5 ざまぁ、細々と私がされてない?
軋む扉が開いた。
森の木漏れ日を背に、一歩中へ入る。空気が少し変わる。
夏とはいえ、小屋の中は意外なほど涼しかった。分厚い壁と石の床が熱を遮っているのだろう。干された草の香りと、乾いた木の匂いが漂っていた。
「さあ、遠慮せずに入ってくれ。狭いが、しばらくの間なら身を寄せられる」
手招きしてくれたのは、森の外れで出会った村人。名前はテオさんと言うらしい。
ごつごつした手、日焼けした顔。けれど、横顔は不思議と整っている。
刈り込まれた白髪の髭と、やや高めの背。
そして、霧を溶かしたような薄い青の瞳が、ほんの一瞬、こちらを覗いた。
若い頃……絶対、村の美丈夫だったろうな。
そして、絶対モテたな。これは。
目が合うと、恥ずかしくて思考を切った。
「素敵なおうちですねぇ~! 異世界の一般宅って感じがしますぅ~」
「言い方……!」
桜庭が楽しそうに部屋を見渡す。
私は思わずため息をつきながら、椅子を勧められ、そのまま腰を下ろした。
冷たくて気持ちいい。
外で張っていた神経が、少しだけ和らいでいく。
一旦落ち着くと、テオじいさんが静かに尋ねた。
「で、お嬢さん方。どうしてまた、こんな森の中に?」
ほら、来た。
私は口を開こうとした。
でも桜庭が、ほんの半拍早く、口を開いた。
「実はですねぇ~……私たち、姉妹なんですぅ~。あっ、タタラバが姉でぇす」
え? 姉!? 何その設定!
「それで~、わたしたち、わりと裕福な庄家の出だったんですけどぉ~。とあるライバル店の罠に嵌められてしまいましてぇ~、泣く泣く一家揃って国を出ることになったんですぅ~」
は?
「でも、後を追ってきた国の兵が、両親を……うっ、うっ」
そう言うと桜庭、両手で顔を覆って突然泣き出す。
「『いいから逃げろ!』って……親が……うわぁあん……」
整合性のかけらも無し!!
しかも、自分が妹ポジ確保しやがった!!
誰が姉だよ!!
――なのに。
テオじーさんは、俯き、静かに椅子に手をついて……
ぽろぽろと、泣いていた。
泣い、てる!?
「……つらかったなあ、嬢ちゃんたち……よくぞ、ここまで……よう逃げた……!」
嘘でしょ!?
「ご両親の無念も……この森が知っている……」
森、知ってんの!?
横で桜庭がグスグス言いながら、したり顔でこそっと私にウィンクしてきた。
お前が物語書いた方が早くない!?
それから暫く、流れるようなテンポで話は進んだ。
だが、事件が起きた。
「あの~、この世界って、魔法とかあったりしますかぁ~?」
まるで味噌汁の具を聞くように、しれっと聞く桜庭。
「おまえ……!」
私は椅子から滑り落ちそうになる。
「術使いの話なら……昔はあったし、今でも一部の人は使えるかもしれんなぁ」
そう答えたテオじいさんの目が、ふっと遠くを見る。
「今では信じる者も少なくなった」
それらしき何かは、この世界にあるようだ。
「わぁ~そうなんですねぇ~! すごぉい!」
何がすごぉい! だ!
もうここ、完全異世界確定じゃないか。
魔法とか術とか、怪しいものは、全部異世界って相場は決まっている。
「じゃ……じゃあ、魔物とか魔獣とか、出たりするんですか……?」
私は物は次いでとばかり、聞いてみることにした。
「いや? それは、本の中の話じゃな。ふぉっふぉっ」
なぜか隣の桜庭、私に可哀想な人を見る目を向けてきた。
「お姉ちゃん、何言ってるんですかぁ~? 私たちの国にもそんなの居なかったじゃないですか~。もしかして……ショックで頭が? ううっ……」
この野郎。
お前さっき言ったよな?
「この世界」って! それはスルーなのか!?
しかも、桜庭の話なんて出鱈目なのに、テオじーさんも信じてるし!
なんだよ一体!
とりあえず今日は泊まっていきなさい――と、小屋の奥にある藁で山を作り、清潔なシーツをそこにかけてくれた。これ! 某アニメのアレ! まさか実体験できるとは!
「うわ~! ほわほわですぅ~」
私よりも先に、その藁ベッドに飛び乗る桜庭。
ふざけるな。
私も飛び乗りたかったのに!
そんな私たちを、やっぱりテオじーさんは微笑ましいとでも言うように見つめていた。
そして
「ワシの知り合いがな、町で宿をやっておる。事情を話せば、おそらく力になってくれるだろう」
めちゃくちゃ、本当に、いい人だった。
夜の小屋は静かだった。蝉の声も遠い。
風が抜ける音だけが心地よく響く。
テオじーさんは、夕食と言って「大したものはないが」と、キノコのスープや、森で狩ったという鹿肉でご馳走を作ってくれた。なんだか申し訳ないやら、嬉しいやらで、じーんと心震わせていたのだが
「どれも五つ星レベルですぅ~! やっぱり素朴な味って最高ですよね!」
とか、微妙に失礼な事を桜庭が言い出した。
「ちょっと! 失礼でしょ……」
こそっと桜庭の腕を、肘で突っつく。
だがテオじーさんは気にした素振りもなく
「いつも一人だからなぁ。こうして誰かと食べる食事は何より旨い」
そう言い、ニコニコ笑ってくれた。
マジいいひと。
私、ここに嫁いでもいいな。とか、ちょっぴり思ってしまった。
そして、テオじーさんは「ゆっくり休むといい」と言い残してくれて、そのまま自室らしき部屋へと入って行った。
私たちは、用意してくれた藁のベッドの方へと足を運ぶ。
今度こそ!
私は桜庭よりも先に、藁ベッドに飛び乗った。
うわあ! 本当にふっかふか! これがあの! 夢のベッド!
そう思っていたら
「多々良葉さんてばぁ~。何やってるんですかぁ? 子供みたい(クスっ)」
お前!
キッっと睨みつけてやった。
だがさすが桜庭。しれっとそれを流してしまい、ベッドに寝転ぶと
「……ねぇ多々良葉さん。こうしてると『異世界生活』って感じしませんかぁ?」
「するけど……桜庭のせいで、変な設定が増えたよね?」
「えぇ~? でもだってぇ~、テオじいさんの涙……演技とは思えませんでしたよねぇ~」
「うるさい。もう寝るわよ。明日もあるんだから」
「はぁい~おやすみなさぁい~」
ほんとに……ここ、異世界なのかなぁ?
魔法ぽいのがあるんだよね?
……夢なら、さっさと覚めてほしいけど……。
あの事故なら、多分私、生きてない可能性が高いよね……。
仮に命は取り留めてても……。
いやいや、変な事考えるのはやめよう。
取り敢えずここで、どうにか生き抜く事考える方が建設的かも。
そう思い、瞼を閉じてみるが、寝つけなかった。
漸くウトウトしかけたと思ったら……。
「編集長! ひどいですぅ~! ケーキもう1個くれるって!」
桜庭の寝言がうるさかった。
何の夢みてんだよ……。
こうして、異世界? だか、あの世? だかの一日目の夜は深けて行った。