第十二話 誘い
菊花はこれまでゆっくりとスプーンを使って食べていたのだが、ルードルフに話しかけられると様子が変わったかのようにスープの入った器を手で掴んで、そのまま一気飲みする。さらに用意されたパンも大口で全て胃の中へ収めた。
ルードルフが隣に座ってから、菊花は周りの酔っぱらいの視線が煩わしくなった。どうやら隣に座ったこの男は、この辺りでは有名人物のようだ。
「もちろん、話を聞くんだからそれなりにあるんだろう?」
菊花は隣にいるルードルフに見えるように、自分の皿を指差した。
「ああ。もちろん。ここは僕が奢るよ。それなら話を聞いてくれるんだね?」
「……分かった」
てっきり菊花は相手が自分の持っているお金目当てのたかりだと思い、遠回しに「奢ってくれ」と言えば、怒るか話をしないと踏んだのだが、どうやらそうじゃないらしい。
ならば何が目的かを見極めるために、話は聞こうと思った。
また、スープとパン。それに気前のいいルードルフに遠慮などせず、干し肉とチーズも頼んだが、酒は頼まなかった
ルードルフは菊花の了承に笑顔になると、すぐに彼の目の前に座っている老人に目をやった。そして銀貨を一枚投げて、「席をどこかに移ってくれないか」と言った。老人は少しだけ呆けて、すぐに赤くなった顔が青白く冷めていくと、銀貨を拾ってから逃げるように酒場を出た。
それから、ルードルフは菊花の対面へと座ると、葡萄酒とチーズを注文した。葡萄酒は二つ。菊花の前にも置かれた。
「君も飲むといいよ。ここのは……高いが、美味い」
ルードルフは木のジョッキに入った葡萄酒を一口飲むと、菊花にもそれを薦めた。
「いや、俺はいい」
「どうしてだい? 見る限り君は聖職者ではないようだけど――」
ルードルフは不思議そうだった。
そう聞かれると、菊花は少しだけ困った。
酒を飲まないのは日本では未成年が禁止されているという理由があるが、どうやらこの世界では、いやこの国ではないようである。だとすれば飲んでもいいのだが、この後に“大イベント”が控えている菊花としては、酔っている暇など無かった。
「……修行中の身だからな」
だから言い訳をした。
「そうかい。それは残念だ」
ルードルフはジョッキに入った葡萄酒を飲み干すと、またもう一杯自分の分のジョッキを頼む。
その間に菊花の頼んだ食事もやって来た。
「それで、俺に何の話があるんだよ?」
菊花はスープにパンを浸しながら言った。
ここのパンは固いのだ。俗に言う黒パンだろう。おそらくだが、地球で言うところのライ麦比率が高いパンだと思っている。だから塩気しかない具も殆どないようなスープに浸して柔らかくしてから食べるのだ。屋敷にいた頃の料理と比べると粗末で味も悪いが、腹は満たせる。それに干し肉やチーズの味はまだましだった。どちらも大味だったが。
「……君、最近、この辺りで大立ち回りをしたらしいね?」
ルードルフは菊花へ視線を定めた。
「あいにく、物覚えがあり過ぎてどれのことだ?」
菊花は咀嚼をしながら言った。
「そうだねえ。例えば……例えば、関所の騎士の所でだろうか?」
「関所?」
菊花は首を傾げた。
「惚けても無駄だよ。一昨日の午後だっただろうか。この王都に入るための門で検問をしている騎士がね、不意打ちの電撃で気絶させられて、さらにはお金まで盗られたらしいよ。さらに別の騎士が都の中へと逃げる犯人のことを微かに見たらしくてね、上半身裸の男だったらしい。確か、今日、昼間にこの辺りで似たような男が出現したよねえ」
どうやら関所にいた騎士とは、菊花がこの国に入るために強引に突破した時の騎士なのだろう。
財布も盗んだ記憶も当然ながらあった。
「ああ。確かにそれは俺だな。それがどうかしたのか?」
菊花は余裕そうに干し肉を齧った。
「……そんなに簡単に手を出してもよかったのかな、騎士に?」
「何か問題があったのか?」
菊花は声の調子を崩さない。
「あるさ。あいつらは騎士としての、いや、違うな。貴族としての義務を尊ぶ」
「それは、どんな義務だよ?」
「安定と、秩序――」
「俺がそれを乱すって?」
菊花は笑った。
「そう思われるだろうね。君は騎士に手を出した。国家の権力に手を出したのも同義だ。さて、それを僕が伝えたらどうなると思う?」
ルードルフは微かに笑った。
だが、菊花は相も変わらず。
「言いたきゃ言えばいい。俺にとっては特に問題がない」
「へえ、すごい自信だね。それほど自分の力に自信があるのかい?」
「いや、ないさ。ないけど、問題は無いんだ」
菊花はまた干し肉を噛みちぎって、大きく噛んだ。
「……君は揺れないね。なら、いい。別に僕にもそれを告げ口する気は無いからね」
ルードルフは交渉材料の一つを失ったためか少し残念そうだった。
「それは良かった」
「でも、君は騎士に手を出すとは……何か深い事情があるのではないだろうか?」
ルードルフは一息つけてから言った。
「……さあな」
菊花は言葉を濁す。
「例えば――君の持っている左腕の刺青、などはどうだろうか?」
