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第十七話 禁断の出会い

 血吸の森というのはニレイムに大きく広がった森で、奇っ怪な“食人植物”が多数いることで有名な森だ。

 地球で言うハエトリグサのように大きな口を開けている植物もいるが、その大きさは二メートルを軽く超えており、小さな獣なら簡単に食べるほどの獰猛さを持っている。他にも地面に寄生して落とし穴のように口を開いて獲物を待つ植物もいれば、強力な鱗粉を辺りに撒いて動物を痺れさせて胞子を寄生させる菌類もいるらしい。

 その危険度は大陸の中でも轟いており、普通の旅人なら足を踏み入れない場所だ。


 だが、この森は交通という面においてはニレイムにおいて非常に大きな意味を持つ。

 何故なら、東西に対局する位置に存在する王都シンフォニエと紋章都市クレステリアはニレイムの中でも大きな都市で有名だ。両者ともニレイムに重要な大都市なので、直通できる行路があれば便利なのだろうが、それを血吸の森が防いでいる。血吸の森は食人植物も厄介なのだが、それ以上に高位の魔獣が数多く存在している。だから、過去にこの森を切り開いて道をつくろうとしたこともあったが、作った道に食人植物が生えたり、通る度に高位の魔獣に会うので道を繋げるのに頓挫したらしいのだ。

 現在では血吸の森を迂回するような道が作られているが、それよりも短い日数で二つの都市を行き来したい時だけこの森を通るらしい。

 そんな森を――等々力菊花と菫は、二人でのそのそと歩いていた。


「菊花、この森を本当に抜けるの?」


「もう一つ道はあったんだけどな、そっちはひらけているからすぐに捕まるかと思ったんだよ」


 数多くの木々で空が閉ざされ、日の光がまともに当たらない獣道を二人は進んでいく。

 先頭は菊花だった。

 佐竹に用意してもらった鞄の中に大型のナイフが入っていたので、それを使って道を通るのに枝を切り落としながら先へと進んでいく。


「でも、ここの森って、気味が悪い植物が多いよ?」


 菫は大木に絡みついている紫色の禍々しい蔦や大きな口を開けたかのようなひまわりをみて、顔をしかめていた。


「すぐに慣れるし、それほど危険性は無いはずだ」


 菊花は菫から目を逸らしながら告げた。

 その根拠としては、菫の通る道は全て菊花が先に通っているからである。いくら食人植物が危険と言えど、自分から動いて獲物を取りに行くほどのアクティブな食人植物はいない、と王都で見た本で読んだ情報を菊花は思い出していた。

 食人植物のほとんどが、設置型の罠に近い。

 もちろん、痺れ薬のような鱗粉を辺りに巻く植物もいるが、流石にそれは菊花でも気づく。すぐに逃げれば問題は無かった。


「本当にー?」


 菫はそんな気かを怪しく見た。


「本当だって。それに何かあれば、すぐに焼き切ってやる」


「分かった。期待しているからね、菊花」


 菫が明るく笑った。

 それにつられて、菊花も少しだけ表情が緩む。

 王都にいた時と比べると、この危険な森にいる時のほうが菫の笑顔が多いような気がするのだ。森に入ってからぐずることも無ければ、気持ち悪いと言いながらも日本では見かけないような植物を興味津々に見ながら先へと進んでいく。その過程で地球とは違う虫とも会うのだが、それが肌に触れても菫は叫ぶことはなかった。まるで前の世界にいた時の彼女に戻ったかのようだ。


 騎士や神官からのねっとりとした射抜くような視線が、ここには存在しないからだろうか。同じ咎人である菊花も分かることだが、彼らが咎人を見ていた時の視線はとても不快だった。目が自然と鋭くなり、こちらの一挙一動を見逃さないようになる。まるで蛇のような視線だった。

 それなのに、表向きでは何の問題もないように笑顔で明るく振る舞う。そのちぐはぐさが、菊花にはとても気持ち悪いように感じていた。


「それより……変な物音はしないよな?」


 瞬間、菊花の瞳が鋭くなった。

 森に入る直前、菊花は背後に影を見た。

 もちろん騎士たちも自分たちを追っている姿が見えたのだが、その人数は僅か十人から二十人ほどだ。それに比べて、王都からすぐ出たと思われる黒いローブを着た影は、軽く見積もっても五十人はいたと思う。


