いくら死に戻ってもモブな僕が美少女と手を取り合って邪神を倒し世界を救えるわけない
日曜のお昼、東京の真ん中に大怪獣が出現した。
僕は何もできず、怪獣のまき散らす破壊の中で命を落とす。
──そこで、目が覚めた。
「……夢か……」
もう何度目かの、同じ内容の夢だ。
二度目までは、同じ夢を続けて見るなんてレア体験だな、としか思わなかった。
三度目も「二度あることは三度ある」ってやつか、なんて思っただけ。
だけど、もう四度目。さすがにおかしい。
だって、そもそも僕は眠ってない。
夢から覚めるのはいつも日曜の朝だ。
浪人生だけど日曜は勉強する気になれなず、映画でも見ようと家を出る。最寄駅から電車に乗って、窓に寄りかかりながら覗き込んだ空は、ぐるぐると巨大な渦を巻く黒雲で覆われていた。
ついさっきまで、晴れていたはずなのに。
遠く見える渦の中心には、ちょうどスカイツリーの尖端が突き刺さっている。黒雲の渦に沿って紫色の妖しい光が、そこに吸い込まれていく。
ドクン、とスカイツリーが脈打つ。
そのあと何が起きるかは知っているから、冷静に観察できた。
渦の中心からドロリと溢れ出した紫色のゲル状物質が、スカイツリーを覆っていく。それによって受肉したスカイツリーは、天高くそびえる紫のイカのような巨大怪獣と化すのだ。
根元では何本もの太い触手がのたうち、ソラマチの建物群がなぎ倒されていく。週末のお昼前、そこにはきっとたくさんの人が……。
そして、そろそろだ。ツリーの展望台があった辺りで、縦に巨大な眼が開く。
金色の瞳と目が合った瞬間、そこから照射された紅い光束が街を消滅させながら迫り来て、電車も飲み込む。周囲は紅い光で包まれ、なにもかも塵になっていく。
きっとこれが世界の終焉なんだと、根拠もなく理解した。
本当に何もない、つまらないモブキャラ人生だった。
どうせ死ぬなら人の役に立ってみたかった、そんな風に思いながら意識が薄れていく。
──そこで、目が覚めた。
「……夢か……」
思わず漏れる夢オチじみた呟きも、これで五度目だ。
スマホで日付を確認する。
やっぱり、また同じ日曜の朝だ。
眠りについていないのに、夢から覚める。
もしかするとマトリョーシカみたいに多重の夢の中にいて、これからまた同じことが起きて、そして目が覚めるのか?
それにしては、あまりにも意識がはっきりしている。頬をつねれば痛みもある。
とにかく電車に乗るのはやめて、家に引きこもりネットを検索する。
「スカイツリーが巨大なイカ怪獣になる夢」のことを話している人がいないか、SNSを探し回る。しかしいくらワードを変えてみても、ヒットするのはダイオウイカとイカ娘ばかり。
chat GPTに訊ねたら、ご丁寧に夢占いの結果を教えてくれた。
誰とも共有できない孤独に絶望しかけた、そのとき。Xに「スカイツリーがイカのバケモノになってヤバい!」というそのものな投稿を見つけた。
やっぱり僕だけじゃなかった! しかも更新するたび似たような投稿がどんどん増えて……
そこでふと気付く。震える手でリモコンを取って、テレビの電源を入れる。緊急ニュース速報が流れていた。
『東京都墨田区、東京スカイツリー付近に巨大生物出現』
ちょうど、電車の中であれを目撃したのと同じくらいの時刻だ。当然と言えば当然かも知れない。僕の行動に関係なく、あれは出現するのだ。
『巨大生物は南西の方角に移動中』
画面には台風のような予想進路図が表示される。完全にこっちに向かっていた
閉めっぱなしだったカーテンを開ける。遠くに天高くそびえるイカが見えて、金の瞳と目が合った。
慌てて閉めたカーテンの隙間から漏れる紅い光。
そしてすべては塵となり──
──目が、覚めた。
六度目だ。偶然かも知れないが、イカは僕を狙っているのかも知れない。こうなったらもう現場に行ってやる。もしかしたら灯台下暗しで、眼から逃れられるかも知れない。そんなわけないのは、わかっているけど。
スカイツリーの根元に到着した僕は、その威容を見上げる。あの姿を見た後だと、格子状の白いフレームはもともと骨として作られたようにさえ思えてくる。空は、黒雲に覆われはじめていた。
ふと、少し離れた場所で同じように空を見上げている少女が目につく。
いまどき見ない黒地のセーラー服を着ていて、きっと女子高生なのだろう。黒髪をポニーテールにまとめた、透明感のある綺麗な子だった。
この場所でツリーを見上げている人は珍しくもないけど、思いつめたように真剣な横顔が気になった。
「──はじまった」
少女の唇が、そう動いた気がする。
ほぼ同時に、スカイツリーの受肉が始まった。
一本ずつでも見上げるほどの太さの触手が、何本も地面を割って現れて、土煙を巻き上げながら建物を薙ぎ払い、人間ごとすり潰してゆく。
何が灯台下暗しだ、こんなのどうしようもないじゃないか。
呆然と立ち尽くす僕の前方数メートルまで迫った触手にそのとき、縦に銀色の光が走った。触手は、そこで綺麗に輪切りになった。
「逃げてください!」
声がした。切り離された触手が生臭い匂いとともに僕の左右を通り過ぎて、その向こうにさっきの制服の少女が、抜き身の日本刀を手に立っている。
あの刀で斬ったのか? 疑問に応えるように、襲い来る別の触手に向かって刀を一閃する彼女。瞬間、刀身を包む銀色の光が何倍もの大きさの刃を形成して、触手を斬り捨てていた。
すごい! もしかして彼女なら……!?
