16 帰還
ルーメン亭の扉を開けると、厨房からスープの香りが鼻腔をついた。
いつもの匂い。いつもの音。それだけで、ここに戻って来た! と言う安心感に包まれてゆく。
「ただいま戻りました」
周りを見渡し声を掛けると、厨房の奥からベルンさんの「お疲れさーん」という声が返ってきた。鍋をかき混ぜる音が、いつも通りに響いている。
「おう、戻ったか。遅かったな。大丈夫だったか?」
カウンターの向こう、ルークさんがグラスを拭く手を止めてこちらを見る。
「チャーチャさん、保護しましたぁ~!」
後ろから入って来た桜庭が、腕の中の白い猫を掲げると
「チャーチャぁああ!!」
カウンター席に座っていたヴィンセントさんが立ち上がり、全力で駆け寄ってきた。桜庭から猫を受け取ると、胸に抱きしめる。
「よかった……! チャーチャ!」
猫は『マオ~ン』と『大袈裟な』って言いたそうに鳴いた。
「お、無事見つかったか。よかった。お前らも疲れたろ。取り敢えず座って休め」
「はい。ありがとうございます」
言われるまま、カウンターの前の席に着く。
ルークさんもヴィンセントさんも、どこか柔らかい表情をしていた。ルークさんは冷たいレモネードを二つ用意して、私と桜庭の前に置いてくれる。
グラスを手に取りひと口飲む。
冷たさが喉を潤してくれ、漸く落ち着けて深く息を吐く。
それを口にしながら思う。
――ここにいていいんだな、私。
誰も大げさなことは言わない。けれどみんなの反応が、どこか安心したように見える。
心配、してくれてたんだな、と思った。それが嬉しかった。烏滸がましいかもしれないけれども、みんなが家族みたいで、くすぐったくもなった。
「で? 何があったんだ?」
ルークさんが私たちに向き直る。
「森で、変な生き物に遭遇して」
「変な生き物?」
「すっごく大きくてぇ、牙も長くて、涎も凄くてぇ、ドスンドスンって~!」
桜庭が途中から会話に入り、擬音多めで説明する。
「……そんなの、この辺にいたか?」
ルークさんがヴィンセントさんを見る。
「さあ? 聞いたことないけど。で、どうやって逃げたの?」
「逃げてないですぅ~。妖精さんが、ドーンってやって、せいっやぁ!って吹っ飛ばしてくれたんですよぉ~!」
「……妖精?」
「ちょっと!」
ルークさんの手が止まる。
余計な事を言おうとする桜庭を止めようとしたが、いつも通り口は止まるはずもない。
「タタラバさんてば、助けてくれた人を『妖精』って言ってたんですよぉ~。銀髪でぇ~、水色の瞳でぇ~、めちゃくちゃ強くてぇ~。あ、名前はノールって言ってましたぁ~」
その瞬間。
ヴィンセントさんが、ふっと顔を俯けた。チャーチャを抱きしめながら、肩を微かに震わせている。
「ヴィンセントさん? チャーチャに会えて、嬉し泣き? してますぅ?」
そう問う桜庭に、顔を俯けたままヴィンセントさんは応える。
「……うん、まあ。そうだね」
声が少し震えてる。けど、なんか違う気がする。
泣いてるというよりは、笑ってるんじゃないのこれ。
ルークさんはと言うと、グラスを拭く手を再開していた。
やけに丁寧に。
私は、さっきの『ノールさん』の姿を思い出す。
銀髪。水色の瞳。無駄のない動き。あの目。そして浮世離れした美貌。
テオじーさんと水色の瞳は同じ。
よし。ここは確認がてら聴いてみよう。
「ねえ、ルークさん。テオじーさんって『テオ』って名前なんですよね?」
ルークさんの手が、ピタリと止まった。
「ルークさんとヴィンセントさんは、もしかしてノールさんともお知り合いですか?」
一瞬だけ目を伏せたルークさんが、んんっと言いづらそうに口を開く。
「……さあ。どうだろうなぁ。知ってる様な? 知らない様な?」
その目の動きは、普段のルークさんよりも落ち着きがなかった。
それに続いてヴィンセントさんも、俯き肩を震わせたまま
「俺は……知らん……と思う……ククッ」
笑ってるじゃない。
何がそんなに面白いのか、さっぱりである。
私は、グラスを持ったまま、二人の様子を見比べた。
ルークさんはグラスを拭く手を止めて、カウンターの奥を片づけている。が、口元を押さえるようにして、笑いを堪えているようにも見えるし、呆れているようにも見える。ヴィンセントさんはチャーチャの背中に顔を埋めたまま、肩を震わせながら笑っているのは、間違いない。
ノールさんの話をしただけなのに、どうしてこんなに楽しそうなんだろう。
私、何か変なこと言ったっけ……?
……なんだろう、この空気。
私にはまったく意味がわからないのに、二人だけが何かを共有しているような、そんな感じがした。
でも、それが何なのかは、まるで見当がつかない。
ただ、ひとつだけわかるのは――
この場にいる誰もが、ノールさんのことを『知ってそう』ってこと。
それだけは、なんとなく伝わってきた。
「……ふむふむ、なるほどですぅ~」
隣でレモネードを飲んでいた桜庭が、なぜかひとり頷いてる。
「……何が、なるほどなの?」
「いやぁ、妖精さんって、レアキャラっぽいじゃないですかぁ~。見た目も強さも~」
また始まった、と思いながらも黙って聞いていると、桜庭は真顔で続けた。
「これはもう、フラグ立ちましたねぇ~。タタラバさん、ルート入りですよぉ~」
「……は?」
思わず聞き返すと、桜庭はにこにこと笑っていた。
「だって、助けてくれて、名前も教えてくれて、去り際も完璧で……これはもう、運命の出会いってやつですぅ~。目指せ! スチルコンプリート! ですよ~」
「はぁ!? そんな話じゃないから!」
ヴィンセントさんが、また肩を震わせた。
ルークさんは、グラスを棚に戻しながら
「姉妹ってのは、仲がいいねぇ」
と、いつもの言葉を繰り返した。
私は、レモネードの残りを一気に飲み干した。
……もう、知らん。




