勿忘草、白拍子火羅
私たちはどこにもとどまらない。
私たちはただ人の呼ぶ声にこたえる。
私たちは花魁より教養を備えていなければならない。
…それが、私たち白拍子の教えだ。
「さあ夕月、今日は私の舞台を見ていて、後から出てきてね」
いつもは無表情ながら美しくうなずくのに、夕月は青い顔をして首を振った。
「どうして?」
けれど夕月は答えない。これほどおびえる子供を外に出すことはないので、使用人に任せることにして舞台に出る。
私は白拍子だ。
花街において梅林楼閣に行き、そこで良い成績を収めて白拍子となった。
ほかの梅林楼閣の人々と違い、男を相手にすることはない。私には各地を巡って舞う白拍子だという誇りがあった。
夕月はすこし特殊で私が直接弟子にした。
同期だった京月に頼まれて引き取ったのだ。
4歳とは思えない所作の美しさや落ち着きもあって、どこの子なのかと不思議に思う。
女性でこんなに教育が受けられるところは大貴族かこっちの人たちだけなのに、夕月からはそんな匂いはしなくて、でもとても優秀だった。
「いやーいつみても美しいね、火羅」
舞い終わって挨拶に行くとそう褒められた。この人はもはやなじみだ。
「おほめにあずかり恐悦至極に存じます」
決して寝所を共にはしない。それが私たち。
「次は、後宮です」
「え、後宮?」
白拍子への依頼は一度白拍子協会を通して行う。
そのため各地の協会には白拍子が休む場所も整えられており、警備もしっかりしている。
次の場所もここから伝達される。
そして後宮は、いわば売れっ子の晴れ舞台だ。そんなところに行けるなんて。
「分かりました。いつですか?」
もはや顔馴染みとなった協会員は書類を渡しながら告げた。
「一月後」
「なんか、懐かしい」
「なぜ?」
だってここは…
「師匠の友達がいるのですよ。」
夕月はきれいな瞳をぱちくりさせた。
「だれ?」
彼女の名はそう、気高き花の名。
「菫。」
私はむかし住んでいた村で唯一学校に通っていた。菫はその村の巫女の娘だった。
村には同年代の女の子が私と菫だけで、それ以上のつながりもあったが私たちは仲が良く、いつも一緒にいた。
けれどいつまでも過ごすことは無理なのだと、二人とも理解していた。
私はいつか官吏になるか白拍子になり、菫は巫女になる。
それ以外に道はなかった。
「さあ、始めましょうか」
一歩踏み出す。
花が咲いている。
美しく咲き誇る花からは、強烈なにおいがする。
いい匂いだ。でも、それだけ。美しい匂いではない。
「るり、お帰り」
菫は遠くの学校から帰ってくる私を迎えてくれた。
いつも優しくて、私よりずっと賢かった。
けれど彼女は巫女にしかなれなかった。
菫はいつも明るく優しく、たくさんのことを教えてくれた。
白拍子の試験と官吏の試験を受けて村に戻ると、菫の祖母が亡くなったと母から聞かされた。
本来なら巫女の仕事を受け継ぐのは母の妹で菫の祖母の娘の人のはずだった。
けれど彼女は心を壊していて、そんなことは不可能だった。
だから菫が重荷を背負わされたのだ。
村に唯一の巫女となってほかの村との外交や内政を担う。
それがたった14歳の女の子にとってどれだけつらかったことか。
私は彼女と言葉を交わせないまま白拍子の試験に合格し村を出て弟子入りし白拍子火羅となった。
菊ずくしを踊る。
手を上げるたびに菊の花が揺れる。
ふと顔を上げると、黒い衣に身をつつんだ人たちがいた。
そういえば、夕月も元々黒い服を着ていたな。
「え、菫がいなくなった?」
「ええ。」
久々に寄る機会があって村にいってみると菫はいなかった。
巫女は別の、菫のはとこの子が継いでいた。
「どうして」
母は首を振るだけだった。
それから私は、菫を探していた。
転機が訪れたのは数か月前。白拍子協会から手紙を渡されたのだ。
菫が文字を学んで手紙を書いてくれたのだ。
祖母の3回忌でさるお方に引き取られ、今は後宮にいると。
