ただの才女
わたくしのお母さんは祖母の世代ぐらいまでは華家の資格を持っていて、お父さんは水家の分家の分家の出身だったらしい。
わたくしは小さい頃から六家で生活していて、とても今の立場になるとは想像もしていなかった。
自分で言うのもなんだが容姿には結構自信はあったし、才女だと思っていた。
けれど、力のない家の、たったそれだけが取り柄のわたくしはどこかの家の分家の分家か裕福な商人に嫁ぐのだと、そう思っていた。
「夜叉姫。両親が見えているよ」
そう師匠が呼びにきたのは、確か夏の終わり頃の夕方だった。
普段は六家の他の女の子たちと共に勉強して共同生活を送っていたのでお父さんとお母さんには二ヶ月に一度ぐらいしか会えなかった。
だから単純にお父さんとお母さんに会えるのを喜んだのだ。
けれど会いに行ったお父さんとお母さんの顔色は青ざめているのか赤くなっているのかわからなかったが、嬉しそうではなかった。
「どうかしたの?」
先に口を開いたのはお母さまだった。
「水家の方がこちらに来られて、夜叉を遣せと言ってきたの。」
水家…三家のうちのひとつ。のらりくらりしていると言うのが定評の、お父さんの一応上司。
「それで?」
まさかそれだけなら少しは喜んでいそうなのに。
「夜叉を、後宮の妃にすると言ってきたのだ」
何を言われているのか、理解できなかった。
たかが六家の姫が入内すると。そんなことが許されるはずがないと。
けれど水家に逆らえるわけもなく、わたくしは水家に連れて行かれたのだ。
水家の本邸に連れて行かれるのかと身構えていたが、連れて行かれたのは都にある水家の所有する屋敷の一つだった。
そこにはしかめっつらをした年嵩の女房、牧葉とその他の女房だった。
「いらっしゃいませ夜叉姫様」
牧葉が丁寧に頭を下げてくるので慌てて下げると容赦なく罵声が飛んできた。
やれ背筋が曲がっている腰から礼をしていないだの。
「本日より入内の日までこの牧葉が夜叉姫様に礼儀や何もかもを仕込むことになっております。」
そう言われて、地獄の特訓と称するに相応しい授業が始まった。
六家はあんなに雑に扱っていながら結構しっかり仕込まれていたらしくそんなに覚えることは多くなかった。
もともとわたくしが雑にしていたのが良くなかったのだ。
言葉遣いは頑張ればなおせたので苦労しなかったが、癖になってしまっていた所作をなおすのには時間がかかった。
教養は六家でほぼ足りていてあまり学ぶことはなかったがでしゃばるなと教育された。
曰く、双葉姫が入内するので邪魔はするな、皇后にはなるな、と。
「そもそもあなた様が選ばれたのは入内する人数が一人ではいけないと言う華の方のご意志なのです。」
つまるところわたくしは数合わせで何も期待されていなかった。
ただの才女に求めることとしては、十分すぎるほどだった。
しばらくして実力主義を謳う女当主による京家が成立したという知らせが耳に入った。
凄いとは思ったが、それはわたくしのやることではないとどこか他人事に眺めていた。
わたくしはその頃にはもう空っぽになって行っていた。
唯一、稽古の中で好きになれた古典を読み漁り入内の日を待ち望む日々が二ヶ月ほど続き、わたくしが嫁ぐことになっていた風宮殿下が華の方に即位した。
それと前後してわたくしはひっそりと入内し、主不在となっていた華宮に入った。
初めて華の方にお会いした時は、なぜか似ていると思った。
冷たい口調に投げやりな態度。
けれど、わたくしは彼を理解することができた。
二人で過ごす時間は楽しくて、けれど双葉様のところに通われることが多く、わたくしの元へは夜伽を求めにくることはなかった。
「双葉と会ってみないか?妃同士、交流は必要であろう」
そう提案してくれた華の方によって、もう聞き飽きた名前の主、双葉さまに初めて会うこととなった。
双葉さまはその時まだ妃だったが後宮の支配を実質行っていた。
その前の後宮管理者の華宮のお方は亡くなり、その娘である六花姫は華家の一員となっており、姫巫女さまは離宮に移っていたからだ。
初めてお会いした双葉さまは想像していたより親しみやすくお優しい方だった。
てっきり高飛車なお嬢様を想像していたのだが、物腰柔らかで穏やかに微笑む方だった。
けれどその微笑みには貴族の傲慢さが滲み、絶対にわたくしより格上だという自信が滲んでいた。
「あなたが夜叉妃ね?初めまして。華水の双葉と申します。」
母上が皇女、父上が水の方という生粋の貴族。それを表す名をあえて名乗る双葉さま。
「お初にお目にかかります。華六の夜叉と申します。このような卑賤の身であるわたくしをこのような場に呼んでいただき恐縮です。」
双葉さまはくすくす笑った。
所作は優美だったが、美しさより威厳を先に感じる。これが本物の貴族なのかと思った。
「私のせいであなたがここにくることになったのだから、そう遠慮する必要はないわ。さ、食べなさい」
双葉様のせい?
