第二十九話 ――始まり、『ハジマリ』――
飛行機は特に問題も無く、離陸。空へと飛んだ。俺はリズの横顔の向う、空を眺める。
(……別段面白いってこたぁねぇな)
「兄貴、どうかした?」
「いや、なんもしてない」
そう答える。正直面白い事も無いし、何をするか……。暇を潰す方法が思い付かない。お話しようぜ、なんて言う年でもなければ、言った所で何を話すと言うのか。共通の話題が親父くらいの物で、俺と彼女の隔たりと言うか、壁の様な物を思い知らされる。
(そういえば、これでやっと五年か……)
リズと暮らす様になってから、それだけの時間が流れた。
ある日突然金髪の女の子が、君の妹だよと紹介された時の衝撃は未だに忘れる事は出来ない。連れて来た母親もなんか外国人だし。日本語通じないし。あの時ほど父親を恨んだ事は無いだろう。
父親は考古学だか民俗学だかの教授で、時折あっちこっちに飛びまわる。義母さんは父親に付いて行く為、家には俺と妹だけが残された。お陰で、下手をすれば父親との時間よりも長い時間を彼女と過ごしているかもしれない。
「兄貴、リズの事考えてるでしょ」
「……なんでそう思った?」
「そう言う反応する時は図星」
仰る通りで。やはり共に過ごした時間か。
「いや、もう五年になるんだな、って思ってさ」
「兄貴ジジ臭いよ……そんな昔を懐かしむ年でも無いでしょ?」
「はぁ、あの頃はおどおどして、お兄ちゃんって俺の事呼んでくれてたのになぁ……」
わざとらしく溜息を吐く。顔を真っ赤にしてリズは言葉を投げかける。
「そ、それは昔の話でしょ! そんな事思い出すな馬鹿兄貴!!」
「『リズ、大きくなったらお兄ちゃんと結婚する』って言ってくれたのになぁ……すんすん」
「うっ、うるさい!!」
と、鋭い拳が腹に突き刺さる。コイツ――なんて重たいパンチを……。この距離、姿勢、で出る一撃じゃねぇよコレ。
「ぐっ……」
かなり、痛い。
「すみません、お客様、他のお客様の迷惑になりますので、あまり……」
「あ、すみません」
スチュワーデスさんが注意に来た。一番うるさくしていた癖に、まるで常識人ですと言った顔で答えるリズ。
「兄貴の所為で怒られちゃったじゃん!」
いや、お前の所為だろ。喉まで出かかったその言葉は、彼女の堅く握られた拳を視た瞬間に引っ込んだ。
リズをおちょくれば、それは暇つぶしにはなるが、命の危険が危ない。
俺は彼女には触れぬように、食事はまだか、まだか、とあたりを見回す。
「兄貴、あなたおいくつ?」
「本日付でじゅーごちゃーい」
「……良い年なのに、やめなよそう言う子供みたいな真似」
怒られてしまった。言葉で止められている内にやめよう。俺は辺りを見回すのを止め、一度深く椅子に座りこむ。あの拳は正しく凶器だ。痛くされて喜ぶマゾッホじゃねーし。
「だが、昼には良い時間だろう? こうも飯が出るのが遅いのか?」
「……確かに、まぁ色々あるんじゃない?」
世の中はそう上手く行くものじゃない。そう結ぶと、興味を失ったのか、彼女は視線を下に、自身の手元を見始める。彼女が暇になると行う癖の様なものだ。
「あーちょっと、気になるから見てくるかなぁ」
「またぁ? 兄貴本当に貴方は――」
「ぅうう!! うぉおああああああああああああああああ!!!」
リズが言葉を言いきるより速く、隣から奇声が上がる。
俺は驚きから立ち上がり、四つほど先の席、その声の主を見た。
声の主は男性。四十後半と言った年頃の小太り。スーツの下、ワイシャツのボタンが千切れ飛び、その内側から手が伸びる。人の物では無い。鱗に被われた奇妙な手だ。それが赤い液体に濡れた状態で、辺りを強く叩く。そうして、腕が振れるたび、気に触れた様な叫びが。
「うぁああ――」
その隣に座って居た女が声を上げようとするが、その首を吹き飛ばされ、静かになる。
そうして、頭を失った身体からは、血飛沫と、大きな鼠の頭が現れる。潰れかけた頭からは無数の脚が生え、カサカサと音を立て身体を求める。
少し離れた所で、また同じように奇妙な変化が起こって居る。
人が死に、何かが生じ、人を殺す。死体からは新たな何かが産まれ落ち、また死を運び、生を呼ぶ――連鎖。
「なんだよ!? 何が!? 何が起こってるんだ!?」
俺の叫び――誰一人としてそれに答えてはくれなかった。
燃える三眼が脳裏に輝いた。




