35 桜庭の独白と私の覚悟
「タタラバさん……。覚えてますか? 自分が高校二年生の頃のこと」
桜庭はそう言うと、目線を天井に向ける。
「ちょっと……、長くなるかもしれませんが、聞いてもらえます?」
「そんなの! 元気になってからいくらでも聞くから。今は、休んで!」
今、桜庭の話を聞いてしまうと。
その後、桜庭が消えてしまいそうで、聞きたくなかった。
「えへへ……。わかってますよ、タタラバさん。でも、今、話さないともう……、機会が無い気がするんです」
「桜庭……。あんたいつも人の話聞かないのに、こういう時だけ……っ」
「ちょっとだけ、感傷に浸らせてください。そして、ちゃんと伝えたい事があるんです」
「わかった。聞くから。消えるとかもう、もう言わないで」
私は大きく頷くと、桜庭の方を真っ直ぐ見る。
「ありがとうございます。……私、高二の頃、学校行ってなかったんです。行ってないというか……行けなかったんです。人と接することが出来なくなってて。理由はもう、どれが・なにがとか分かりませんでした。きっかけさえも。でも、友達とうまく付き合えなくなったのが、大きな原因だったかも知れません」
桜庭はそこで、ふぅと息を吐いた。
しばらくの沈黙の後、天井に向けていた視線を私の方へとやる。
目と目が合うと、桜庭は眉尻を下げるように、小さく笑った。
「その頃は、私。死にたかった。学校へ行けなかったから、両親とも折り合いが良くなくて。そんな私に『学校へ行け』『そんなことじゃ将来どうするの!?』と、毎日毎日、繰り返されてました。最後にはいつも『さぼるな、だらけてるだけだ』って言うんです。今になって思えば、両親も、私という子どもにどう向き合えばいいか、迷ってたんでしょうね。でも……当時の私には、全部がもう、ただただ嫌だった」
桜庭の話は、ひとつひとつが程度の差はあれど、周りとの確執で悩んだり、泣いたりと、思春期に誰しもが通って来た道なのかも知れない。
――でも
「私は、そんな葛藤が出来る桜庭が、羨ましいって思うよ。本人にしてみたら、何も分からない癖にって思うかもだけど……」
「いいえ。その通りです。多々良葉さん」
意外な返答に、私の方が驚いた。
「なんで……? 桜庭の痛みは、きっと物凄く辛かったんでしょう? そういうのって……比較するものじゃないから……。だから……羨ましいって本当は言ってはいけないのに。ごめん……」
「いいえ。もう一度言います。その通りですよ多々良葉さん」
桜庭の目は真剣だった。本当にそう思ってくるのが伝わってくる。
「高二の夏。私、久しぶりに外に出たんです。昔植えた、小学校のヒマワリが気になって。まだあるのかな? とかって。きっかけは小さいものですが、外に出た私は気持ちがほんのちょっぴり、上向きになれたんです。でも本当は……、思い出のヒマワリを見たら、あの世界から消えて居なくなろうと思ってました」
私は黙って、桜庭の話の続きを待つ。
彼女はその頃のことを思い出しているのか、次に話す言葉を探しているのか、目を閉じて深く息を吐いていた。
「その時に、昔からある古い書店に貼られていたポスターが、偶々目に入ったんです。そこには『17歳の女の子が等身大の自分を描いた感動作』って書いてありました」
桜庭の言葉に、思わず涙が流れる。
そのキャッチコピー。死ぬほどみたやつだよ。
「同じ年齢の女の子なのに、私とは違う世界で、しかもキラキラとして輝いてる……そう思いました。同時に嫉妬しました。なんで? 環境の差? 私はこんなにも苦しいのに、違う17歳の女の子は、持て囃されてるの? って。思わず、平積みされているその本を、手に取りました。買うつもりはなかったけども……。外に行くっていったら、凄く喜んだ母が、お小遣いをくれたんですよね。使わずに帰るのも面倒だから……。その本を買ったんです」
「読んで……くれたの?」
「はい。暑かったけど、家にはもう、帰らないつもりだったので。バスで海まで行って、そこで一気に読みました。内容は、思ってたものと全然違ってました。もう、読み始めてすぐに、胸が苦しくて苦しくて。事故でご両親を亡くされて、なんで自分だけ生きてるの? って葛藤してて。 高校にも通えなくなるんですよね。 そこまでなら私も、そんな話もあるんだなぁで終わったと思うんです。でも、その物語が秀逸だったのは、周りからの目や迫害に耐えながらも、それだけじゃなくって逆転劇をするんです。物理的な逆転じゃなく、主人公の女の子・ランが『生きてて悪いか―!』って叫んだ。それで世界が全部、彼女の味方になった気がした。そんな力があったんです。その本のタイトルは――」
「「青春なんて奴には、頼らない」」
同時に出た言葉。
顔を見合わせて、吹き出した。
なかなかに酷いタイトル。今なら、噴飯ものだ。
「私、自分が恵まれてた環境にいるんでは? って思えました。さっき多々良葉さんも言ってましたが、辛さは比較できるものじゃないんです。でもね、私はこの本に、本当に救われました。読み終わった時、この作者さんの書く世界をずっと見て居たいって思えたんです。だから……だから。またバスに乗って家まで帰りました。夢が出来たんです。私がこの作者さんの一番のファンになってやる! 編集者になってやる! って言う夢。生きる意味まで貰った本だったんです。そしてね。彼女と一緒に、願わくば『青春』ってやつをしてみたいって思っちゃったんです」
「あんた……ファッション雑誌の編集者になりたかったんじゃないの?」
「……照れ隠しですよぉ。言えないじゃないですか。私にだって羞恥心はありますよぉ?……ありがとうございます。多々良葉さん。そして、そんなことを願ってしまった私を、どうか、恨んでください」
「どうして……? なんでそんなこと言うの?」
「私が多々良葉さんと、青春を過ごしたいって願ったから……。この世界に来て、私、とても楽しかった。そして多々良葉さんの作品を読めて、しかも、一緒に作れて。最高に嬉しかった」
そう言った桜庭の顔は、なんだかとても清々しく見えた。
なら!!
もう一度、青春すればいいじゃない!
「過去形にするな! 青春ってやつに頼らず、私とあんたで物語を書き続けよう!」
私だって未熟だ。
何が出来るのかなんてわかんない。
「私はまだ、桜庭に伝えきれてない。……いや、桜庭だけじゃない。たくさんの人に、もっと届けたい。だから一緒に、それをやっていこうよ。あんたと私の生き様で!」
もしかしたら、足りない覚悟かもしれない。
それでも。
やっていこうって、今なら思える。
迷っても届け続けようって、自分が書いてる意味を探し続けようって。
そして。
あの頃、私が持っていた葛藤や悩み、怒りや悲しみ。
欲しいと願ったもの。
その全てが今、桜庭の言葉で、過去の私を昇華させてくれた。
本当に『書いてよかった』と身体の奥底から、沸き上がるマグマが全身を覆うように、その気持ちでいっぱいになれた。
「ありがとう桜庭。あんたは、さいっこうの! 担当編集者だよ!」
それを聞いてくれた桜庭は、まるで咲き誇るヒマワリの如く、太陽のような笑顔で応えてくれた。
そしてそのまま――
彼女は、瞼を閉じた。