とはいえ目の前に出されたお菓子はなんとも言えず美しく、とりあえず頂くことにした。
「さて、あなたはどこまで知っているかしら?」
「何をでございますか」
双葉さまは水色の衣を揺らす。
六家には色がないのでわたくしは華家の薄赤を着ている。
「あなたがここへきた理由よ。」
「人数不足を補うため、ですよね」
それ以外に理由があるというのか。
まあ間違ってないわと双葉様は笑う。
「それだけなら水家の分家から姫をいただけばいいだけ。なぜわざわざ遠縁も遠縁からあなたを、しかも一人娘をここに来させたの思う?」
確かに、言われて初めて気がついた。六家にも姫はたくさんいた。なのになぜわたくしなのか。
「それはね、絶対に私に勝てない妃を用意するため。分家ぐらいなら勝てるかもしれないからね。あと後付けだろうけれど血を薄めるためというのもあるわ」
残酷な、けれど刷り込まれた理由だ。
「それなら心得てございます。決して双葉さまに勝ちたいなどという望みは…」
いいけたけれど双葉さまに手で制された。
「別に、私はいいと思っているのに、周りが祭り上げるのよ。風宮さまは来るたびにあなたの話をするわ。そして、好きだと仰った。私は政治的に皇后にならざるおえないから東宮を、水宮を産まなければならないけれど、あなたは自由よ。だから、私はあなたと対等になりたいの。」
双葉さまがこのような人だとは思ってもみなかった。
「華の方は、双葉さまにそのようなことをおっしゃるほど気を許していらっしゃるのですね」
けれど双葉さまは首を振った。
「私とあの方にあるのはただ弱みと政治だけよ」
しばらくして双葉さまが皇女を産み、続いて東宮を産んだ。それにより双葉さまは皇后、天羽に格上げされた。
それ以降、華の方はわたくしにも夜伽を求めるようになり、後宮における華の方の御所にわたくしを移した。
「そなたは話していて落ち着くのだ。何もかも受け入れてくれるような気がする」
「どうぞ落ち着くまで話して行かれて下さいませ。わたくしはここにおりますから」
そうして、一人目の皇女が生まれた。
双葉さまに頼んで仮名をつけてもらった。
それが一番逆らわないという証明になる気がして。皇女は乙葉と名付けられた。
しばらくして二人目の皇女が生まれた。
今度も双葉さまに頼んで清和と名付けてもらった。
皇后さまは華の方を傀儡にしている。
けれどそれは皇后さまが望んだことなのか、外からそう見えているだけなのか、本当なのかは誰にもわからない。
けれど皇后さまはあの時確実に泣いていた。
その涙を拭える存在がいることを切に願う。
わたくしにな命さえかけられる夫がいる。けれど皇后さまには何もない。ただ誇りと己自身への信頼だけで生きていた。
寄り添いたいとは思うけれどもう嫌だとも思う。
もう、誰かの思い通りに動くのはごめんだ。
冷たい人かもしれない。けれどわたくしは水家について行った時から覚悟を決めていた。
だからわたくしはここで生きていく。
ただの才女が、華の方の寵姫として。