霊泉の巫女
深い深い泉の底。
私は沈んだままじっと聞く。
人々の願いを、祈りを。
けれど私は何もできない。何一つ、できやしない。
私の願いも祈りも、姿も声すら、届くことはないのだから。
ぽちゃんとやってきた祈り。
私にささげられた祈りはここにやってくる。
祈りはきれい。光の玉でキラキラと輝いて、私の屋敷は光でいっぱい。どれも大切な、美しい祈り。
新たな祈りは悠里からのもの。悠里の祈りは小さくあたたかくかわいい。
例えばあの子と仲直りできますようにとか、あの人形が欲しいとか。
ときどきふと、久々に地におりて悠里に会いに行ってみようかと思う時がある。
でもそのたびに空しいだけだとやめる。会わずに想像する方がよっぽどましだ。
はじめ70年でもう、あきらめた。
そんなある日、大きな祈りがやってきた。
悠里からのものだ。
手を触れると痛いほどの強い祈りが伝わってきた。
『お父さんとお母さんを返してください』
このような祈りはないわけではない。
むしろ結構ある方だ。そのようなときに人は神に祈りたくなるのだろう。それを悪いこととは思わない。
でも、私は何もできない。何ができるというのか。
そう思っているのに、足が動く。
地面をけって上に上がる。
あれが悠里…
まだ髪を伸ばす前の尼そぎで、どこか鬱々とした雰囲気の少女。
縁側に腰かけて黙ってかたくななまでに外を見つめ続けている。
私は近くにあった大きな木に腰かけて見守る。
日が傾いたころ、中から老女が出てきた。
「悠里、もう中にお入り」
「おばあさま。ごめんなさい。窓を開けておいていいですか?」
悠里が中に入っていく。
「窓を開けておいたら、お母さまたちがいてくれるような気がしますので。」
悠里…
小さな願い。けれどもうかなうことはない。いつもの生活のあたりまえは、悠里から奪われてもう戻ることはない。
仲直りや人形ではない。もう二度とかなわない。
落葉の季節で山のてっぺんが白いことに、私はこのときはじめて気が付いた。
私は悠里の願いをかなえるために夜に悠里の頭をなでた。
「おばあさま、昨日お父様とお母さまが会いに来られました」
翌日、悠里はそういっていた。
私がわかったということ?
なら、姿は見えるのだろうか。声は?
やめた方がいい。また絶望するだけだ。
そんな思いを抱えたまま、泉に戻った。
いないうちにたまっていた祈りがそこかしこに浮かんでいる。
岩の奥に進もうと舞台から降りたら私の白髪がふわりと膨らんだ。
岩の奥には魚の目のような無数の光が見える。その光の下に進むと、あたり一面星玉花が咲いている。前任者が作った花だ。
一つつまんで庭に戻り、祈りを花に触れさせる。
すると光は吸いこまれるように花の中に入り、花の鮮やかさが1段階増した。
それを繰り返し花に祈りを込めていく。
ある程度になったら、その花を灯篭に込める。
そうしたらその灯篭はいつまでも輝いてくれる。
戻ると悠里が泣いていた。
お母さんが来てくれなかった、と。
悠里は本当に私が見えているのだろうか?
だとしたら、姿を見せようか。
ダメ。はじめ70年を忘れたの?私。
でもだとしたらどうして私はここにいるの?なにもできないとわかっていながら。
悠里の祖母は、この一族には100年ほど前にもそのような人がいたらしいということを悠里に教えている。
それは、私を代々見られるということ?
この地域の泉への信仰は衰えを知らない。そもそも2千年以上の歴史があるのだ。私の方がずっと後付けだ。
100年ちょっとしかここにいないのだから。
私がずっとここにいる間も、悠里は祈り続けてくれている。
悠里の祖母が語った翌日、悠里は山で花を集めていた。
私がそっと前に立っても気が付かない。必死に集めている。
どこに行くのかとついていくと、お墓だった。
おそらく悠里の両親の。
悠里が離れた後にそのお墓を見ると、やけに古く苔が生えていた。
文字は全然読めなかったが、かろうじて霊家と書かれているのが読めた。
それに気が付いた途端、なんだかよくわからない感情があふれた。
そうか、それなら私が見えるのは納得できる。
ああ、まだあったんだね。まあそりゃあそっか。
またここに来るなんてね。
悠里だお供えした花は、しろいちいさな花だった。
100年前と変わらず、あたり一面に咲いていた。
2年が過ぎた。
もう悠里の頭をなでにいくことはなくなり。たまに上から眺める程度になった。
もうそろそろ会いに行ってみようかと思ったとき、上から大きな音がした。
たくさんの光に包まれて黒髪の美しい少女、悠里が落ちてくる。
キラキラとした久々に見る泡に包まれてゆっくりと落ちてくる。
私はあわてて悠里のもとに駆け寄り、耳と目の間あたりに手を添えて力を流し込む。
悠里はだんだんと穏やかな呼吸になったので幻部屋に香は焚かずに寝かせる。
一緒に落ちてきた祈りを見つけて手を添えてみる。
『私からいなくならない人をください』
それを感じて、成長したなと思った。
ないものを嘆くのではなく、希望に変えているところが。
私は幻部屋に戻り、香を焚く。悠里の願いをかなえるために。
それから2,3か月たった。
悠里はまだ幻からでてこない。まあそんなものだ。早く出てくる人はいない。
あの香は時空をゆがめるから中と外の時間の流れは違う。
私は時々見に行きながら平和に過ごしていた。
上を見上げるとなぜか光がさしていた。
「早く起きてね、悠里。」
けれど私の口からは泡が出てくるだけで声にはならない。
何度挑戦しても、私は声をひとには伝えられない。
もう、誰にも認識されない。私は本当に生きているの?
ぼんやりとそとを眺めていると後ろの水が揺れた。
悠里が起きたのか。
後ろを向くと、悠里の瞳は真っ赤で、美しいまでにさっぱりとした笑顔で立っていた。
「泉神様、あなたは悲しいの?」
首をかしげて静かに問うてくる。
私の白髪とまばゆいばかりに白い衣がひらひらと水に揺れる。
「わたしが神様を祀るね。わたしは神様に助けられたのだから、わたしが神様を助けるね。」
にっこりと笑っていて、とっても美しい。
「傲慢だけど、いいかな」
私は、水の中でも泣けることに今気が付いた。
「では、あなたを元に戻さないとね」
すっと立ち上がって悠里のほほに手を触れる。
そして悠里から力を取り戻しながら、悠里を上にあげる。
「ありがとう、霊泉の巫女」
そしてさようなら。
泉に桜の花びらが入ってきて顔を上げる。
もうそんな季節なのね。
あれからどれだけの時が経ったのだろう。
私にしても、長い時が経った。
私は岩陰に歩み、星玉花を1輪手折る。
そこに悠里の祈りを込め、花びらを一つ一つとって岩陰に埋める。
もう二度と来ない悠里。私の願いを聞いてくれた悠里。
ありがとう。
一応元とした曲が存在はします。
1章の最後の方に出てくるので割と必要な人(神?)になります。