39 ちがう、そうじゃない!
閉まっているはずの扉の向こう側から、何やらひそひそと囁くような声が、微かに聞こえてきた気がした。いつもの桜庭の高い声に似た響きと、それから……ヴィンセントさんの、少し芝居がかったような抑えた声。そして、二人を嗜めるようなルークさんの低い声も混じっている……ような?
意識が朦朧としているせいだろうか。幻聴かもしれない。そう思いながら再び目を閉じようとした瞬間、扉の向こうで「うわっ!?」とか「ひゃっ!?」とか、そんな小さな悲鳴と、何かを引きずるような、ごそごそとした音が聞こえた。
そして、ぱたりと静寂が戻った。
まるで、嵐が通り過ぎたあとのように。
一体なんなんだろう? ルークさんも扉の方へ視線を向けていた。が、彼は深い溜息をひとつ吐くと
「気にするな。今日はゆっくり休んでおくといい」
そう言うと私の頭をひと撫でし、にっこりと笑ってくれた。
その笑顔の破壊力!
多分私の人生の中で、ぶっちぎりのキラキラ度!
また心臓が止まりそうになる!
だめだ!
クラクラしてしまう。
「は……はい。ありがとうございます」
なぜか照れてしまい、目を伏せてしまった。
こんな間近であんな笑顔とか、無理だよ! ときめかないほうがおかしいよ!
頭は沸騰寸前だし、考えるだけの気力もなく、私はノールの手の温もりを感じながら、再び穏やかな眠りへと意識を沈めていった。
扉の外で、私の祝言の計画が勝手に立てられ始めているとは、もちろん、夢にも思わずに。
★
再び穏やかな眠りへと意識を沈めていった私だったが、次に目を覚ました時には、窓の外は柔らかな夕焼け色に染まっていた。ノールさんの姿も既に無かった。
「……夕方?」
三日も眠り続けていたとは思えないほど、身体が軽い。あれだけ重かった鎧が嘘のようだ。そっとベッドから起き上がってみると、ふらつくこともない。
お腹が、ぐぅ、と鳴った。
どうやら、身体は正直らしい。
ちょうどその時、桜庭が部屋へ入って来た。
「タタラバさぁ~ん」
その手には夕食なのだろう、食事を乗せたトレイを持っていた。
器用だな。どうやって扉開けたんだ。なんて思ったけど、桜庭のその顔は気持ち悪いほどニヤついている。
なんなんだ? またろくでもないことでも言い出すのか?
食事を乗せたトレイをサイドテーブルに置くと、ベッドの横に置かれている椅子に腰かける桜庭。
「えへへ~見ましたよぉ~? フラグたっちゃってますよね~。きっと好感度UPイベは無事にクリア済なのですぅ~」
「は? あんた何言ってんの?」
急に何を言い出すんだ?
「だってぇ~。さっき私たち見ちゃったんですぅ~。タタラバさんとノールさんが、いちゃいちゃしてるとこぉ!」
「はぁ!?」
思わず大きな声が出る。
「いちゃついてなんて、無いからね!?」
「はいはい。ちゃんと私たちが、祝言の用意もしますからぁ~。安心してくださぁ~い!」
「はぁ!? 何言ってんの!? 馬鹿なの!? そうじゃないから!」
言いながら、恥ずかしすぎて顔が熱くなってくる。
そしてなぜかはわからないが、鼓動が速くなる。
恥ずかしすぎる!
「まぁまぁ、タタラバさん~。恋愛経験値低いのはわかりますけどぉ~、男の人わぁ、甘えてくれる可愛い女の人がすきなんですよぉ~? これは私からの大事なアドバイスなのです~!」
「なんかサラっと貶めてるじゃない! 恋愛経験値低いとか!」
ふふふと笑う桜庭。
こいついつか絶対に、ぶっとばしてやるんだから!
そんな勘違いをされたまま、運んできてくれた夕食を口にする。
身体中に染み渡る味と、熱くもなくぬるくも無いほど良い温かさが、どくんどくんと早まる鼓動をどうにか落ち着かせてくれた。
「桜庭。あんたノールさんに余計なこと言わないでよね? 私、そんなんじゃないし。それにノールさんも迷惑でしょ」
「ええ~? 凄くいい感じでしたよぉ?」
「そういう問題じゃない! 弱ってる人間に優しくしてくれただけなんだからね?」
「えー! もぉ、タタラバさんてば、素直じゃないですね~」
「素直だよ! 素直に、そんなんじゃないからって言ってんの! それより明日は夏至祭でしょ? あんたも早く寝なきゃいけないんだから。もう、私のことはいいから。自分のことしてきて」
「はぁ~い。明日は一緒に頑張りましょうねぇ~」
桜庭は椅子から立ち上がると、なぜかスキップを踏みながら部屋から出て行った。
何がそんなに楽しんだか……。
ほんと、桜庭が関わるとろくなことがない。
しかも、覗き見してたなんて! まったく!
ノールさんが扉を見ていた時、深い溜息をついていた理由がなんとなくわかった気がした。
それに。ノールさんだって絶対迷惑に決まってる。あんな風に言われたら。そこまで親密でも無いのに、優しさで傍にいてくれただけなのに。ほんっと! 桜庭! 余計なことばっかなんだから!
それに私も変に意識してしまうと、今まで見たいに話せなくなるのは嫌だ……。
なぜかそう思う。そして、あの笑顔をもう一度見たいとも。
純粋にそう思った。
だから、ここは思考を切り替えよう!
「よし、明日は夏至祭。思いきり楽しまないとね」
口に出して言ってみると、元気が湧きあがってくる。
みんなで準備をした時間。
その集大成だ。いい日にしなきゃ!
お皿に残ってた最後のスープをスプーンで掬い、口にいれる。
きっとベルンさんが特別に作ってくれたのだろう。
その味はとても優しくて柔らかかった。
みんなに心配をかけた分、元気になったことをちゃんと見せなきゃ。
窓の外の空をみながら『明日はいい天気になりますように』と、心の中で何度も祈った。
そして空いた食器をトレイに乗せて、それを持って階下に降りると――
食堂は、ランプの温かい光と、いつもより少し浮かれたような活気に満ちていた。




