15 干物が食べたい訳じゃない
魔物熊が、唸り声を上げながらこちらへ迫ってくる。
私は桜庭の腕を引きながら、必死に後ずさる。
「ど、どうしよう……!」
「タタラバさぁん、私がチャーチャさんと干物は守りますからぁ~!」
「ふざけるな! 干物より私を守れ!」
魔物熊が地面を踏み鳴らすたび、土が跳ね、木々が揺れる。
鼻をひくつかせている魔物熊。
これは絶対に、匂いを嗅ぎつけて来たんだ。
「桜庭! 干物よ! 魔物熊の狙いはソレだ! 捨てて!」
「無理ですぅっ!」
「捨てろ!」
「チャーチャさんが、酷いって言ってますぅ~!」
「言うわけないだろ! 捨てろ!」
この期に及んでまでも、干物を捨てない桜庭。
どう考えても『捨てる一択』だろ!
私の後ろで、腰が引けてる桜庭の手から、無理やり干物を奪う。
「あ! タタラバさんっ! 今は干物に構ってる場合じゃないですよぉっ!」
「馬鹿か!」
今は一刻を争うんだ。
桜庭にこそ、構ってる暇はない!
震える肩をなんとか動かし、干物を向こうの方へ投げようとした
――その時
シュっと風が、吹いた。
いや、風じゃない。
何かが私たちの前に、音もなく立っていた。
「……!」
白いシャツと銀の髪。透き通る水色の瞳。
妖精だ!
彼は、無言のまま魔物を見上げる。
魔物が咆哮を上げ、牙を剥いた瞬間!
妖精の身体が魔物熊に向かって滑るように踏み込む。
と同時に、拳が風を裂き、魔物の胸元に突き刺さった。
ドンッ──!
空気が、一瞬で潰れた。
拳が、圧の塊となって魔物熊の胸に突き刺さる。
巨体が沈み、骨が軋む音が遅れて響いた。
魔物熊の体躯がくの字に折れ、 粘土のように歪みながら
──紙のように吹き飛んだ。
落ちたその軌道に、幾本もの樹が裂け、 葉と枝が大気の悲鳴とともに舞う。
風が、拳の軌跡をなぞってから、ようやく揺れた。
――そして、訪れる静寂。
「……え?」
私は、目を見開いたまま、声も出せなかった。
拳、一発。
それだけで、あの魔物熊が
吹っ飛んだ。
魔物熊は既に……動かなくなっていた。
(うおぉ!……スッゴ! 妖精王、強すぎ!)
心の中でそう叫ぶ。めちゃくちゃ凄すぎではないか!
呆然とする私と桜庭と猫。
妖精は魔物熊を一瞥すると、そんな私たちの方へ振り返る。
「コイツは気絶しているだけだ。今のうちに、森を抜けるぞ」
その声は淡々としているのに、何故か安心感に満たされてゆく。
私たちは言葉もなく、ただただコクコクと頷くしかなかった。
★
妖精の後ろをついて歩く、私たち。
森の中は、さっきまでの緊張が嘘のように静かだ。
それにしても――
……あの強さ、何者? 電光石火だったよね。こう……ザッとして、パッとなって、ドスン! ズサァーッ! みたいな効果音が頭の中で再生される。
異様な強さと、浮世離れ感。
やっぱり妖精王……なのか?