しかし、次の瞬間。ぞわりと走った悪寒に空を見上げると、こちらを見下ろす金の瞳と目が合った。見つかった、そう思った次の瞬間には、僕も触手も彼女もまとめて、紅い光の中で塵になった。
──七度目。目覚めてすぐスカイツリーに向かう。そして彼女を探す。
……いた! しかも向こうもこちらを探していたようで、目が合った瞬間にこちらに駆け寄ってくる。まちがいない、彼女にも夢の記憶がある!
「あのイカのこと、知ってるんですか?」
「はい。我が家の口伝によれば『黄泉伊禍主』という邪神です」
「……じゃしん……」
「そして、邪神を天に却すのが私のお役目でした。でも──」
美しい顔が翳る。たしかに、目の前の華奢な少女が一人で背負うには、重すぎる使命に思えた。
「──お願い、あなたの力を貸してください!」
「は!? はい!」
美少女のすがるような懇願に、思わず即答してしまう。僕なんて何の力にもなれないのに。そうこうしている間に、邪神の受肉はもうはじまっていた。
「そうだ、上に気を付けないと!」
白い鞘袋から刀をすらりと抜き放った彼女に、声を掛ける。のたうつ触手を斬り捨て親子連れを救った後、僕の言葉に応じるように、彼女は腰を落として刀を構え空を見上げた。
「──秘剣、銀月!」
澄んだ美声が響き、立ち上がりざまに振り抜いた刃の軌跡が、三日月型の銀の光刃と成って真っすぐに飛翔する。屈み込んだ邪神の瞳に向けて。
行けっ! 心の中で念ずる僕。中腹の展望台は正確には「展望デッキ」と呼ばれ、高さは350メートル。そこまで光刃が到達するほんの数秒が、何十秒にも感じられるなか、邪神の巨大な眼は左右からゆっくり瞼を閉じた。光刃は、その表面で儚く霧散する。
「……そん……な……」
呆然として、彼女はその場にへたり込んでいた。
「──ダメだッ! 立って!」
僕の叫びも虚しく、頭上より振り下ろされた触手の下に彼女の姿は消える。そして立ち尽くす僕もまた、同じ触手に為すすべなく薙ぎ払われて、意識は暗転した。
──八度目。始発でスカイツリーに向かう。
わかってる、行っても僕には何もできない。でも彼女をひとりきりにはできない。この繰り返しに気付いているのが僕と彼女だけなら、それがきっと僕の役目だ。
押上駅の改札から駆け出した瞬間、すぐそこの道端にうずくまるセーラー服を見つけて、つんのめりそうになりながら足を止める。
「やっぱりダメ。本家の血筋じゃない私には、無理なんです」
近寄る足音に気付いて顔を上げた彼女は、泣き腫らした目で訴える。
彼女の一族は代々、島根県の山奥にある小さな神社に仕え、邪神からこの世を守る役目と御神刀を受け継いできたのだという。
しかし、古より邪神と戦うために伝えられてきた「神去の秘儀」の大半を、彼女は修得できていなかった。唯一、御神刀の力を借りることで完璧に使いこなせるのが、あの秘剣「銀月」。
──それさえ通じなかったことで、彼女の心は完全に折れた。
「ええと……そういえば、うちの祖母も島根の出らしいんだよね。結婚を認めてもらえなくて、駆け落ちみたいに東京に出て来たんだって。すごいよね、なんか」
一昨年、亡くなった祖母のことを思い出す。困っている人には傍にいてあげるだけでいい。独りじゃないと思えることが何より支えになるんだと、それが祖母の口癖だった。優しくて厳しい祖母のことが、僕は大好きだった。
俯いていた彼女が、その話を聞いてゆっくり顔を上げる。まだ涙に潤んだ瞳で、黙ってこっちを見つめてくる。細い肩を抱きしめたくなる衝動を必死に抑え込む。
──僕なんかを頼ってくれた彼女に、いったい何をしてあげられるだろう。
「よし……それじゃあデ……いや、ちょっと観光しようか」
とにかく楽しいことを、と考えた。さすがにデートとうそぶく勇気はなかった。
「え……?」
「せっかく遠いところ出て来たんだし、時間もまだあるから。ええと、ソフトクリームとか、好き?」
きょとんとした表情で、彼女はうなずいた。
それから二人でソラマチを散策して、一緒に北海道直送を謳うミルクソフトクリームを食べた。
