カラカラ
その男は乾いていた。喉が渇いたのではなく、男そのものがカラカラに乾いていた。
砂漠を旅していた男は、あるはずのオアシスがなく、早々に干上がっていたのだ。
その身に栄養を蓄える彼の四本足の相棒は、そんな彼に暢気についてくる。
恨めしい。いや、羨ましい。
男は素直にそう思う。そしてそんな単純な思考すら、朦朧とする頭ではなかなか一つの形を結ばない。
もはや何度も底を傾けた、カラカラの水筒に彼は口をつけた。
もちろんとうの昔に、その皮の水筒は空になっている。
知ってはいるが、彼はぼぉっとする意識で、ありもしないはずの水を求めてしまう。
行動が理論的でなくなってきているのだろう。
頭だけではなく、体も言うことを聞かない。
彼は震える手で水筒を戻そうとする。
水筒は降ろされた手の勢いのままに、砂漠を転がっていった。
――ポチャン……
信じられない音が、その転がった先から聞こえた。
「あなたが落としたのは、この皮の水筒ですか? それともこの金の水筒ですか?」
水筒が転がった先、紛うことなき泉から、女神と見紛う女性が現れた。
女性は両手に二つの水筒を持っていた。そして泉から浮き上がるように立っていた。どう見ても普通の女性ではない。
「……」
男は信じられない。
「どうしました?」
女神はにこやかに話しかけてくる。
「……」
男は駆け出した。方々の砂に足を取られ、最後の水気を使い切るかのように、息荒く駆け出した。
彼の相棒が暢気に後をついてくる。
「……」
男は泉の際に無言でひざまずく。
信じられない。
先程までこんな泉はなかったはずだ。天の助けと、男は脇見もふらずその泉に口をつけようとした。
「私は訊いているのですよ。あなたが落としたのは、皮の水筒ですか? 金の水筒ですか?」
女神がそう言うと、男の体が固まってしまう。
泉を前にしてカラカラの男の、カラカラの体が固まってしまう。
「……」
男が喉の渇きを押して何か言おうとするが、それは音となって現れなかった。
その隣では、男の相棒が暢気にその水に口をつけている。
「さぁ。どちらですか? 皮の水筒ですか? 金の水筒ですか?」
「……」
男は女神を見上げる。正直言って、やっと意識がいった女神だ。女神はどうやら、男の落とした水筒がどちらかを訊いているらしい。
もちろん男が落としたのは皮の水筒だ。だが金の水筒の方が、どう見ても大きい。沢山水を入れられそうだ。
男の相棒は暢気に水を飲んでいる。
今すぐ水を飲みたい。そしてできることなら、沢山持ち出したい。
だが男は女神の力のせいか、体がまるで動かせない。
「さぁ、どちら?」
「……」
女神の質問に答える為にか、男は辛うじて目と口だけ動く。目が合うと女神は更にニコッと微笑んだ。
だが喉の渇きのせいで、まるで言葉は口をついて出てこない。
「さぁ?」
女神は何処までもにこやかに訊いてくる。
「……」
男は考える。今すぐ水を飲みたい。本当はそれだけしか考えられない。
だが女神の質問に答えないと、体そのものが動かないようだ。
男が落としたのは、皮の水筒だ。間違いない。
だが沢山水が入りそうなのは、金の水筒だ。
金そのものの価値より、その大きさに男は心惹かれる。
この砂漠では、まさに今乾いている状況では、金より水なのだ。
「……」
男はなけなしの唾を口中に溜める。
そして何とか口を開いた――
「正直な方ですね。ではこちらの金の水筒を差し上げましょう」
女神はそう言うと、金の水筒を差し出した。
男の体が不意に動き出す。
女神の声も無視し、男は泉に口をつけようとした。
金の水筒を掴んだ腕も、沈めんばかりの勢いで泉に突っ込んだ。
だがその泉が、満足げに微笑む女神とともにスッと消える。
金の水筒が男の面前で、ザクッと乾いた音を立てて砂にめり込んだ。
「……」
カラカラの男は、無駄に大きい金の水筒をカラカラと鳴らして歩き出す。
一人満足げな相棒が、そんな男についていった。