わたしはけっしてえらばれない
「郁子,末子、今日からあなたたちは次期京家当主の補佐官候補です。よく勉強なさいませ」
大叔母の夕雷様の一言で、私たち双子の運命は決まった。
天弓さま、深夜様、夕月さま、霧雨様に生涯お仕えする。そしてその補佐をする、と。
「あなた方は当主補佐官となるのです。その覚悟は,ありますかな?」
「はい、大叔母さま」
そうして私たちは京家へと迎え入れられ,補佐官候補としての教育が始まったのだ。
私たちが七歳になった時、四人と引き合わされた。
その時は天弓さまたちは四歳で,霧雨さまはまだ元気だった。
「お初にお目にかかります。当主補佐官候補の郁子と申します」
「同じく当主補佐官候補の末子と申します」
頭を上げていいと言われていないから上げられない、動くわけにもいかない。
「はじめまして。霧雨と言います。楽にして。」
「はじめまして。天弓、虹です!」
「深夜です。どうぞ,これ飲みますか?」
三人が思い思いに喋る。
けれど,たったその一人一言で私は彼女たちに仕えていきたい思った。
霧雨さまはお優しく、人に慕われる素質がある。天弓さまは一番親しみやすいのに、どこか長たる素質がある。深夜さまは淡々としているのに果てしなく暖かい。
こんな人たちに仕えられるのならそれ以上の幸福はない。
「天弓さま、どうかなさいましたか?」
「なんでもないの。少し隠れさせて」
そうやってゴソゴソ私の後ろに隠れる天弓さま。本当にお可愛らしい。
「郁子、深夜の部屋はわかる?」
「ええ、この屋敷の構図なら全て頭に入っております」
なら連れて行って,と言われたのでのんびりと向かう。
「どうしてお部屋に向かわれたいのですか?」
「どうして?」
天弓さまはくびをかしげて、濁りなど一切ない瞳で言ってきた。
「深夜に会いにいくの」
私を,頼ったわけではない。
「あ、深夜!」
天弓さまはパタパタとかけていく。
私はそれを後ろから見守っていた。
「末子!」
末子の部屋をスパンと開けると,末子は怪訝そうにこちらを振り返った。
「郁子、わたし一応あなたの姉なのだけれど…」
「双子なんだから細かいことは気にしない!それより、大変なの!霧雨さまが!」
二人で霧雨さまのお世話をしに外に出ると,天弓さまと深夜さまに捕まった。
曰く,中に入りたいから服を貸してくれと。
「だめです、許されません」
と抵抗する末子。けれどわたしは二人の申し出を受けて服を貸した。
「なぜ貸したの」
何を言っているの?末子。
「当主となった時に私を選ぶように」
尽くせば、よっぽどでない限り彼女たちの望みを叶えていたら,きっと私は補佐官になれる。
補佐官なれなければ,私には意味がない。幼い頃から補佐官になることだけを目標に育ってきたのだから。
「郁子…夕月さまが失踪した。」
「うそ…」
何かが,壊れていく。これまで築いていたものが,ぼろぼろと。
「これで、当主候補は残り天弓さまと深夜さま…」
お二方は,私を選んでくれるはずだ。
深夜さまは後宮に行き、天弓さまが次期当主となった。
そして天弓さまは見事天弓さまの両親を弾劾し、当主の座についた。
「当主補佐官は、ひとまず保留でいいかしら?深夜たちの居場所にしたいから。」
当主となって以降の、初めての天弓さまのわがままだった。
「なぜ…補佐官に定員はないので,ひとまず別の人物を補佐官にすることも可能ですが」
天弓さまは首を振った。
「あなたたちの献身には感謝しております。いずれそれに報いましょう。けれどそれはこのような補佐官としての立場で報いるものではありません。」
天弓さま…
「末子、どうして,どうして私たちは選ばれなかったの?どうして」
「郁子…」
末子はただ立っていた。そして、天弓さまの側仕えになった。
私は、どれだけ尽くしたのだろう。生まれてこの方,十年以上、補佐官になると言われ続けて育ってきた。それ以外の生きかたになんて、価値があると思わない。
そんなものに成り下がるぐらいなら…
「天弓さま、私に出家の許可をくださいませ」
私の突然の申し出に、天弓さまは驚いていたが了承してくれた。
近くの京家の寺に行くことになった私。
もう髪は断たれて服も変わってしまっている。補佐官にならないのなら意味がない、という気持ちはもう何故かない。
髪と共に切り落としてきた。
「もう遅いけれど,どうして出家の道を選んだの?まだ年若いというのに」
天弓さま、お分かりにならないのですか?
