのか、プリシラはくすくすと笑う。
「刺青と一緒ですよ。それはただ罪を犯した罪人に入れる紋章のことです。咎人だけが持っている悪魔から与えられた紋章を、特別に烙印と言うのです。無論、それの記載があるのは伝説や聖書だけです」
「烙印、ね――」
プリシラはそこから烙印についての詳しい説明を菊花にしてくれた。
どうやら咎人と言うのは世界で最も重い罪――大罪を背負っているらしく、その証拠が烙印らしい。またこの世界の大犯罪者は殺されるのではなく、刺青を入れられるのはその咎人に習ってのこと。
つまり、刺青を入れられる者は咎人と同じほどの罪を持つとされ、それは神を信じている者にとって最も大きい罰にもなるらしいが、左腕に円環の刺青を入れる最も大きな理由は――全ての紋章術が使えなくなるということ。だから同じ紋章でも、咎人はオンリーワンの紋章術が使えると神話ではされているが、刺青を持つ者は使えないらしい。
また左腕に刺青を入れられた罪人はわざわざ死刑台で殺さなくても、自然とこの世界から排除される運命にあるらしい。それは魔獣かも知れないし、一般人かもしれない。これまでの中だと刺青を入れられた人は、釈放されるとすぐに町の人に嬲り殺されることが多いとプリシラは言う。
ただの一般人が相手だが、紋章術も使えない罪人は、それらの力に抗うことはできずに簡単に殺されるらしい。
「でもさ、もし咎人っていたらどうなるんだ?」
左腕に入れられる刺青の怖さは知った。
それにしても、と菊花は思う。
咎人がいたとしたら、かなりの脅威になるのではないかと。菊花は自分の紋章術のことを思い返すが、がむしゃらに使っているだけで大抵の敵を倒せるような気がする。現にニレイムの騎士たちや七罪教団の信者は簡単にこの力で追い返すことができた。
そんな存在がいるのは、脅威ではないのかと思うのだ。
「何の問題もありませんよ――」
プリシラの言葉には冷気が纏ってあった。
「俺の聞いた話によると、色々なモノを殺すんだろ、咎人って。脅威なんじゃないのか?」
「そうですね。ですが、咎人は――未だ現れたことがありません。だからこそ、七罪教団は現れぬ希望に妄信し、未だに世界を邪悪へと落とそうとしています。当然ながらそれから彼らを救うのが私達の使命なのでしょうが、残念ながら今の私にはそのような力が無いので、逃げるしかないのです――」
プリシラはどうやら七罪教団については追われて殺されかけているという憎しみもあるらしいが、それよりも彼らについては悪魔に騙されている哀れな教徒という印象が強いらしく、できれば彼らを正しい道に戻してやりたいと聞く。
だが、そんな人たちを生んだ咎人や悪魔についても憎んでいるらしく、言葉の尻が厳しかった。
菊花はここまで聞いて、自分の存在が世界からどう見られているのか知った。
また、七代神教の信者は全世界に六割を優に超えていると言っている。その影響力の強さは政治にも現れているとプリシラは言い、七代神教のトップは世界に大きな影響を与えているとのこと。
他国の法律を変えたり、大国の王を変えることも過去にはあったと言っていた。
そんな七代神教も当然ながら咎人、並びに刺青を持つ者は基本的に殺害することが経典に書かれているが、悪魔を信望している者はまだ救いがあるらしく、全力で彼らを正しい道に戻すことも神官の仕事だとプリシラは語った。
「――七代神教について、説明するのはこの辺りでいいでしょうか? 確かに別の宗教に所属していれば、知らないことも沢山ありますよね?」
プリシラは菊花へと聞くと、彼は何の不満もなく頷いた。
確かに咎人や烙印についてはもっと知りたいことはたくさんあったが、ここでそれを聞くと、何故詳しく知りたがるのは不審に思われる可能性があるため菊花は大人しくして、今度は自分が追われている理由を話すことにする。
「そうだな……俺が追われている集団は、簡単に言えば国に追われている」
「どこの国でしょうか?」
プリシラの言葉に急に愁いが混じったようだ。
「国の名前は――ニレイム。理由としては、罪を犯した」
「罪で、しょうか? それにしては何とも――」
そう言う菊花に悲壮感はなく、むしろ口端が釣り上がりながら笑っていることをプリシラは不思議に見ていた。
「罪としては誘拐かな? 俺はこいつを――菫を盗んだ」
菊花は自分の膝で眠っている菫の頭を撫でる。
彼としても、自分と菫が咎人だから追われている、とは言えなかった。だから都合のいい言い訳として、菫の誘拐のことを引き合いに出した。幸いにも追われている原因の一端には、ニレイムにとってこれから殺す予定の少女を連れ出したのだから間違ってもいない。
