40 大切な居場所
「よし、明日の配置はこれでいこう。ベルン、蜜の追加は間に合いそうか?」
「任せんしゃい! 秘伝の果実を漬け込んだ、極上の蜜がぎょうさんあるばいけんの!」
「いいねえ! この粋ネェ法被を着て、俺が華麗に客を呼び込んでやろう! 決めポーズはこうかな?」
カウンターではルークさんが店の見取り図を広げ、ベルンさんは大きな壺をかき混ぜ、ヴィンセントさんは法被を羽織って鏡の前でポーズを決めている。みんな、明日のことで頭がいっぱいのようだ。
その光景がなんだか可笑しく愛おしくて、私は階段の途中で足を止めて見入ってしまった。
「あれぇ? タタラバさん、起きて大丈夫なんですかぁ? ゾンビの散歩はまだ早いですぅ~」
私の存在にいち早く気づいた桜庭が、ぱたぱたと駆け寄ってくる。その手には、山積みの赤いリボンが握られていた。きっとフレッタさんが量産してくれたのだろう。
「もう大丈夫。それより、本当に私が倒れてたの? あんたじゃなくて?」
「はい~。私は至って元気なのですぅ。タタラバさんてば、そんなに私の事が気になるのですか~? 大丈夫ですよぉ~。あ! もしかして、私が居ないと夜眠れないとかぁ?」
桜庭はニヤニヤしながら、私の顔を覗き込んでくる。
あの不思議な夢のことは、まだ胸の中にしまっておこう。きっと、この目の前の桜庭が本当の答えだ。
「……別に。でもあんたが居なくなると、私の給料から経費を前借りする人がいなくて、安心はするけどね」
「ひどいですぅ~! そこは素直に寂しいって言ってくださいよぉ~!」
ぷんすかと頬を膨らませる桜庭とのやり取りは、いつも通りでそれがたまらなく安心する。
私たちの声に気づいたルークさんたちが、一斉にこちらを振り向いた。
「タタラ! 体はもういいのか!?」
「タタラが倒れとる間に、ワシ、五十歳は老け込んだばってん……」
「ヒロインの復活だ! 盛大な拍手を!」
みんなが、本当に心配してくれていたのが伝わってくる。ベルンさんは涙ぐんでいるし、ヴィンセントさんは大げさに拍手してくれている。私は照れくさくて、ありがとう、と呟くのが精一杯だった。
その時、食堂の扉がカラン、と音を立てて開いた。
入ってきたのは、裁縫屋のフレッタさんだった。その隣には、小さな女の子が恥ずかしそうに隠れている。
「あら、タタラさん! 目が覚めたのね、よかったわ!」
フレッタさんは私の姿を見ると、ぱっと顔を輝かせた。
「この子は、うちの姪っ子のアリアよ。先日、キーラさんが届けてくださった本、この子が夢中になってしまって。お礼を言いたくて連れてきちゃった」
フレッタさんの言葉に、私はきょとんとする。
桜庭が私の隣に立ち、得意げに胸を張った。
「特典のリボンを作ってくださったフレッタさんにわぁ、感謝を込めて『見本誌第一号』をプレゼントしたんですよぉ~。最初の協力者には、最初の読者になっていただかないと~!」
なるほど、そういうことだったのか。
フレッタさんの隣で、姪っ子のアリアちゃんがもじもじしながら、小さな声で「こんにちは」と言ってくれた。彼女の髪には、あの赤いリボンの髪留めが飾られている。
「この子、スズラン先生の大ファンなんですって。何度も何度も読み返して、すっかりリリィになりきってるのよ」
「え……っ」
憧れの眼差しを真っ直ぐに向けられ、私はどう反応していいか分からず固まってしまう。
そして『スズラン』とはこの世界でのペンネーム。タタラバを抜いた私の名前。
桜庭が、ここぞとばかりに大げさに続ける。
「そうですよねぇ~! スズラン先生の物語は、全ての乙女のバイブルですからぁ! なんと! 明日の夏至祭では、スズラン先生ご本人によるサイン会も開催されるんですよぉ~!」
「えっ、本当!?」
フレッタさんとアリアちゃんの目が、キラキラと輝く。
その純粋な期待を一身に受けた私は、桜庭の脇腹を思いっきりつねった。
「ちょっ……! 聞いてないんだけど!」
「いったいですぅ~! これは販売戦略ですぅ! プロモーションの一環ですよぉ!」
私たちの小声の攻防など気にもせず、アリアちゃんがおずおずと一歩前に出た。
「あの……わたし、リリィみたいに、つよくなりたいです」
その言葉は、どんな喝采よりも深く、私の胸に響いた。
届いたんだ。私が書いた物語が、この小さな女の子の心に。この世界で、初めての純粋な読者に。
「……ありがとう。きっと、なれるよ」
私はアリアちゃんの頭をゆっくりと撫でた。
その時、私の頭の中にあった「売れない作家」という長年に渡って蓄積されてきた澱んだ塊が、スーッと溶けていくのを感じた。
「さあ、明日は早い! みんなで最高の夏至祭にしようぜ!」
ルークさんの声が、食堂に響き渡る。
それに応えるように、みんなが「おー!」と拳を突き上げた。
窓の外は、祭りの前夜を楽しむ人々の灯りで、いつもよりずっと明るい。
この温かい場所で、最高の仲間たちと迎える、初めての夏。
私の物語は、まだ始まったばかりだ。
★
ヴィサレントの町は、一年で最も陽が長くなる日を祝う熱気に満ちていた。石畳の広場には色とりどりの露店が立ち並び、陽気な音楽と人々の笑い声が空に溶けていく。
その一角で、ひときわ活気を放つ屋台があった。
『ルーメン亭・夏至祭特別出張所』である。
「はいよっ! タコ焼きお待ちどう! 熱いから気をつけな!」
「パンダちゃんのかき氷、苺蜜たっぷりですぅ~!」
涼やかな青地に白いスマイルマークが映える『粋ネェ法被』に身を包んだ一同は、まさに戦場のようだった。ルークさんとベルンさんが焼くたこ焼きの香ばしい匂い、ヴィンセントさんが巧みな手つきで削るかき氷の冷気、そして桜庭の妙に甲高い呼び込みの声が混ざり合い、客足が途切れることはない。
そんな喧騒の中、カウンターの端で桜庭が一人の女性客と話しているのが見えた。つばの広い帽子に大きな黒眼鏡……。ずいぶん怪しい格好だけど、そのツンとした立ち姿には、どこか見覚えがあるような……?
