第13話 英雄の休息、あるいはただの怠惰
異世界から帰還したその足で、俺たちは築地の回転寿司屋へ直行した。
「うめぇぇぇ! やっぱ生魚だよな生魚!」
佐藤が皿のタワーを積み上げながら叫ぶ。
「はふぅ……お茶が美味しいですぅ……」
あかりがお茶をすすって至福の表情を浮かべる。
俺も久しぶりのエンガワを口に放り込み、日本に帰ってきたことを実感していた。
国境問題を解決した報酬は、目が飛び出るような額だった。これなら当分、働かなくても食っていける。
「じゃ、解散!」
俺は二人に手を振り、中野のアパートへと戻った。
ガチャリ、と鍵を開け、自分の部屋に入る。
散らかった服、読みかけの漫画、埃っぽい空気。
だが、今の俺にはそれが最高に落ち着く空間だった。
「ふあぁ……」
荷物を玄関に放り出し、そのままベッドへダイブする。
布団の柔らかさが、疲れた体に染み渡る。
「いかん、引きこもり癖が出た」
口ではそう言いながらも、俺は体勢を直そうともしなかった。
枕元のスマホを手に取り、動画サイトを開く。
これだ。
誰にも邪魔されず、生産性のない動画を垂れ流しながら、眠くなったら寝る。
これぞ、命がけの任務を終えた人間に許された、最高の贅沢。
『――ここで、政府からのお知らせです』
いい気分で猫の動画を見ていたのに、急に広告が割り込んできた。
『先日確認された異世界ですが、現地の生物は極めて強靭であり、一般の方が立ち入るのは大変危険です』
画面の中で、どこかの偉い人が真面目な顔で語っている。
『市民の皆様は、決してダンジョンに近づかないでください。異世界の調査および対応は、専門の訓練を受けた【特務能力者】にお任せください――』
「……けっ」
俺は舌打ちをして、『広告をスキップ』を連打した。
「よく言うよ。全部俺たちに丸投げしてるくせにな」
画面をスワイプして、再び猫の動画に戻す。
だんだんと意識が遠のいていく。
ナノが何か言いたげに脳内でささやいた気がしたが、俺はそれを無視して、深い深い眠りの底へと落ちていった。
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
数時間か、あるいは数日か。
泥のように眠り続けていた俺の意識を、現実へと引き戻す音が響いた。
ドンドンドンドンッ!!
「……んぐ……?」
俺は数日ぶりに起きることにした。
重たい体を起こし、ゾンビのような足取りで玄関へ向かう。
ドアスコープを覗くことすらせず、チェーンをかけたまま少しだけドアを開けた。
「……どちら様ですか。料金なら払ってますし、勧誘なら間に合ってます」
「俺だ! 担任だ! 開けんか馬鹿者!」
隙間から見えたのは、暑苦しいジャージ姿。担任の熱血女教師だった。
俺は無言でドアを閉めようとした。
「待て待て待て! 指が挟まる! 話を聞け天城!」
先生が強引にドアをこじ開けて入ってくる。
俺はため息をつき、ボサボサの髪をかき上げた。
「……先生、今は春休みってことになりませんかね? 俺、世界救ったばっかですよ?」
「甘えるな! 世界は待ってくれんのだ! 緊急招集だ、着替えろ!」
「嫌です。俺はもう働きません。一生分の貯金もあるし、ここでナメクジのように生きていくんです」
俺が布団に戻ろうとすると、先生はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「そう言うと思ったぞ。だがな天城、今回の任務は……お前の『男の子心』をくすぐる条件を持ってきた」
「は? 男の子心?」
「表へ出ろ。駐車場に置いてある」
俺は渋々ジャージに着替え、アパートの階段を降りた。
そこには、俺のアパートには不釣り合いな、一台の『鉄塊』が鎮座していた。
マットブラックに塗装された、ごついボディ。
巨大なオフロードタイヤ。
フロントガラスを覆う金網ガードに、ルーフには無数の投光器とアンテナ。
それは、映画の中でしか見たことがないような、重装甲のSUVだった。
「な、なんですかこれ……」
俺の目が釘付けになる。
先生がドヤ顔でボンネットを叩いた。
「自衛隊と技術研究所が、対異世界用に極秘開発した特殊車両、コードネーム『黒鉄』だ。防弾、防爆、耐火仕様。おまけに内部には簡易キッチンとベッドまで完備している」
「……へえ」
俺は思わず喉を鳴らした。
男というのは悲しい生き物で、こういう無骨なメカを見ると、理屈抜きでワクワクしてしまうのだ。
「今回の任務は、異世界への物資輸送と、より遠方のエリア探索だ。徒歩では限界があるだろう? だから、政府はこの車を特別にお前らに貸与することにした」
「貸与……つまり、俺が運転していいと?」
「免許は持ってるな? 現地では道交法なんざ関係ない。好きなだけ爆走していいぞ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中の『引きこもりゲージ』が急速に減少し、『ドライバー魂』が充填されていくのを感じた。
「……ナノ、どう思う?」
『スキャン完了。悪くないわね。車載コンピュータとリンクすれば、自動運転や武装制御も私が担当できる。移動が劇的に楽になるわ』
ナノのお墨付きも出た。
俺はニヤリと笑い、先生の手からキーをひったくった。
「乗ります。乗らせてください」
「よし、話が早くて助かる! 佐藤と星野はもう後ろに乗せてあるぞ!」
見ると、後部座席の窓から佐藤が顔を出していた。
「おう、天城! 早く出そうぜ! こいつのスペック試したくてウズウズしてんだよ!」
その隣では、あかりがシートベルトを両手で握りしめ、青い顔をしている。
「あ、天城くん……安全運転でお願いしますね……? アタシ、乗り物酔いしやすいんですから……」
俺は運転席に飛び乗った。
シートの感触は硬いが、体に吸い付くようにフィットする。
エンジンスタートボタンを押すと、猛獣の唸り声のような重低音が響き渡った。
「へへっ……いい音だ」
ハンドルを握る手に力が入る。
徒歩での冒険は正直しんどかったが、車があるなら話は別だ。
エアコン完備、雨風しのげる、おまけに移動し放題。
これぞ、現代人のための異世界攻略法だ。
「よし、野郎ども! 出発だ!」
「おう!」
「ひゃあぁっ!」
俺はアクセルを深く踏み込んだ。
タイヤがアスファルトを噛み、巨体がロケットのように加速する。
目指すは銀座、ダンジョンの入り口。
そしてその先にある、あの広大な異世界へ。
「待ってろよ、未開の地! 日本の車社会の威力、見せつけてやるぜ!」
俺たちの新たな旅は、排気ガスの匂いと共に、けたたましく幕を開けたのだった。
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