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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

静かな家は愛溢れる世界

作者: モンブラン
掲載日:2026/05/08

 何のために生まれて何をして生きるのか。

 幼い頃に聴いた歌にそのような詞があった気がする。果たしてどれだけの人が、この問いに答えられるだろうか。

 しかし、私は断言できる。

 私は妹に出逢うために生まれて、妹を愛して生きる。





 妹の陽菜が産声を上げた瞬間を、私ははっきりと覚えている。


 高くて、まだ形の定まらない音だった。

 不快ではなかった。ただ、少しだけ、空気が乱れるのを感じた。


 私は父に連れられてその場にいた。

 父の抱える腕の中で、私は生まれたばかりの小さな命を見ていた。


 小さな塊が、布に包まれている。

 赤くて、未完成で、触れれば壊れそうなほど頼りない。


 それでも、目が離せなかった。


 理由は分からない。

 ただ、視界の中心に置いておく必要があると、そう理解した。


 抱き上げられたそれは、まだ泣いていた。

 音が続く。一定ではない揺れが、空間に広がる。


 無意識に父の腕から逃れて、私は一歩、近づいた。


 触れてみたいと思った。

 そうすれば、少しは整う気がした。


 誰かに止められたかどうかは覚えていない。

 けれど、次に触れたとき、あの子は静かになった。


 それだけは、はっきりと覚えている。


 泣き声が止む。

 空気が落ち着く。


 その変化が、心地よかった。


 ーーーーこの子は、私だけが見ていればいい。


 その意思が頭から爪先まで全身を支配する。

 この時から、ただの幼児が“深月”という私になった。



 妹の名前は、陽菜になった。


 呼べば、こちらを見る。

 触れれば、静かになる。


 脆くと易しい。


 そして何より、離れたときにだけ、不安定になる。


 それが分かってからは、あまり離さないようにした。


 周囲はそれを「面倒見がいい」と言った。

 否定はしなかった。説明する必要もなかった。


 どう呼ばれても構わない。

 私と妹の、この在り方が維持されるならば、それでいい。





 それからいくつかの年月を経て、家には、私と陽菜以外の生活音がなくなった。


 両親は仕事で家を空けている。

 それは特別なことではなく、最初からそういうものとして受け入れていた。……そう思わせておく方が、都合が良い。


 不便はない。

 むしろ、変数が少ない環境は管理しやすい。


 連絡は定期的に来る。

 その多くは、私が応対した。


 陽菜は元気にしている。

 学校にも問題なく通っている。

 生活に不自由はない。


 事実だけを伝える。


 余計な情報は、判断を鈍らせる。


 帰宅の予定を聞かれたときは、無理をしなくていいと答えた。

 仕事を優先するのは自然なことだ。


 そのほうが合理的で、実際に困ることもなかった。


 陽菜の世話は、私一人で足りる。


 他人の手は要らない。

 生きる意味を理解した私には、世界がクリアに見える。あらゆる煩わしさが意味を成さない。

 完璧な姉に、私はなれる。


 この家は静かで、変化が少ない。

 だから、維持が容易だった。


 ーーーー外からの介入は、少ないほどいい。



 陽菜は、よく笑うようになった。


 私を見て、笑う。

 呼べば、迷いなく近づいてくる。


 本当に愛らしい。小さく愛すべき命は、一秒ごとに見える世界から養分を吸い上げている。

 成長と呼ぶ“それ”は、陽菜に変化をもたらす。



 他の人間に視線を向けることが増えた。


 学校という環境に入ってから、その傾向は顕著になった。

 当然の反応だと思う。


 問題はない。

 ただ、調整は必要だった。


「ねえ、深月」


 ある日、陽菜が私を呼んだ。


「今日ね、クラスの子と一緒に帰ったの」


「そう」


「優しくてね、話しやすい子だった」


 陽菜は楽しそうに話していた。

 声の調子が少しだけ高い。


 その変化を、私は正確に認識する。


「明日も一緒に帰るかも」


