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夢見幾夜 京の周り  作者: 古月 うい
京の人々,二章
23/25

笑う子、上

「ほら、笑いなさい?」


「笑うと雪子(ゆきこ)はかわいいわね」


そう言われて育ってきた。


だからいつも笑った。笑っていれば、両親の機嫌がよくなる。笑わないと、折檻された。


たとえ殴られても、馬鹿にされても理不尽を感じても、世話をしていた植物が踏みつぶされようと、笑いを絶やすことは許されなかった。


だから笑う。何があっても決して笑いを絶やさない。それが生きるすべだった。


そう言ってきた両親はもうどこにもいないのに、いまもその習慣だけが深く残っている。




「雪…」


きれいな雪。


周りを白一色に染め上げて、息もつけないぐらい埋め尽くす。


私の名前と同じ雪。手に取ると確かに雪は冷たくて、手のひらで跡形もなく溶けた。


ふと後ろから足音が聞こえた。


後ろに人が立っていた。ふつうの、黒い衣を着た京家の人。こんなところにくるなんて珍しいと思っていると、その人は顔を真っ青にして走り去っていった。


あとに残ったのは私の食事だけ。


私は笑ってそれを手に取る。


今更これをどうとは思わない。人間の暖かさなんて、端から存在しないのだから。


雪を踏む足音はよく聞こえるものだ。珍しいことに、もう一人お客さんが来た。


今度は私よりも小さな女の子。京の衣を持っていないところを見ると、新入りかな。


「初めまして!美羽(みう)といいます。あなたは?」


美羽…かわいらしい子。きっと未来に不安はないのだろう。


「ここにきてはいけないよ」


私は美羽を突き放さなければならない。二度とここに来ないようにさせなくてはならない。


それが白衣(しらごろも)なのだから。


「どうして?」


美羽は何にも染まっていないきれいな目を向けてくる。


この子は何も知らないのだ。もしかしたら、仲良くなれるかもしれないという淡い期待が頭をよぎった。


けれどすぐに頭から追いやる。


叶うはずのない願いだ。持ち続けるだけ無駄…


「美羽さま!こんなところにいてはいけません。帰りますよ」


後ろから夕雷がやってきて、こちらをにらみつけてから美羽を抱えて去っていった。


こんな扱いには慣れているを通り過ぎて、もはや無だ。笑顔はずっと顔にある。


そのときはそれで終わると思っていた。




「明日から、姫君であらせられる美羽様のお相手をするようにと、芥子当主様より言伝です。」


珍しく利風が訪ねてきたと思ったら、そんなことを言った。


「利風。久しぶりね。元気?」


「白衣と語る昔などありません」


利風には冷たくあしらわれてしまった。


けれどそもそも、なぜ白衣というだけでこれほど差別されなくてはならないのか。蔑む人々も一歩間違えればこうなるというのに、忌み嫌って。


「残念ね。あの子は姫君だということだけれど、あなたのようになるの?」


死なない利家に。


利風は首を振った。


「彼女は次期当主に内定しております。そのために、京家の行っていることを知る必要があると芥子当主は判断いたしました」


京家が隠したがっている私という存在。それを知る必要があると。芥子は何を考えているのか。


先輩だった白衣はもう誰もいない。白衣は私しか残っていない。


なのに今更目をかけられても、何も意味がない。なぜ今なのか。


「改めてまして、美羽と申します!」


後ろには夕雷が控えていて厳しい目を向けてくる。それだけ夕雷にとってこの子が大切なのだろう。


私は大丈夫と夕雷に笑った。でも、きっと夕雷には違いが判らない。それでいい。あなたたちはこちら側にきてはいけないから、私を理解しようとしていてはいけない。


「初めまして。禁忌能力者、雪子と申します」




結局、私は美羽の魅力には抗えなかった。


あの子は明るくて純粋でそれが武器だった。


例えば私の食事が雑なのに気がついて美羽が持ってきてくれるようになった。


一緒に外で遊ぶことができるように大人たちに掛け合った。


私のような笑顔ではなくいつも楽しそうに笑っていた。


その笑顔が眩しくて、私ではどうしても手に入れられないもので、羨ましくて、でも側にいて支えたいと思った。