ちらりと横を見ると、桜庭は呑気な顔でチャーチャを撫でながら歩いている。私の視線に気づいたのか、桜庭はテケテケと寄ってきて――
「ねぇ、タタラバさん~」
ヒソヒソ声で囁いてくる。
「なに」
「さっきの、見ましたぁ?」
「見てたわよ。その場にいたんだから」
「すっごかったですよねぇ~! あの人、絶対メインキャラですよぉ~! しかも隠れキャラ枠のレアで! 今の戦闘、好感度イベント発生って感じでしたぁ~!」
「……は?」
「だってぇ、助けてくれたじゃないですかぁ。あれ、絶対フラグです~。次会ったら名前とか教えてくれるやつですよ~」
「そんなゲームみたいな……」
でも、否定できない自分がいる。
あの存在感。あの強さ。あの無駄のない動き。
そして、あの目。
まるで、全部を見透かしているような。
「……」
妖精が、急に立ち止まった。私たちも慌てて足を止める。
目の前には、木々の隙間から差し込む光。そこには、森の外へと続く道があった。
「ここを抜ければ、村に戻れる」
妖精が、静かにそう言った。
「ありがとうございます……」
私がそう言うと、妖精は一瞬だけこちらを見た。
その瞳は、どこか既視感があって。
口調は淡々としていたけれど、目は優しく思えた。
「……気をつけて行け」
そう言うと、彼は森の奥へと歩き出す。
「あのぉ、お名前はなんていうんですかぁ? また会えたりします~?」
さすが桜庭。遠慮という言葉を知らないのはある意味、強みだ。
「……名前はノール。いつかはまた、会えるかもな」
ノールさん。妖精なのか?
「ノールさんは、妖精ですか?」
思わず聞いてしまった。場の空気に乗って。
沈黙。静寂。
ノールさんは何も答えず、小首を傾げ、口角を少しだけ上げた。
そしてそのまま、森の中へと消えていった。
残された私と桜庭と猫。
私はため息をつき、「とりあえず抜けよう」と足を動かし始める。
「タタラバさぁん~。夢見がちなのもいいですがぁ~、妖精はないでしょ~(クスっ)」
「乙女ゲーはいいのかよ!」
「それわぁ~、現実ですよぉ? しっかりしてくださいね~」
「んなわけあるか!」
「ええっ? 今、そうですよねぇ?」
んぐっ……。確かに。今、もしかしたらそういう世界かもしれない。
「なら、妖精がいてもおかしくないでしょ!」
「妖精わぁ~、もっと小さくてぇ~」
なんだよそのセオリー。
道はどんどん開けて、鬱蒼とした雰囲気が徐々に無くなってゆく。
視界には、町の建物が見え始めていた。
「あっ! 私、重大なことに気づきましたぁ~!」
急に大きな声をあげる桜庭。
「今度はなに!」
どうせ、ろくでもない事だろう。
「あの水色の瞳、どこかで見たなぁ~って思ってたんですよ~」
「何かのキャラ? アニメ? ゲーム?」
「違いますよぉ~。第一村人のおじいさんですよ~」
「あぁ、テオじーさん?」
魔物はいないって言った、テオじーさんね!
魔物、居たし!
「そうです~。それと、あの年齢詐称女が言ってたテオノール様とやらですぅ~」
「え?」
「あの人、言ってましたよねぇ~。テオノール様にあーだこーだって」
そういえば! 言ってた!
「テオおじーさんとノールさん。同じ水色の瞳。名前を繋げると『テオノール』 これは何かありますよぉ~、絶対ぃ」
「桜庭! あんた、100年に1度は役立つわね!」
どこで役立つ情報かはまだ不明だけど、これは大きな発見だ。
「もしかしたら、祖父と孫……とかかもですねぇ~」
「あり得るね! 帰ったらルークさんに聞いてみよう」
私たちは先ほどよりも足取り軽く、帰路を駆けるように小走りでルーメン亭へ向かった。
そんな中で。またしても桜庭、余計な事を言いやがった。
「あっ。タタラバさんてばぁ、干物そんなに食べたかったんですねぇ~」
は?
言われて気づく。
そうだ、私……干物、まだ持ってた!
「言ってくれればよかったのにぃ~。ね~、チャーチャさん~」
『マオォォ~ン』
「違うわ!」
明らかに勘違いしている桜庭と猫。
こやつらに干物を投げつけてやりたい気持ちになった。
「干物女ですね~」
「もう黙れ!」
傾きかけた陽を浴びながら。
私たちはやっとの思いで到着した、ルーメン亭の扉を開けた。




