8 性悪ラバラバ姉妹
ルークさんの宿屋での初日。
無事に着替えも買い揃え、夕方前からではあるが働き、深夜前に漸く部屋へ戻る。
目まぐるしい1日だったけど、心地の良い疲労感があった。それに、この世界の人たちとも、少し交流出来たことも嬉しかった。
使わせて頂く部屋は、私と桜庭、二人で一室にしてもらった。
本当は、別々の部屋を割り当てるって言ってくれたんだけど。さすがに限りある部屋数なのに、私たちが二部屋も占拠するのは申し訳なさすぎるし、何より桜庭をひとりにしていると、その隙に余計なことをしそうだと言う不安もある。
結局、この世界が現実か妄想か、謎なのは変わらないし。何かあった時に、直ぐに対応出来るよう、一緒に居た方がいいだろうと思った。
部屋は、木造のベッド2台と丸椅子にテーブルが置いてある。簡易チェストのような収納棚が2つあったので、それぞれの荷物をそこへ入れた。
窓から見えるのは、夜の帷と遠くの街灯のぼんやりとした明かり。
汗をサッと流すために、シャワーを使わせて頂いた。
シャワーあるんだ……。と、ちょっとこの世界の常識に感動もした。
そうしてベッドに潜り込んだ。
明日も朝早いし、そろそろ寝ようと思ったら。
「ねぇ~、多々良葉さん」
桜庭が、呟くように声を掛けて来た。
こいつ、寝れないからって、私を巻き込む気だな。
「なに」
「ここの食堂の名前って、知ってます~?」
「……え? 言われてみれば、知らないかも」
「気になってぇ、さっき厨房の伝票見たら書いてありましたぁ」
「伝票……?」
「『ルーメン亭』って名前らしいですよぉ。ルーメンって、あの光の単位っぽいですよねぇ~? ほらluxじゃない方~」
「だから、なんで単位で連想するのよ」
「でもぉ~、光って、ほら。導く感じがあるじゃないですかぁ?」
「勝手に意味つけないで」
「えへへ~。『光を宿す宿屋』って、ちょっと詩的じゃないですか~? 多々良葉さん、こういうの好きかなって思って~」
「……まあ、嫌いじゃないけど」
「やっぱり! それにねぇ、気づいたんですけど~」
「……まだあるの?」
桜庭が、少し間を置いて言った。
「多々良葉さんに『目標ってなぁに?』って聞かれて~、言ってなかったやつ、思い出しましたぁ」
え?
「聞いたっけ!?」
「……私、出版社に入りたかった理由って……本当は、ファッション誌の編集者になりたかったんですよ~」
いや、話聞いてる!?
私、桜庭に『目標ってなぁに?』って聞いたっけ!?
聞いた覚えないんだけど!
しかも勝手に語ってるし!
「好きな映画で憧れてたのがあって~。でもなぜか文芸に配属されちゃって~」
「いや、ちょっと待て。それってつまり、私の担当になったのって、志望外配属だったの……?」
「あ、でもぉ私、多々良葉さんの担当、全然手ぇ抜いてませんでしたしぃ!」
「嘘つけ。……まあいいや。ちょっとは話、聞いてあげる」
「ほんとですか~!? じゃあ、続きいきまぁ~す!」
嬉しそうな声に、なんか損した気分。
「王都って、流行の発信地らしいじゃないですか~? 私、そこのファッションとか、見てみたいんです~。できれば、新しい流行? 作ってみたいなぁ~って」
「へぇ」
「できるなら……ですけどぉ、雑誌とか? そういうの、作ってみたくて~。異世界でファッション誌、第一号! とか、響きよくないですかぁ?」
「よくはないかな」
「ひどぉ~い!」
ふたり分のベッドの軋む音が、微かに重なる。
それでも、嫌な感じはしなかった。
日中の魔改造ワンピと、謎設定製造脳からは想像もできないくらい、桜庭の『語る声』は、少しだけ真剣だった。
「……まあ、寝よ」
「えぇ~、もうですかぁ?」
「明日、早いし」
「まだ夢語ってたかったのにぃ」
「夢は寝てから語れ」
「夜になると、多々良葉さんがすこぉ~し優しくなるの、好きです~」
「寝ろ!」
★
朝、厨房に立っていたら、ルークさんが私を見て言った。
「なあ。昨日から気になってたんだが……なんでお前、キーラのこと『サクラバ』って呼ぶんだ?」
あー……そうか。私が「サクラバ」って言うのは違和感あるのか。
そう思い答えようとしたら、当の本人がひょいと顔を出す。
「それはですねぇ、私の名前が『キーラ・サクラバ』だからなんです~」
「フルネーム……?」
「はいっ。だから、タタラバさんは『苗字』で呼んでるだけですよぉ。ちゃんと敬意があるんです~」
「苗字……なるほど……え、ってことは、お前ら……」
「実は、複雑な家庭事情がありましてぇ……」
ルークさん、一瞬だけ眉をひそめて、すぐに片手を上げた。
「いや、悪かった。深くは聞かねぇ。すまん」
「いえ~、全然いいんですぅ。姉も『タタラバ・サクラバ』ですしぃ。問題ないですよぉ」
は?
「え?」
思わず、声が出る。
「ちょっ……!」
「『姉』の、タタラバ・サクラバです~。ね~? タタラバさ~ん」
誰がタタラバ・サクラバよ!?