「禁忌能力者だから雪子とは関わるなってみんなが言うの。なんで?雪子はいい人なのに」


みんなが避けて通る道に真っ正面から向かってきてくれた。


私を私として見てくれた。私は雪子のそばにずっといたくなった。


でも私からは両親の焼ける匂いが、私を教え諭す声がこびりついて離れない。


手を伸ばすたび、かわいいと思うたび、側にいたいと思うたび、あの火事の瞬間に引き戻されて、どうしても一歩が踏み出せず、笑いもひきつってしまう。




数年が経ち、見た目の年齢が同じになった。


美羽は相変わらずきてくれているが、近ごろは当主としての役割や勉強が増えてきてあまり来られなくなっていた。


「あまり来られなくて寂しくない?」


美羽は昔と同じように純粋だったがその目には洞察力をたたえるようになった。


「そんなことを聞くなんてかわいいね。最近新しい子が来たらしいじゃない」


「そう。夕葉と、もう一人。当主たるもの次代の教育をこなせなければならないからね」


その言葉はおそらく周りの人たちの言葉だ。それが段々と美羽の意志になっている。


こうあれと言われつづけ、従っているうちにいつの間にか何もわからなくなってしまう。


時分かたず咲き続けるなど不可能なのにそれすら気づくことができずに、後悔はもう遅すぎる。何もかもが手遅れだ。


芥子はこの子が大切なのだろうな。禁忌と触れさせていることは、何を考えているのかわからない。今まで、出家したいとしか願っていなくて、それすらもかなえられなかったのに、なぜ。


「可愛い子たちだよ。いつか、きっと京家の中心になる。」


この子がこう評価するのなら、きっとそうなるのだろうという確信があった。


「いつか、私には本心を見せてね、雪子」


いきなり、何を言われたかわからなかった。美羽はこちらをまっすぐ見つめてくる。


「どういうこと?」


「だって雪子、いつも笑ってるのに泣いてる。胸が苦しい。」


この子の力は、精神感応ではない。それなのに気づかれている。


「本心を見せろとは言わない。でもいつか、見せてね」


それだけ言って、帰っていった。



「本心…」


それが心の中で思っている本当のことを指すのだとしたら、今出している表情がすべてだ。


笑うことしかできない。何を見ても聞いても。それが私の本当。




「美羽がなくなりました」


それは、あまりに突然だった。


告げに来た夕雷は忌々しそうに箱を渡してきた。


「美羽からです。」


それは、櫛だった。繊細な模様ではなく、握りやすくくぼんだ所のある櫛だった。


「ありがとう。あなたは、これからもそこにいてね」


夕雷は、少しだけこちらを向いた。


「悲しい顔一つなさらないのですね。やはり白衣です」


そう言って、去っていった。


「それでいいわ…」


二度とここに来ないで。悲しい思いをするのは私が最後でいい。これ以上、悲しみを増やしたくない。



悲しいわけがなかった。


聞いた時、美羽の笑った顔や寝顔、庭で死んでいた猫へ向けていた辛そうな顔、いろんな時のいろんな顔が、私を呼ぶ声が頭を一瞬で巡って、それが一瞬で弾けた。


喪失感。かけがえのない一部がずり落ちて、そこから動けなくなりそうだった。


けれど、水面に映った顔は笑っている。


青白い顔をしながらも,それでも楽しそうに笑っている。涙なんて流れていない。


一滴たりとも流れる気配もない。


それがさらに悲しかった。


「泣き方なんてわからない」


悲しいのに。大声を出して、泣いてしまいたい。美羽の死を、ただ純粋な気持ちで悼みたい。美羽を思う時間が欲しい。


けれど、それはできなかった。


顔は楽しそうに笑ったまま。


心が軋む。胸が耐えられないほど痛い。


それなのに、思い通りにすることができない。


「雪…」


私の名と同じ雪よ。


せめてあなただけでも泣いて。この春の日に、彼女を悼む涙を流して。


もう会えない人が悲しい。


伊織が、あの人が。美羽が、利風が、お父様とお母様が。


私の手には何も残っていない。


なのに、その人たちを悼むことができない。


だから、ねえせめて。

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