「そう」


 繰り返す。

 否定はしない。


 ただ、必要な確認だけを行う。


「その人と、どこまで仲良くなるつもり?」


「え?」


 陽菜が少しだけ戸惑う。


「普通に、友達だよ?」


「そう」


 それ以上は言わなかった。

 十全だ。


 陽菜は純粋だ。

 檻に入れて枷を付ける必要はない。


 方向だけ整えれば、自然と戻る。


 実際、その後の数日で、陽菜はまた私の隣にいる時間を増やした。


 帰宅後、私の近くに座る。

 話しかける。

 触れれば、逃げない。


 これで良い。


 ーーーーやはり、この状態が最も安定する。




 夜、陽菜の部屋に入る。


 ノックはしない。

 必要がないからだ。


「陽菜、まだ起きてる?」


「起きてるよ」


 ベッドの上で、こちらを見る。


 その視線が、最初から変わらないことを確認する。


 私は椅子に座らず、そのままベッドの縁に腰を下ろした。


 距離が近い。

 呼吸が分かる。


 その状態が、一番正確だ。


「……どうしたの?」


 陽菜が先に口を開く。


「確認」


「なにを?」


 少しだけ考える。


 言葉にする必要があるかどうか。


 けれど、ここは明確にしておいたほうがいい。


「陽菜」


「なに?」


「あなたは、誰を一番見ている?」


 陽菜は一瞬だけ目を瞬かせた。

 理解に時間はかからない。


「深月だよ」


 即答だった。


 それでいい。


 けれど、確認はもう一つ必要だ。


「これからも?」


「うん」


 迷いはない。


 その返答を聞いて、わずかに思考が整う。


 必要な条件は満たされている。


 ならば、次に進んでも問題はない。


「陽菜」


「なに?」


「あなたが好きよ」


 言葉にするのは初めてだったが、内容に変化はない。

 最初からそうだったものを、表に出しただけだ。


「……わたしも好きだよ」


 少しだけ声が揺れている。

 けれど、否定はない。


「じゃあ、陽菜はこれからもわたしだけ見てくれる?」


「見るよ」


 それで十分だった。


 私は陽菜の手を取る。

 温度が伝わる。


 安定する。


 額に唇を寄せる。

 触れる。


 接触は、状態を強化する。


 陽菜の呼吸がわずかに乱れる。鼓動が早まり、躰が温まる。


 陽菜の瞳に映る私自身を見た。

 ヒトも所詮はケモノ。

 私もヒトだったのだと、私はこの時初めて理解した。




 額に触れた温度は、すぐに消えなかった。


 唇を離したあとも、そこに残っているように見えた。

 陽菜は何も言わず、ただこちらを見ている。


 視線が逸れない。


 その状態が維持されていることを確認して、わずかに息を吐いた。


 問題はない。


 想定していた反応と、大きな差異はなかった。


 陽菜の手はまだ私の中にある。

 力を込めなくても、離れない。


 それで良い。




 次の日から、陽菜の行動はより明確になった。


 学校では距離を取る。

 必要以上に関わらない。


 それは適切な判断だと思う。

 外部に過剰な情報を与える必要はない。


 けれど、帰宅後は違う。


 陽菜は迷いなく私の側に来る。

 隣に座り、自然に躰を寄せる。


 その選択に、躊躇がない。


 望ましい状態だった。


「陽菜、手」


「また?」


「触りたいの」


 理由を問われることはない。

 陽菜は手を差し出す。


 指を絡める。


 温度が交わりひとつになる。


 外部で発生したわずかな揺れも、この接触で整う。


「陽菜は、私以外の人と仲良くしないでね」


「しないよ」


 即答。


 その速さに問題はない。

 むしろ、余計な思考が挟まっていない証拠だった。


「本当に?」


「深月が好きだから」


 私は陽菜の肩に寄りかかる。


 体重を預けると、陽菜は少しだけ息を詰めた。

 もちろん、拒絶などしない。


 受け入れている。


 なら、この程度の負荷は問題ない。


「陽菜も、もっと甘えていい」


「甘えてるよ、充分」


「足りないわ。もっと欲しい」


 言葉は正確に選ぶ必要がある。