「……おいしい……」
「展望デッキでも、ソフトクリーム食べれるらしいよ」
「……そう、なんだ……」
彼女の表情が、すこしだけ綻んだ気がする。ソフトクリームで冷やりしていた胸の真ん中が、ほんのり温かくなった。
その温もりに背中を押され、僕は考えていたことをゆっくり言葉にする。
「──邪神さ、瞼を閉じたよね? それって、閉じなければあの秘剣が危いと判断した、ってことじゃないかな。あんなにバカでかい怪獣──ていうか邪神だから神様? そんなやつを怖れさせたんだから、きみは凄いよ」
彼女は無言だった。すこし、鼻をすする音がした気がする。
そのうち周囲が騒がしくなったけど、紅い光に包まれる寸前に僕らは、ソフトクリームを急いで最後まで食べきった。
それが、九度目の夢だ。
僕は今、受肉の始まったスカイツリーをひとり見上げる。周りに彼女の姿はない。
やがてゆっくりと邪神の眼が開いてゆく。
「ここだ! こっちを見ろ!」
僕は両腕を大きく振りながら、これまでの人生で一番の大声で叫んだ。
目が合う。金の瞳孔に銀の光が灯る。その表面を突き破って、三日月型の光刃が空に放たれた。
──展望デッキで待ち受けていた彼女が、邪神の体内から放った銀月の一閃である。
苦しげな絶叫で空気を震わせながら、受肉の巻き戻しのように邪神の肉体は紫のドロドロと化し、黒雲の渦の中に却ってゆく。
触手が本格的に暴れだす前だったから、建物にも被害はほとんどない。
何人かは救急車で運ばれたようだけど、スマホでニュースを見る限り大きな怪我を負った人はいなそうだ。
彼女は、どうなっただろう。せわしなく行き交う人々の中で僕は、雲一つない晴天にそびえるスカイツリーを見上げ祈る。「大丈夫だよね」と、小さく声に出して。
「──うん。大丈夫」
すぐそばで聞こえた声に慌てて視線を戻したのと、彼女が僕の胸に飛び込んで来たのは、ほとんど同時だった。
「……ッ!? よっ良かった……あ、写真とか撮られてない?」
「うん。中は真っ暗だったし、みんなパニックだったから」
むしろ僕の方がパニックになりかけだ。
見下ろすと、抱き着いた彼女の上目遣いと完全に目が合ってしまう。長いまつ毛が震えている。
焦って目を逸らして周囲を見回すと、他にも無事を喜んで抱き合っている家族やカップルがいて、意外と場違いではなかった。
「ありがとう。ぜんぶ、ぜんぶあなたのおかげ」
「い!? いやいや、僕は何もしてないよ。ソフトクリームおごったくらい」
「そんなことない、ひとりじゃ絶対に心が折れてた。そもそも、あなたの秘儀がなければとっくに世界は滅びているのだし」
「え? ……ちから……?」
彼女は上目遣いのまま不思議そうに首を傾げ、それから「あっ、そうか」と口にする。
「自覚ないんだよね」
いったい、どういうことだ。
「五十年前、歴代最強と云われた本家筋──正当な神去の継承者がとつぜん姿を消した。好きな人が出来て、駆け落ちしたの」
「……え?」
駆け落ち。それって、まさか。
「神去の秘儀“夢転”──自らの命と引き換えに、すべてを夢だったことにしてやり直す。きっとあなたはそれを、お祖母さまから受け継いだ」
だから、僕と彼女だけが今日を繰り返していたということか。話の筋は通るけど理解が追い付かず、呆然とする僕の顔を、覗き込んで彼女はいたずらっぽく微笑みかける。
「でも、やっぱり一番はソフトクリームのおかげかな」
そして僕の胸に顔を埋め、言葉を続ける。
「だから、また一緒に食べたい。今度はね、観光じゃなくてデートがいいな」
──もしかして、これも夢オチなんじゃないか。急に怖くなった僕は、彼女の細い肩を割れ物に触れるみたいにそうっと包んでから、意を決して抱きしめてみる。
彼女が抱きしめ返してくれたから、僕は安心して「うん」と答えた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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