「この国ではこれはどんな意味を持つんだ? 教えてくれよ」
菊花は刺青のせいで殺されかけたり、偽の犯人に仕立て上げられたりしたのだが、その詳しい事情までは知らない。
「……知らないのかい?」
ルードルフは驚いたみたいだ。
「ああ、知らない。できればご丁寧に教えてくれ」
「……分かった。簡単にいえば、君の持っているそれは、“大罪”を持っているという証明だ。君がその若さでどんな罪を犯したのか、それとも擦り付けられたのかは知らないが、よっぽどの罪じゃない限り、それは成されない。だってそれは――神の敵対者である“咎人”と同じ紋章だからね」
「へえ、そうなんだ。ありがとう。じゃあ俺はこの糞ったれな罪を押し付けた奴を恨むことにするよ――」
詳しいことは全く分からなかったが、少しだけでも分かるだけで嬉しかった。
「そこで、僕が興味があるのはそこなんだよ」
「そこ、とは?」
「それは余程の大犯罪者しかされない。されるとすれば……王家への謀反とか、かな?」
ルードルフは、話を深く切り込んだ。
「さあ、どうかな?」
菊花はまた惚けた。
「……なら、また、話を変えよう。君はこの国をどう思う?」
「さあな」
菊花はこの国のことなど何も知らないのでなんとも言えなかった。
だが、ルードルフは話を続けた。
「僕は――最低だと思うよ。民は酷い税に悩まされ、貧困に喘ぎ、病に苦しみ、教会に助けを求めると信仰が足りないと一蹴されて、そもそも貴族は話を聞いてすらもらえない。ここにはそういった者が集まっていて、その裏で貴族や王族は豪華絢爛な生活を営んでいる。そんな世界が許されていいと、君は思うかい?」
ルードルフは次第に話に力が籠もるようになった。
明らかに感情が込められていたと言ってもいい。
「……分からない」
それは菊花の本音だ。
「僕は、許されないと思うんだよ。確かに貴族には“力”がある。だから優遇するのも分かる。でもそれは、民を蔑ろにしてまでしていいことじゃないと思うんだ」
「つまり、お前は俺に何が言いたいんだ?」
菊花は早く話を切り上げたかった。
「――僕達の革命軍に入る気はないか? この国の腐った中枢を潰すんだよ。君も国を恨んでいるはずだ。ぜひ、君の優れた“力”を僕達に貸してほしい」
ルードルフはストレートに菊花へと右手を差し出した。
勧誘だった。
この手を取れば、おそらく自分は革命軍に所属して本当に国家に謀反するのだろう。
そうしたい気持ちも確かに胸にある。
「……残念だが、断る。俺は国を立て直すことには興味が無い」
だが、それよりも大切なことが菊花にはあった。
菊花は食事も終わったので立ち上がると、既にそこは顔を黒いターバンで隠した者達で囲まれていた。誰もが腰に剣を下げて、手には甲に紋章の描かれた手袋をしていた。おそらくルードルフの革命軍の一員だろうと思った。
どうやら既にこの酒場はルードルフの所属する革命軍でうめつくされているようだ。他のテーブルやカウンターに座る者も似たような格好をしており、菊花が立ち上がると同時にこちらを睨みつけている。
だから、菊花は先へと進めない。
「退けよ――」
菊花は深く呟いた。
だが、それに呼応するように周りの者は剣を抜いた。
「君はその刺青を刻まれたということは、絶対に騎士や王家から酷いことに会っている筈だ。その原因が何かまでは知らないけど、教会からはその刺青を持っているだけで異端者扱いされて、この国では奴隷よりも下の身分と見られる。それをした国を――君は本当に恨んでいないのかい? 王家を潰す気は無いのかい?」
ルードルフの誘いに、菊花は心が大きく揺れた。
自分を陥れ、殺そうとまでした騎士や並びにそれに力を貸した教会、王家などに復讐をしたいのは本当だ。
その結果として、国を潰すことになったらどれだけ心が晴れるだろうか。
菊花はそれを想像するだけで心が少し軽くなったように感じる。
「……答えは変わらない。俺には俺のやるべきことがある。――退けよ。革命の前に死にたくはないんだろう?」
菊花はルードルフに振り返らず、左手から溜まった紫電を少し開放した。
すると、激しい音が鳴った。
囲んでいた者達は一歩下がり、菊花へと道を開ける。どうやら菊花の話はこの者達にも伝わっているようだ。
「何故だ! 君だって恨んでいるはずだろう! その目はきっとそうだ! そんな激しい炎を持った人間が、どうして復讐をしようとしない!」
ルードルフは激情して立ち上がった。
菊花へと酷く訴えていた。
菊花は酒屋の出口まで進むと、ルードルフに振り返らず言った。
「俺にもやることがある。だからそれには力を貸せない。ただ――」
「ただ?」
「俺は今夜、城かもしくはその近辺で騒ぎを起こすつもりでいる」
「それは――」
「どう捉えてもらってもいい。それじゃあ。飯代は助かってぜ」
そう言って、菊花は酒場から抜けた。
日が完全に落ちて辺りが暗くなるまで、どこかに身を隠して、今夜の侵入先の下調べをしようと思っていた。