 不足している要素は、明確に伝えたほうがいい。


 陽菜の首に腕を回す。


 距離を詰める。


 呼吸が混ざる位置。


 この状態が最も情報量が多い。


「陽菜の全部、私にちょうだい」


「……うん」


 少しだけ間があった。


 けれど、拒否ではない。


 本当に、可愛い子。




 夜、陽菜の部屋に入る。


 灯りは落ちているが、起きていることは分かる。


「陽菜、まだ起きてる?」


「起きてるよ」


 ベッドの端に腰を下ろす。


 昼間よりも、空気が柔らかい。


 陽菜の呼吸が、一定ではない。

 わずかに揺れている。


 原因は理解している。


 それも含めて、問題はない。


「ねえ、深月。隣で寝ていい?」


「当たり前でしょう。いつものことじゃない」


「そうだけど……今日は違う」


 陽菜はそう言う。


 違いは認識している。

 けれど、本質的には変わらない。


 関係に名前が付いただけだ。


 私は布団の中に入る。


 陽菜の手を取る。


 昼間と同じ温度。


 確認する。


「ひな……。あなたが可愛くて狂いそうよ」


 言葉は正確ではないかもしれない。

 けれど、近い。


 陽菜の反応が大きい。


 呼吸が乱れる。

 心拍が上がる。


 意識がこちらに集中している。


 望ましい。


「……わたしも、深月が好きで狂いそう」


「狂っても良いのよ。私が赦すわ」


 条件は満たされている。


 私は陽菜の頬に触れる。


 軽く唇を寄せる。


 ただの粘膜同士の接触が、こんなにも悦ばせてくれる。


「陽菜は、私の世界だから」


 言葉にすると、輪郭がはっきりする。


「わたしもそう。深月が世界の中心だよ」


 なんて美しい対称性。


 すべてがここに在る。




 陽菜が私に抱きつく。


 腕の力は強くない。

 けれど、離そうとはしない。


 そのまま目を閉じる。


 呼吸が少しずつ揃っていく。


 体温が重なる。


 境界が曖昧になる。


 この状態が、一番安定している。


 外部の影響はない。

 介入もない。


 必要な要素はすべてここにある。


 ーーーーこのままでいい。


 最初からそうだった。


 これからも変える必要はない。




 両親からの連絡は、その週にもあった。


 帰宅の予定を問われる。


「無理をしなくて帰って来なくても良いわ。お仕事が忙しいのでしょう。こちらは何も問題ないから安心して」


 私は事実をなめらかに言葉にした。


 この家は、すでに安定している。


 余計な変化は必要ない。


 私は両親にとても感謝しているーー愛すべき陽菜を産んでくれたこと、そして、陽菜を愛する私を産んでくれたことを。


 私をつまらない世に産んだのを恨んだこともあったけれど、陽菜が産まれてからはすべてに感謝しているの。


 最低限の義務を果たした上で、この家に帰らないでいてくれるならば。

 私たちの世界を脅かさないのならば。

 私は貴方たちが生きることを赦します。


 電話を切ったあと、陽菜の部屋へ向かう。


 ドアを開けると、陽菜がこちらを見た。


「深月?」


「なに」


「なんでもない。呼びたくなっただけ」


「そう」


 問題はない。


 陽菜はここにいる。

 私を見る。


 それで良い。


 陽菜への愛と悦びと愉しみが、今日も私を世界に繋ぎ止めている。

お読みいただきありがとうございました!

以前書いた「温もり伝わる静かな家」

https://ncode.syosetu.com/n5289ll/ の姉視点のスピンオフでした。もしよろしければ、そちらも読んでいただけると嬉しいです。

感想・レビュー、伏してお待ちしております。

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― 新着の感想 ―
✧なんか本当に人生でいちばんドキドキしたんじゃないかってくらいドキドキして読ませてもらいました、、! 絡み展開も文学的で上品に書き起こされてるのが本当に最高で、最後の文も良いなぁ、、ってしみじみ深く感…
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