「その子、ですか?」
プリシラも菊花に習って、菫の顔をじーっと見た。
普通の少女だった。王族の子としてはありえない。プリシラは聖女繋がりでニレイムの第二王女であるエレンシアや他の王族とも会ったことがある。だが、どう見ても顔の作りが違うのは明らかだ。
何故、この子を追いかけているか、プリシラには分からない。
「ああ。可愛いだろ?」
「あなたとその子はどういう関係で?」
すぐに幼女を誘拐したとして、プリシラは菊花へと疑う目に変わる。
その年で、幼女趣味なのか、と危険人物を見る目だった。
だが、菊花はそんなプリシラをしらーと見ながら反論した。
「一応、言っておくが、俺と菫の血は繋がっているぞ」
それを聞いたプリシラは、ほっと一息をつく。
「そうなのですか。安心しました。てっきり私はあなたが国の要人を己の趣味で誘拐したのだと――」
「そんな趣味ねえよ。それに、誘拐したと言っても、ニレイムからそう思われているだけで、あのままあそこにいれば、こいつがどうなっていたかは分からないからな――」
菊花は言葉に怒りを混ぜる。
その怒りの源は菫だけでもないようでとても深いのだろう。
「どうなっていた、とは、詳しくは聞きませんが、そうですか。ニレイムに追われていると……もしかしてそれは彼らの教会から追われているのでしょうか?」
「ああ。そうだな」
間違ってはいない。
菫は咎人だ。
わざわざ罠に嵌めるという面倒なことをしてまで自分を殺すことに固執していた彼らなのだから、追ってくる事は簡単に予測できる。さらに万が一にも菫を殺すのではなく捕まえたとしても、まともには生きられないだろうと菊花は思っていた。
例え、瑠奈の助力があっても――。
「なるほど。ニレイムの……それなら、あなたは不運ですね。いえ、その子が不運だとでも言いましょうか?」
プリシラは一人だけ納得していたようだ。
「……どういう意味だ?」
菊花は思っていなかったプリシラの反応に、首を傾げた。
「あなたは知らないのかも知れませんが、ニレイムの国教は七代神教――ではありません。彼らは七代神教に存在する神の一柱である“天空神”を信仰しています。ですが、私達とは違い、他の六柱の神を称えることを禁じているのです。まあ、ニレイムは大国ですが、その中でも異質ですね」
「異質って……?」
「彼らは私達のような七代神教も否定しています。だからこそ、彼らの――蒼天教は世界の中でもそれほど信者はいませんが、ニレイム国内だけに限るとおそらく九割を超える人気です」
菊花はこれまでプリシラの宗教とエレンシアやトルべの宗教が同じと思っていた。何故なら菊花はこの世界の常識について教えられたこともあったが、宗教に関しては名前すら教えられず、世界には偉大な神が一人いるとしか聞いていないのだ。
どうやらあそこでも、情報操作が行われていたみたいだな、と菊花は呆れてしまった。
「その子のどこにニレイムの感が触ったのかは私にも分かりません」
おそらく烙印、並びに咎人だと思ったが、口には出さない
「ですが、彼らの教義は私達と源流は一緒ですが、比べると違う点は多々あります。それに彼らは他の神は邪神と言い、過去には国内にあった他の神の痕跡を消したこともありました。その歴史もあってか、彼らは過激で、諦めることを知りません。あなた、そんな“力”をお持ちで運がよかったですね」
プリシラは人事のように言うが、今はその組織から狙われているのはお前も同じなんだよ、と言いたい気持ちになった。
それからも短い間だったが、いろいろな会話をした。
だが、お互いの事情には一線を引き、互いに聞くことも言い出すこともないまま、様々な情報交換だけに終わった。お互い、疑っている部分も多数あったが、それよりも互いに利用しあうことを選んだのだ。
菊花はプリシラの情報を、プリシラは菊花の力を。
どうやら二人の共同戦線はまだまだ続きそうで、お互いに遅い朝食をゆっくりと食べている時に、森から“嫌”な気配がした。
人だった。
大勢の人だった。
森の奥に黒い集団が見えた。
すぐに二人は荷物の準備を終えて、菫を起こす。
もうすぐ近くにまで集まっている。
菊花はプリシラに菫を守るよう頼み、二人を背にして烙印にありったけのオドを流す。体が不調なのか、少しだけ目眩をするが、体は何の問題もなく動いた。
敵はゆっくりと三人に近づいていく。
それが、七罪教団の者か、蒼天教の者か、誰にも予測はつかない。
大勢の激しい息が聞こえた。
そして――彼らは現れた。