「あなたさまはいつも最後には私を選んではくださらなかった」
天弓さまは笑った。なぜかわからないけれど、ヴェールの上からでも,笑ったとわかった。
「ごめんなさいね。わたくしのいちばんは、もう別の人なの」
天弓さまはいつだって、私の心を折ってくる。
「末子、あなたは残るのね」
「郁子、だってあなた,あなたが仕えたかったのは京家当主であって、天弓様ではないでしょう?そもそも当主に仕えることより補佐官になることを目標としていたあなたが、ここにいるなんて無理よ」
さようならと美しく、けれど恐ろしく笑う末子。
もう会うことはないのだろうな。
「はじめまして、この寺の院長をしております、紫蘭尼と申します。紫の蘭の尼とかきます。どうぞよろしく。」
紫蘭尼と名乗ったのは、院長には若いが十分おばあちゃんな人だった。
「あなたの戒名は?」
「私は…」
あの戒名は嫌いだ。
だって何もできない私の証明のような名なのだもの。
でも他にない。
「鬼忌院と。」
院長はにっこりと笑った。
「あえて不祥の名を冠することで吉祥を呼び込もうという名でしょうね。よろしく、鬼忌院」
おにきいん。忌々しい私の名前。郁子でよかったのに。
「あれー?この子は新入り?」
後ろから声がした。
多分私よりだいぶ年上の人の声。
「ああ。隣の棟を使わせようと思ってるから,お隣さんだな」
隣の棟?
「院が混乱しているわ。ここでは一国一城の主人。全員が寺のようなところを持って生活しているの。初めまして,わたしは桜葉御尼。長いよね。よろしくね」
それから、十五年はたった。
外のことなんて私には知りようもないが、京家からの便りで改革が行われたこととかはしっていた。
「これより、院長の選抜を行う」
院長、紫蘭尼が亡くなり、全員で院長になる試験を受けることになった。
こういう日のために努力は惜しんでいなかったのだから、私は院長になれる。
紫蘭尼はとっても素敵で、私もああなりたいとずっと誰より思っていたのだから。
「最終選考は桜葉御尼と鬼忌院である」
それを告げられた時は嬉しかった。ようやく私が認められたと思ったのだ。
だから頑張った。
結果は清々しいほどの落選。
結局、私は選ばれない。
末子からの手紙も途絶えて…私は結局最後には選ばれなくて、その他大勢となるのだ。
それからさらに時は過ぎ、天弓さまから数えて三代目の当主に代替わりしたらしいと報告を受けた。
『久々に戻ってきて見てはいかがですか』
と、末子からの伝令が記されていた。
私はその時には年功序列で院長になっていた。もう桜葉御尼もいない。もう、誰も私を覚えては…
「久しぶり。郁子」
久々の京家がなんか違う気がして立ちすくんでいると,後ろから声をかけられた。
「末子…老けたわね」
「姉に向かって何をいうの。これでも天弓さまから3代に渡って当主を支えているのよ」
末子…なんであなたは私の欲しかったものを全て持っているの?
「お姉さま、なんて虚しい姿なのでしょう。結局補佐官にはなれずにずっとだらだらとここに?バッカじゃないの。どうして!」
どうしてどうしてどうして。
末子より私の方が座学はできた。
桜葉御尼よりずっと祈りを捧げてきた。
なのにどうして
「どうして私は最後には選ばれないの…?」
どんなに相手に尽くしても、どんなに寄り添ってもどんなに相手を立てても、それでもどうして最後には私は誰かの下になってしまうの?
「郁子…気づいてやれなくてごめんなさい。あなたは私よりずっと真面目だからずっと抱えてきたのね。期待に応えなくてもいいって言うべきだったのは十歳までに。評価を気にするなと言うべきだったのは十二までに。離れていかない人が必要だったのはもうずっと。」
末子…?
「何を言っているの、お姉さま。」
お姉さまにはわからないのでしょうね。私がどれだけ、どれだけ苦しかったのか。
「相手に尽くせば、期待に応えていれば認められるというのが、違うというの?」
そうではないと未子は首を振る。
「でもね、郁子。あなたがなりたかったのは選ばれる人ではなくただの自分の願望を叶えられる存在なのよ。」
望みを全て叶えられる人なんていない、と末子は言う。
末子はいつの間にこんなに強くなっていたのだろう。急に、そう思って虚しくなった。
「あなたは結局自分が大好きなだけなのよ」
末子はこちらに手を伸ばしてきた。
「けれどそれは悪いことではないし、みんなが持っていること。こめんなさい。私がそばにいるべきだったのに。」
私はその手を叩いて、もう京家の敷居を跨ぐことはなかった。
末子はそれから三年も経たずに亡くなった。
私は今でも院長を続けている。
最近、祈っていると別の世界が見えてくる。
もし末子が私の味方でいてくれていたら、もし大叔母さまに交渉できていたら,天弓さまたちと向き合っていたら、という叶うはずもない願望の世界。
でも、ねえ神様。
もしいるのだとしたら,そんな世界があるって、どうか。私のせいでこうなったのではないと,信じさせて。
私が選ばれないのは私のせいだと気がつくのは怖いから。
せめて、あったかもしれないと夢を見させて。私の力が及べば叶ったと,信じさせて。