「あらぁ~、お嬢様もお目が高いですねぇ! こちらわぁ、今ヴィサレントの町で一番ホットな物語でございます~! これを読めば、スカッと! 気分爽快になれますよぉ~!」
聞こえてきた桜庭の声は、いつにも増して大げさだ。
どうやら、カウンターの隅に積んである『リリィと魔法の赤いリボン』に興味を持ってくれたらしい。
「べ、別に気分なんてどうでもいいのよ! それより、作者は誰なの? 聞いたこともない名前だけど。まさか……あなたたちじゃないでしょうね?」
お客さんの声は、わざと低くしているみたいだけど、少し甲高くて聞き覚えのある響きがする。
また始まった……。桜庭の口から出まかせの天才作家伝説が、芝居がかった小声で語られているのが聞こえてくる。
「それは秘密ですぅ~。作者は『スズラン』先生という、とってもミステリアスで素敵な方なんですよぉ」
私なんだけど……。
桜庭の悪ふざけに内心でため息をついていると、ソースの補充をノールさんに頼まれた。
ソースの瓶を抱えて厨房へと向かうその途中で。その怪しいお客さんと目が合った。
「本を買ってくださったんですね! ありがとうございます!」
ペコリと頭を下げてお礼を言うと、お客さんはびくっと肩を震わせた。
桜庭が、ニヤニヤしながら追い打ちをかける。
「タタラバさーん、このお嬢様も、スズラン先生の大ファンなんですってぇ~!」
「えっ、本当ですか! 嬉しいです! この物語、楽しんでいただけるといいのですが」
私が重ねて言うと、お客さんは慌てて顔を背けた。
「……え、ええ。まぁ、暇つぶしにでも読んであげようかと思って、ですわ」
その上ずった声と、必死な感じ……。間違いない、あざと女・クレアだ。
バレバレの変装がおかしくて、思わず笑みがこぼれそうになる。ふと隣を見ると、いつの間にか来ていたノールさんが、面白そうにその様子を静かな笑みを浮かべて眺めていた。
そのノールの視線に気づいたのか、クレアさんの顔が帽子の下でカッと赤くなるのが見えた。
「も、もう行くわ!」
彼女は本と髪留めをひったくるように受け取ると、逃げるように人混みの中へ走り去っていった。
去り際、屋台の明かりに照らされた赤いリボンの髪留めが、夕闇の中でキラリと光った気がした。
嵐のように去っていったクレア。まったく。素直じゃないんだから。
でも、まあいっか。
私の書いた本が、こうしてまた一人、誰かの手に渡ったんだ。
そう思うと、書いてよかったと心の底から思えて。
いつの間にか忘れていた『書くことの楽しさ』や『読んでもらえることの嬉しさ』を、もう一度取り戻せた気がした。
私はこの世界で生きてゆく。これからどんな未来があるのかなんて全く分からない。
それでも。出会えた大切な人たち。
――大事な私の家族。そう思うだけならいいよね?
ここで私は自分が存在しているということを今、実感できている。
本を見て笑顔になってくれた女の子。リリィみたいになりたいって言ってくれた言葉。
この先なにがあるのかは分からないけれども。
桜庭がまた余計なことをするに決まってるけれども。
でも泣いたり笑ったりしながら、一生懸命に生きて行きたい。
おばあちゃんになっても。
ね。桜庭。
-了ー
お読みくださいましてありがとうございました(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)
また二部も書けたらいいなと思っています。
不定期な更新になりますが、その時にはまた、お付き合いくださいましたら嬉しいです。