なにその、名前が多方向にラバラバッてる感じ! ラバ祭か!
「何よその、ラバラバは!」
「えぇ~、だって姉妹じゃないですかぁ?」
「違うわ! サクラバ姓にされてたまるか!」
「でもぉ、姉妹なのに~。照れなくていいんですよぉ?」
「それ、あんたが勝手に言ってんでしょ!?」
ルークさんはカウンター越しに腕を組んで、目尻だけで笑ってた。
「仲いいんだな、姉妹てのは。微笑ましいなぁ」
「違います!!」
全力で否定した。
でもきっと、もう遅い。
★
ルーメン亭でお世話になり始めて、ちょうど1週間が経った頃。
「おーい、タタラ。こっち、注文通ったべー」
「はーい!」
厨房から料理人のベルンさんの声が飛ぶ。
焼き上がったタルトの皿を受け取って、私は手際よく小走りにテーブルへ運んだ。
私と桜庭のことも『タタラ』と『キーラ』で呼ばれるようになっていた。
「お待たせしました。果実のタルトです」
「おっ、ありがとよ~。タタラの焼き加減、絶妙だな!」
「いえ、焼いたのは竈です」
客の言葉に苦笑しつつ、向かいで魔改造ワンピで接客していた桜庭が
「ありがとうございます~。姉タタラバの実力、バッチリなんですよぉ」
と、謎の合いの手を入れてくる。
「姉じゃない。っていうか、私の居ないとこで『タタラバ・サクラバ』って広めてるでしょ」
「えぇ~? もうみんな『サクラバ姉妹のタタラちゃん』って呼んでますよぉ?」
「呼んでないでしょ、さすがに」
「ねーねー、兄さん、あの制服のお姉さんが『キーラちゃん』?」
ちょっと離れた席で、少年が兄に耳打ちしていた。
兄のほうが笑いながら言う。
「そうそう、あの看板娘が『キーラちゃん』で、もうひとりが『タタラちゃん』な」
それを聞いた桜庭が
「タタラちゃんだって~! かわいい~!」
とか言って、クスって笑ってる。
「うわ、ほんとに定着しかけてる!?」
カウンターの向こうでは、ルークさんが湯気立つカップを片手に、面白そうに口角を上げた。
「タタラ。ちゃんづけされるの、案外似合うぜ?」
「頼むから、ルークさんまで乗らないでください……」
「嫌がるほど言いたくなるのが大人の性なんでな。『タタラちゃん』」
「やめてくださいっ!」
私、アラサーなんですけど!?
下手したら、ルークさんより年上な可能性もあるわけで……。
でもここは、年齢を言わないほうがいいような気がする。
「ふふっ。タタラちゃん~。次の注文いきまぁす」
「桜庭、お前もだ! ちゃん付けするな!」
とはいえ、仕事には少しずつ慣れてきた。
厨房の動線も、ベルンさんの癖も、ルークさんの合図も、この一週間でなんとなく分かるようになってきた。
朝の客層は、近隣の職人たちや旅の商人。昼は町の女の子やマダム。夕方になると、少し酔った常連客がワイン片手に武勇伝を語り出す。
「昔、俺が金を貸した相手が、そのまま逃げちまってな。けど後日、そいつが酔いつぶれて、無様に道端に転がってるのを見かけて、内心スカッとしたぜ~。ありゃもう、文無しになってるな。ああいう奴んとこに金は残らねぇ」
「旦那が浮気しよってからにねぇ! そしたら翌日、その相手の馬車がぬかるみに沈んでたのよ、あれ見た時は、神の采配だって思ったわ!」
色んな人の、色んな話。
その人それぞれに物語がある。
そんな中、今日もいつもの席に座っていた初老の女性が、一言。
「キーラちゃん、その襟元の刺繍……もしかして自分で?」
「はいっ~。夜なべしましたぁ。刺繍、割と得意なんで~、目指せ異世界トレンドリーダーです~!」
軽々しく『異世界』って言うな! と何度も注意してるのに。
ちっとも聞かない桜庭。
なので仕方なく、それについて誰かに何か聞かれたら
『私たちの国では、他国のことをそう言う事もあるんです』
と、苦しい説明をしつつ、桜庭の尻拭いをさせられている。
「へぇ~。あんたが王都行ったら、ほんとに流行りそうだわね」
「でしょ~? ルークさんの宿『ラックス』でしたっけ? その本店とか作ったらどうですかぁ?」
「『ルーメン亭』だ。分店はいらねぇ。俺が店そのものだからな」
今朝も、そんな調子で、町の光の食堂『ルーメン亭』は、ざわざわと動いている。
そんな賑やかな店内の雰囲気を、一撃で破る出来事が起きた。
入口の扉が、からん、と鳴る。
見慣れぬ少女がひとり。
真紅のリボンをふたつ結びにした、ツインテールの姿。
最初の一歩が、床に響いた。
そして
「性悪『ラバラバ姉妹』って、どこかしら!?」
いきなり入って来て、良く通る声で言い放った。
その言葉に、軽い眩暈を覚える。
ラバラバ姉妹……。きっと。多分。私と桜庭だよな……。
そして確信する。
桜庭はやっぱり、ラバラバを広めていやがった。
ツインテール少女よりも先に私が、桜庭をキッっと睨んでやった。
おのれ! 覚えてろ。
いつかきっと、お前にも変な名前つけてやるからな!