Side A-1
夕食の時間を過ぎた街は、歓楽の世界。
巡回をする軍人もいなくなり、金髪や赤毛の娼婦が客引きをしている。
華やかな明かりに包まれた大通りから一歩路地へ入るとそこは光の届かない場所。
月明りさえまともに入らないその中で、黒いかたまりが動いた。
陰に隠れて息を殺しながら、確実に通りの灯りへと進んでいく。
人が行き交う大通りの中には、ぼんやりと空を見上げる少女がいた。
腰まである黒髪を無造作におろして、紙袋を両手で抱えながらぽつりと立ち尽くす。
ほんの一瞬 黒いかたまりは少女に気を取られ、踏み込んだ足が板を鳴らした。
微かな音
娼婦たちは気づきもしない、
店の片づけをする者にも届きはしない
しかし、まるでその音がきっかけのように、少女が動いた。
顔だけをこちらに向け、じっと見据えた後、数歩黒いかたまりが居る路地へと向かってきた。
とっさに路地の奥へと走り出すか考えるように影の中で息を潜める。
少女が影へと足を踏み込み・・・
「だれかいるの?」
と問いかけ、
「ニャア」
"私”は答えた。
****
最初の飼い主の記憶はほとんどない。
短い黒髪のその飼い主はいつも泣いていたような気がする。
私のことを、真っ黒で同じだと撫でていた。
いつだったか、その飼い主は小さな箱に私をいれて、よく使っていたタオルとともに外に出してくれた。
いつも暖かな室内とは違い、頭に乗せられたタオルが無ければ寒くてどうしようもなかった。
「これはね、雪っていうの。とても綺麗だから*****にも見せてあげるわ」
*****というのは飼い主が私につけた名前だ。
どんな名前だったかは忘れてしまったけれど。
「ここならよくみえると思うわ」
飼い主の最後の言葉だ。
箱にいれられたミルクを舐めているうちにどこかに行ってしまったから。
しばらくはそのまま箱に収まっていた。
雪が止んで、また降って、また止んで。
何度繰り返しただろう。
ミルクもとっくに無くなって、声を出すことも雪をみることもしなくなった。
いつの間にか眠っていたようで、
あたたかさで目が覚めた。
「あ、起きた!起きたよ!」
目が少ししか開かない。
耳元で男の喜ぶ声がする。
耳と頭を撫でられて、やっと意識が覚醒した。
「目が少ししか開かないけど、雪にやられたのかな・・・」
しばらく撫でられていると、鼻先から口元に布を当てられてた。
微かにミルクのにおいがして、舌で舐めてみる。
「あ、舐めた!起きあがれないだろうから、こうして飲ませてあげよう、ほらリズもやってごらん」
「う、うん・・・突然噛んだりしない?」
「大丈夫だよ、ほらミルクを染み込ませて・・・」
遠慮がちに布をあてられた・・・そこは鼻だ。
「あ、鼻が白くなっちゃった、ここに軽くあてるんだよ」
今度はうまく舐めることができた。
さきほどより小さな手が頭を撫でる。
ぎこちないその撫で方が、なぜだか妙に安心できてその日はそのまま眠ってしまった。
しばらくすると体を動かすこともできたし、目も見えるようになってきた。
その家ではとても贅沢な暮らしをさせてもらえた。
リズという一人娘の遊び相手になったりもした。彼女は絵本が大好きで、部屋にはいつもたくさんの絵本が置かれていた。
なかでも、少女がお菓子の家を探して森に冒険に出る話が好きだと言って、本がぼろぼろになるまで読んでいた。
以前の飼い主とは違い、首につけられた鈴のおかげで外を歩いていてもリズが追いかけてきては散歩のように一緒に歩いた。
いつだったか、リズが風邪を引いて寝込んだとき、私は部屋にいれてもらえなかった。
仕方なく外へ出たのがリズたちとの別れとなった。