 あれが自分たちを追っているとは認定できないが、菫を攫ったことによって追われているのは確かだ。自分が咎人と発覚していなくても、菫も同じ咎人だ。それならばニレイムは自分たちを殺そうとするのを菊花は確信していた。


「まだねー、しないよ。鳥の泣き声や木々が笑っているのは聞こえるけど……」


「それは良かった」


 菊花は菫の手を引っ張るようにして、先を急ぐ。もう一方の手には方位磁石が握られていた。これも佐竹が用意した鞄に入っていたものだった。

 地図は数日前に見たものが頭の中に入っているだけなので心もとないが、紋章都市クレステリアは大きな城塞都市でもあるので森から出たらすぐに見つかるはずだと菊花は思っていた。


「ねえねえ、菊花―」


「何だよ?」


「疲れたー。もう歩けないよー」


 後ろを着いて歩く菫から甘い声が聞こえた。

 菫はそのまま地面へと尻もちをついて動く気配がない。菊花としては自分も疲れているので、菫の頼みを断りたいのだが、残念ながらそんなことを彼女に言い聞かせている暇はないと判断したので、大人しくナイフを腰につけた鞘へと戻して、両手を広げて菫を抱え上げた。


 今度は邪魔な枝は蹴りおって進む。

 その際、紋章術も同時に使って、破竹の勢いで森を進んでいく。

 それが菫にとってはジェットコースターのように楽しいのか、きゃっきゃっと喜びながら菊花の首に手を回して捕まっていた。

 どれだけ進んだろうか。

 日もとうに落ちた頃。やっと菊花と菫は休憩を取ることにした。


「今日はこの辺りにするか」


 岩壁にすぐ側に荷物を下ろして、木々がない開けた場所で野営の準備をする。暖を取ることも考えたのだが、夜でもこの森はまだ温かいのと火を点けることで騎士などに見つかることを避けた菊花は、暗闇の中で静かに行動した。


「不気味な声がするね」


 風が通り過ぎる音なのだが、辺りが暗くなって明かりが月と星だけなので、辺りは一層不気味なものに感じられる。

 二人は鞄に入っていた水筒で喉の乾きを癒して、乾パンと干し肉で簡単な食事を取る王都にいた頃と比べると食事のグレードは数段落ちるが、菫は文句も言わずそれを食べていた。菊花はこの先のことを考えて、菫が食べた量より少し少ない量を口にすると、すぐに毛布に菫と一緒に包まる。


 菫はすぐに眠りにつくのだが、菊花はそうも行かなかった。

 目が、覚める。

 地球にいた頃とは比べ物にならないほど大きい三日月と、満面の星空を見つめながら菊花は先のことを考えた。

 佐竹の用意してくれた食料は一人分としては十分なのだが、いくら菫が小さいとはいえ二人分と考えると量は少ない。それに水筒に入っている水の量も。

 これはどこかで食料と水を補給しなくてはいけないな、との考えに菊花は達した。水は川か泉を見つければいいのだが、この深い森の中だとそれが簡単に見つかるかどうか難しい。

 食料は獣を狩ればいいのだろう。森を進んでいる間に何度か獣を見た。どれも地球にいた頃の動物とは外見が離れており、食べられるかどうかは不安だがたべられないことはないだろうと菊花は考えていた。


「……早計だったか?」


 菊花は瞳を閉じて眠っている菫の顔を撫でながら呟いた。

 もう少し旅の準備をして、知識を蓄えて、それから菫を攫ったほうが良かったのではないか。もしくは佐竹以外の異邦人とも協力して、国に立ち向かいながら咎人の地位を向上させたほうが良かったのではないか、または人の通りが多い大通りを逃げたほうがよかったのではないか、という不安にかられる。


