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イチゴのケーキ



 レモンは苺が好きだった。


 秋田レモン。

 品名? と言われそうな名前の少女は、僕の幼馴染である。

 少々ぼんやりしていて、この世界には悪い人など存在しないと本気で信じている。

 いや、悪い人が周りに潜んでいるのかもしれないと、疑うことをせずに生きている。

 一体どうやったら今時こんな純粋培養の人間が育つのかと頭が痛くなったけれど、それは僕にも原因があるのかもしれない。


 うん、90パーセントくらいはお前に責任があるだろうな、と頷いた友人はとても暇なようだから、後でノーロープのバンジージャンプに挑戦する事をオススメしよう。

 すんな、と軽くかわされた僕は、重いため息を再度ついた。


 ずっと可愛らしかったけれど、いつの間にか大人っぽくなっていた目元。

 ふとした拍子に、大人の丸みを帯びてきた事に気づかされる。

 すらりと伸びた手足を一生懸命動かして、ふんわりした髪の毛をなびかせて走り出す。

 どんぐり眼で見上げてくるのは、きっと計算なんてしていないんだろう。


 肩くらいまでしかない身長。

 疲れたといって、すぐに寄りかかってくるのは、子どもの時からの癖。

 僕が、安全な対象と見られているからのスキンシップ。

 きっと幼馴染のお兄ちゃんとしか思われていないんだろう。



 そんなレモンが、苦手な教科を一生懸命勉強したから、ご褒美としてテストの帰りに、近くのケーキ屋さんに連れて行ってやる。

 何でもいいの、と聞き返すレモンに、ホールじゃなければと釘を刺す。

 ぷうとむくれるレモン。

 ちょっと待て、食べる気満々だったのか。


 なんてね、と笑い返すレモン。

 僕は脱力しながら、オレンジのケーキを頼んだ。

 上にはレモンを小さく切った飾りが載せられていた。

 じゃあ私はこれ。

 そうやってレモンが指差したのは苺のケーキ。


 スポンジには苺が幾層も重なり、木苺のソースとクリームの上にはクランベリーが飾られている。

 それと、これも。

 ホイップだけが添えられたシフォンケーキ。

 僕といる時だけしか食べない、これも子どもの時からの癖。



 美味しい、と言いながら嬉しそうにケーキを頬張る姿に目を細めながら、オレンジのゼリーを口に運ぶ。

「クリームついてる」

 ここ、と自分の口元を指差せば、舐め取ろうとするもなかなか届かない。

 きっと舌が短いんだろう。

 取って、と言われたので、常備されていたナプキンで口元をぬぐってやる。

 まるで育児をしているお母さんの気分だ。

 苦労はこんなもんの比じゃないだろうけれども。


 今度は苺のケーキに取り掛かっていた。

 甘酸っぱい木苺のソースが絶品らしく、くうっと動きを止めながら味わっている。

 はい、と差し出されたフォークに乗ったケーキを思わず凝視する。

 食べろってことなのか?

 待て待て。

「自分で食べれるよ」

 なるべく困ったように言ったが、レモンは悲しそうにフォークを戻した。

 やめてくれ、その捨て犬のような目は!

「やっぱり美味しそうだなー、それ」

 遠まわしに、食べさせてと言いたいのだが、通じるだろうか。

「んぐっ・・・・・・ありがと」

 フォークを僕の口に突っ込んだまま、いいえー、と笑ったレモンに、意味は通じたようだった。



 シフォンケーキは半分こ。

 いつごろからそうなったのか、もう思い出せもしない暗黙のルール。


 喉を潤しながら、食べかけのシフォンケーキに取り掛かる。

 レモンは挟まれていた苺だけを引っ張り出すと、口に含んだ。

 こらこら。

 甘い、美味しい、ありがと。

 カタコトかよ。

 突っ込みたくなる感想を漏らすと、あとはもう何も言わずに黙々と食べる。

 ちょっとして、レモンの熱い視線を感じて、顔を上げた。


 それ、美味しそうだね。

 目が合うと、それだけ言う。

 食べたら? とすでに食べたはずのシフォンケーキの皿を押しやると、レモンは恥ずかしそうに目をそらした。

 クリームだけ食べたいのかと、皿を回せば、ううんと首を振られた。

 そして小さな口をぱかっと開ける。


 まさか、食べさせろと!?


 うん、と頷くレモンに頭痛は増すばかりだった。

 仕方ないなと呟きながら、一口大にすくい取ったスポンジにクリームを絡めてやる。

 口に入れるとき、まるで鳥の雛でも育てている感じだなと思いながら、美味しい? と聞いてやると満足そうに微笑む。


 ああ、もうっ。

 僕は頭を抱えた。


 帰る道すがら。

 手をつなごう、と提案するレモンの旋毛を押してやる。

 何するの、と膨れたほっぺたをつつく。

 本格的に怒ってしまったレモンの手を取り、帰ろうかと言うと、レモンは何も言わずに歩き出した。

 けれど、手は離さずに隣を歩いている。

 赤くなった頬に、尖らせた唇が、小さい頃から全く変わっていないことを確認して、僕はひっそりため息をつく。


 そのままでいてくれよ。

 純粋なあの頃のまま、そのままで。


 いいや、違う。

 いい加減に僕の気持ちに気づいてくれよ。


 相反した気持ちが僕の胸で渦巻く。

 反発しながら火花を散らし、最後にはレモンの笑顔で鎮静する。



 守ってやらなくちゃ。

 兄の気分で握った手が、自然に力を込めた。

 男の僕が、口元に引っかかっている髪を払ってやる。

 どちらにも同じように、レモンは笑う。

 毒気を抜かれて、僕も笑う。



 片手に持ったホールケーキ、レモンの手に持たれたマロンケーキ。

 両方を代わる代わる見ていって、嬉しそうなレモンの顔で目線は止まる。

 この顔を見れる役得に感謝しながら、僕はまたケーキを食べに来ようかと、苺のケーキそっくりの色をした空を見上げながら呟いた。




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