あの時はお別れも言えずにさびしかったと。
「夕月、京宮というところはわかりますか?」
夕月はこくりとうなずいて歩き出した。
「なぜわかるのです」
「以前地図を見たので」
それだけでこれほど迷いなく歩けるのだろうか。
着いたところは黒かった。
本当に黒くて、黒以外の色がなかった。こんな時期なのに桜の花びらがそこら中に散らばっていて、きれいだった。
「ごめん下さい、菫の方にお目通りを」
けれど誰も出ない。
夕月が不安そうにこちらを見つめてくるので、あきらめて戻ることにした。
「ごめんなさい、こんなことにつき合わせて」
夕月は首を振った。
「あたしの姉がいるかとおもったから」
目を見開いた。
そして、なんだかこの少女が泣いていそうに見えて、夕月を抱えた。
夕月は抵抗することなく抱えられていた。
「よかったの」
小夜の言葉に私は首を振る。
「るりはもう立派になって、私を必要としていないからね」
小夜はわからないと首を傾げた。
「会えばいいのに」
そうね、と目を伏せる。
でも、会ったところで何かが変わるわけでもないわ。
るりはきっと今の私を見たらがっかりするだろうな。
「立派になって…」
窓から外を見つめるとるりが角を曲がるころだった。
きっともうにどとあうことはないだろう。
それが私たちの生き方なのだから。
「夕月、行きましょう」
夕月は黙ってうなずいた。
しばらくはこうして二人で旅をする。
たくさんのところに行って、たくさんのことを教えて。
そうしていつかは夕月が旅立っていくのであろう。
私をおいて、きっと夕月は最高峰の白拍子、阿国となるだろう。
「久しぶり、聖羅」
白拍子協会で4日の休息をとっているときに、かつての姉妹弟子に会った。
「火羅!わー、久しぶりね、元気だった?」
聖羅は少し背が伸びていた。
「いつまでここにいるの?」
聖羅は愛嬌があって、私は無愛想で聖羅は一般の人々からの人気が高く、私は貴族たちからの人気が高かった。
「4日だよ。」
聖羅はニコニコしていた。
「その子は?」
そう、ずっと後ろに隠れていた夕月を指さした。
「私の弟子、夕月だよ」
聖羅は夕月と目線を合わせるためにしゃがんだ。
「初めまして。」
夕月はしっかりとうなずいた。
「へー、あなたが弟子を取るなんてね。」
「別に、京月に押し付けられたの」
聖羅はまだくすくす笑っている。
「師匠?」
後ろから10歳になるかならないかの女の子が出てきた。
「こちらは火羅、私の姉妹弟子よ。」
「あの、聖羅?」
おそらく聖羅の弟子だが、見覚えがない。
「美玲よ。経歴は夕月とにているよ。」
美玲はきれいな所作でお辞儀をした。
「お初にお目にかかりまする。白拍子聖羅が一番弟子美玲と申します。以後、お見知りおきを。」
完璧な所作だ。
きっといままで鍛えられたのだろう。私たちもそうだった。
梅林楼閣を卒業した者は弟子としての登録を行い、誰かに弟子入りする。
そこで出会ったのが、聖羅だ。
そのころから明るく屈託がなかったが貴族との会話は苦手で舞も粗削りなところが目立った。
師匠はすでに五十を超えていて、厳しかった。
舞よりも貴族の相手としての言葉遣いや教養をたたきこまれた。
聖羅の方が2年ほど先輩だったが私が2年で独り立ちしたときもまだ弟子だった。
「いつか一緒に行動しようね!」
そう言ってくれた。
いくら権威ある白拍子といえど一人で行動していると暴漢に襲われる可能性があるので基本は二人以上で行動するのが推奨されている。
そのときは一緒に行こうと言ってくれたのだ。
うれしかったが、それが果たされることはなかった。
「せっかくだから、久々に一緒に過ごそう」
「ええ」
夕月にしてみても、年のある程度近い美玲と交流するのはいい刺激になるだろうし。
「では、また道が交われば」
「またね。」
私たちは決してずっと一緒にいることはない。
それが白拍子だ。
寂しさなんて、とっくの昔になくした。
私たちは、白拍子なのだから。