 だが、どの後悔ももう遅い。

 自分はこの選択を選んでしまった。

 失敗した、とは思っていない。旅のために時間をかけて準備をし、その間に菫が死んでしまってはおそらく自分は一生後悔するだろうと思っているからだ。

 しかし、心残りとしては、自分はいいとして、この幼き少女にこの逃亡の旅は精神的にも肉体的にも厳しいのではないか、ということだ。


「はあ、どうするかなあ……」


 悩みは消えず、けれども菊花は眠りについた。



 ◆◆◆。



 それから数時間後、菊花の体が揺らされたのはまだ日も上がっていない時間だった。


「菊花……菊花……」


 小声で菫が起こす。


「何だ――」


 まだ疲れが取れていない菊花が菫に反論しようとすると、


「しーっ。近くに誰かいるみたいだよ」


 人差し指を唇に当てながら菫が菊花に言った。


「本当か?」


「うん。あっち――」


 菫が指を指した方向に耳を済ませると――淡い光がぽつぽつと幾つも見える。

 橙色だった。

 また、男たちの声も聞こえた。

 それは烈火のごとく大きくなり、怒号の声は徐々に大きくなる。


「見つけた! 見つけたぞお!」


「異端者め! 異端者め!」


「死ね! 死ね! 死ね!」


「我らの敵め! 主の敵め! 貴様には死すら生温い!」


 その言葉にははっきりと憎しみが込められており、菊花は胸を右手で抑えながら心配そうに覗き込む菫の瞳を見つめながら小声で返す。


「……ここを早く片付けるぞ」


 菫は顔をぶんぶんと振って頷き、菊花と一緒に野営を片付け始めた。

 そしてすぐに荷物を纏めて、菊花が鞄を背負うと、菫も不安な顔をしながら彼の右手を握った。菊花はそんな彼女を抱き抱えて、逃げるようにその場を後にする。

 だが――声は周りから迫るように聞こえた。

 もう囲まれているらしい。

 菊花は菫を降ろして、近くの草の中に隠れているように言った。

 そこに荷物も置いて身を軽くしてから、軽く肩を回す。

 それからありったけのオドを左腕に刻まれた紋章へと流し、その全てを紫電に変える。

 体内に溜まった紫電は菊花の髪の毛を立たせて、ふしぶしから紫電が溢れ出る。


「先手必勝――」


 ――瞬間、菊花は嗤いながらつぶやくと、その場から消えた。

 目標は橙色の光を掲げる黒装束の怪しい者達。

 足音を消しながら彼らに近づき、握った拳を彼らへとぶつける。


 ――《地を這う稲妻サンダーボルト


 その一撃を食らった男は絶叫を上げながら膝から崩れ落ちる。


「何事だっ!!」


 すぐに別の男たちが急に現れた菊花に殺気を向ける。


「敵だっ!」


「我らの敵が現れたぞっ!」


 そのものたちの声が鬱陶しいのか、菊花は一番近くの橙色の光へと近づいて、片腕を掴む。

 ありったけの紫電を男へと流しこむと、金切り声を上げながら先程の男と同じように崩れ落ちる。

 残る光は全部で三つ。

 菊花は全身から紫電を垂れ流しているので暗い森のなかだと目立つが、追撃は全くやって来なかった。むしろ、焦るように男たちが菊花へと背を向けながら逃げ出す。


「“ファウスト”様に! “ファウスト”様に高位の紋章術師がいることを報告するのだ!!」


 黒装束の男たちはそう叫びながら一目散に逃げ去った。

 どんどん離れていく橙色の光を見ながら、菊花はほっと一息をついて、菫のいるところまで戻ろうとした時――視界の端に座り込んでいる一人の女を見つけた。


「あなた様は……」


 バラのように赤い唇から鈴の音のような声が聞こえた。

 その女性は黒いコートを着ており、菊花が出会った中で最も美しい女性だった。流れるような金髪。吸い込まれるように青い瞳。人魚と疑うような声。神が手を加えたのかと思うほどの美貌。

 そして何より、菊花の見たことがない通常の者ではありえない“長い耳”。だが、それすらも彼女にとっては美しさの要因の一端でしかないように菊花は思えた。

 数秒だけ、菊花は目を奪われた。


「あんたは……?」


 だが、そんな女性を見ても、追われている身である菊花としてはすぐに気を確かに持って、彼女を睨むように観察する。

 もしかしたら彼女も自分たちを追う騎士や神官の一部かもしれないと考えたのだ。


「私は――“プリシラ”と申します。助けて頂きありがとうございました」


 プリシラと名乗る女性は立ち上がって、丁寧に菊花へと頭を下げた。

 それでも、菊花の警戒は解けない。

 こうして――咎人と聖女が出会った。

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