3 ざまぁされるのはタタラバ(私)なの……か?
MILEの着信音で目を覚ました。
スマホの画面には「桜庭」の名前。
表示された時刻は13時2分。カーテンも閉じたままで、部屋の空気は真昼なのにまだ夜の匂いを残していた。
ぼんやりとした頭で、通話ボタンを押す。
「おはようございまぁす。多々良葉さぁん、今お時間大丈夫ですかぁ~?」
寝起きの頭が、この軽やかな声に一撃で覚醒した。
「……一応、大丈夫ですけど」
「あのぉ、昨夜? 入稿頂いたデータ原稿、編集長に見てもらったんですけど~」
言いながら、声がちょっと高まる。
「なんと! 天地がひっくり返ったんですよっ! GO出ました~!」
私は、数秒間沈黙した。思考が着地しない。
「……え?」
「もう~私、ほんとびっくりしちゃってぇ。『攻めてて今っぽいな』って言われました~。いやぁ~多々良葉先生、やっぱり凄いですぅ!」
昨日の深夜、感情に任せて書き上げた
『そろそろ貴様が滅んでも構わない~XX、お前のことだ~』
あれが、通った。
よりによって、本家モデルに提出したそれが。
よりによって、桜庭の口から『凄いですぅ~』の感想をもらう日が来るとは。
ボツじゃなかったのか!
私は枕の中でうっすらと絶叫した。
★
午後三時。
駅からほど近い、天井の高いオサレ系カフェ。
私一人なら、絶対に立ち入らないようなお店。
流れているのはジャズアレンジされた90年代ヒット曲。店内には観葉植物。客の声は控えめに濾過され、空間の隅々が上質に包まれている。
そんな中で、編集打ち合わせという名目で待ち合わせた桜庭は、ストローをくるくる回しながら、言った。
「いやぁ~、ほんと多々良葉先生って『ちょっと違うところ』狙うのがお上手ですよね~」
「ちょっと違うって何」
「いえいえ、褒め言葉ですぅ~」
その「ぅ~」が濁点のように引っかかる。だが言葉にはならない。
「では、件の『そろほろ』タイトルはそのままで進行でぇ」
「……そのままで」
桜庭お前、勝手に略してるだろ。そのままじゃないわ。
「は~い。正式表記にしますね~」
「…………」
『そろそろ貴様が滅んでも構わない~XX、お前のことだ~』が正式タイトルって。
XX=桜庭。貴様だぞ。
しかもXXのままって……。
私の人生の何かが削られていく気がする。
終わった。
すべてが始まった気がするのに、終わった気しかしない。
「それとですね、若手ってことでぇ、ちょっと著者紹介のページがあるんですぅ~」
来た。
桜庭、次なる嫌がらせを引いてきた。
「イラストでもお写真でも大丈夫なんですけど~、多々良葉先生って、自画像とか描けますぅ~?」
描けるわけないだろ。
「いいえ」
「じゃあ、写真でもいいんですけどぉ~、たとえば後ろ姿とか?」
てか最初から『顔を出さない』前提で話してるのなんで?
まだ私、顔出しするかどうか、返事してないよね?
微妙に腹が立つな。
だが、ここは大人になろう。
「顔出しNGで」
「あ、はい~大丈夫でぇ~す。花の写真とかでも~。あっ、鈴蘭? いいですね~花って(くすっ)」
花って。
最後に笑うな。
桜庭がレシートを財布に収めながら、明るく言った。
「じゃあ、このまま服、買いに行きましょうか~? 撮影用の~。編集長から予算渡されてるんですよぉ~。別に撮影で使わなくっても、大丈夫ですから」
心のどこかで『逃げたい』と思いながらも、私は立ち上がった。
運命に押されて。
編集方針に押されて。
桜庭に押されて。
★
ビルとビルの隙間から、真夏の陽が地面を炙っていた。
空は青。蝉の声。道行く人々の会話が遠くで交差する。
その中で、桜庭は突然、こんなことを言った。
「ざまぁって、転生ものもあったりしますよね~。こういうところで、交通事故にあってぇ、みたいなぁ~」
私は目を瞬いた。
信号待ちで止まった足。もちろん赤。目の前には片側三車線の幹線道路。
向こう側ではベビーカーの母親が笑いかけ、青年はスマホを見て立っている。
何でもない、どこにでもある光景
「……何、今、このタイミングで言う?」
正面からの照り返しに目を細めながら返すと、桜庭は笑った。
「あっ、別にフラグじゃないですよぉ~? あはっ」
声のトーンがいつもと変わらないのが、逆に怖い。
心の中で呟く。
(不穏だろ! 変なこと言うな! 桜庭!)
――そう思った、瞬間だった。
遠くから、低く唸るようなエンジン音が聞こえた。
白いトラックが交差点の奥から、こちらへと直進してきていた。
ブレーキ音はない。
減速もない。
真っ直ぐに、こちらに向かっている。
周囲がざわつくより早く、私は、桜庭の腕を引いた。
「桜庭! 下がってっ!!」
同時に、視界が白く飛んだ。
熱風。
ゆらゆら揺れるアスファルト。
光のフラッシュ。
叫び声。タイヤの軋む音。反射的に閉じたまぶた。
身体が浮いたような感覚の直後――
すべての音が
止んだ。