そこはお前の場所じゃない。
「あ!新しいファンレター届いてる!」
嬉しそうにはにかむ太陽に、アイパッドでスケジュール管理をしている月が声をかけた。
「太陽さん、そろそろ移動なので準備お願いします」
「あ、はーい!」
ご機嫌な太陽に首を傾げて、ファンレターBOXが目に入り、なるほど、と理解した。惑星はその箱に目を向けたまま口を開く。
「…今回もファンレターたくさん来てますね」
「はい!ありがたいことに今回もたくさんです!」
「先にこちら運んどきますね」
「あー…はい!お願いします!」
読みながら移動しようと思っていた太陽はほんの少し渋ったものの、物を失くしやすい太陽は、失くさないためにも預けた方がいいと判断してにこやかに箱を渡す。疑いの色は全くない。月は箱を受け取ってありがとうございます、と返し、悟らせないような笑顔で速やかに楽屋から出た。
幸いにも、楽屋の外に人はいない。このあとは打ち上げがあるため、月にとっては今ここで確認する必要があった。周りキョロキョロと警戒しながら中を漁る月の額には脂汗が浮かんでいた。中を確認している途中、目当てのものが見つからないまま底についてしまった。
「…ない?ない、ない、ない!?地球さんの手紙がない…!…担降り…?まさか。は?ありえない。嘘吐き。どこが一途だ。…ねえ、地球さん。僕は、太陽さんだからって思ってたんですよ?…その時は…逃さないからな」
空を睨みながら歩を進める月は、今にも人を殺しそうな勢いだ。月が去った楽屋の扉が開き、手紙を持ったまま太陽は顔を出した。
「あ、月さん、地球さんからのファンレター…あれ、いない。先に行っちゃったのかな?これどうしよ、読みながら移動するか」
太陽の手にあるのは、地球が入れたファンレターだった。
聴覚の共有を止めて、ホテルでチェックインを済ませた地球に意識を戻した。
「ホテル到着〜!さーて買ったグッズ開封するか〜!の前に!ツイッターツイッタ〜!!みんな何か呟いてないかな〜?…あ、DMきてる。…写真だけ?…は」
明るく楽しげだった地球は一瞬にして顔を曇らせ息を呑んだ。冷や汗がこめかみから頬を伝い、手に落ちる前にスマホに指をすべらせる。
一コール、二コール、繋がった先は、誰より信頼している友だった。
「もしもし〜?今愚痴聞く暇ないんだけど」
「海王星助けてっ!」
「え、なに」
切羽詰まった地球の声に、海王星は椅子の背もたれから上体を起こす。震える唇でなんとか声を出す地球は、可哀想なくらい顔が真っ青だ。
「…ホテルの場所、知られてる」
その言葉に、今度は海王星が息を呑んだ。
「…はぁ?誰に?」
「捨て垢だからわかんない…!ホテル入ってチェックインするとこの写真も、ご丁寧にホテルのルームキー拡大した写真もきた」
「なにそれ、画質荒くなってたりしない?ワンチャン他の部屋ってことも」
なんとか希望を見出そうとする海王星の言葉も、叶うことなく散ってしまった。
「それが画質荒くないんだよね、多分、同じホテルに泊まってる…」
「…水星?」
その言葉に心当たりはあった。地球はスマホを耳から離して、投稿の確認をする。
「…写真あげてないからわかんないけど、ホテル着いたって呟いてる時間、私がチェックインしてたタイミングと被ってる」
地球の言葉に、気を緩めた海王星は背もたれに体を預け、ため息を吐いた。
「あいつそんな厄介オタクだったわけ?ありえな」
けれど、確定したわけではない。スマホを持っていない手を握り、震える唇をまた動かした。
「…とりあえず水星だと思っとこう、知らない人よりは安心できる。接触はしてこないはずだし」
「どうなるかは微妙なとこだけど…いつでも警察呼べるようにはしときな」
「うん、ありがとう…あれ、もう1件きてる」
DMの通知は、たしかにもう一つ新しくマークが現れていた。
「は?誰から、水星?」
「いや、月かな…ファンレターの話っぽい」
「こんな時にファンレターの話!?そんなんほっといて自衛しときな!?」
友達想いな海王星は、間の悪い月からの連絡に苛立ちを隠しきれていない。けれど、なぜか地球は、これをすぐに流してしまうと悪いことが起こる気がした。例えば、誰かが死ぬとか____いや、考えすぎか。地球は頭を軽く横に振って、画面に視線を戻した。
「…まあ、出したって送るだけだし別にいいんじゃないかな、部屋からは出ないようにする」
「地球がいいならいいけど…。ご飯は部屋食にして貰えるよう頼みな?」
「うん…」
地球の覇気のない返事に息を吐いて気持ちを落ち着かせながら、海王星は目頭を押さえる。
「にしてもなんでそんなの水星から送られたわけ?あんたなにかした?」
その言葉に、地球はあー…と声を漏らしながら目を泳がせる。地球?と圧をかけながら海王星が名前を呼ぶと、へら、と笑いながら地球は口を開いた。
「したと言えばしたし、してないと言えば、してない…?」
地球の言葉に海王星はゆっくり息を吐く。自業自得、因果応報。そんな言葉が海王星の頭の中を巡った。
「…解散かいさーん」
「待って待って待って!お願い!話だけでも!」
「なに、太陽にちゅーでもされたわけ?」
「きゃーーー!結婚待ったナシ〜!じゃないわっ!されてない!されてたら私今ここにいないっ!水星にマウントとって煽られたから煽り返しただけっ!」
いつものノリに戻ってきたことにほっとしつつ、海王星は呆れながら天を仰ぐ。
「目には目を精神はいいと思うけどやりすぎはダメっしょ」
「おばさん死ねって言っただけだもん」
「え、死ね?まあ死ねくらいならまだいいか、でもアバズレクソビッチは言わなかったんだね言いそうなのに」
「いやそれは言い過ぎだから」
海王星の容赦のない下ネタと暴言の組み合わせにドン引きしつつ、たしかに周りを気にしなければ、自分も使っていただろうと少し自己嫌悪に陥っている地球に気づくこともなく、海王星はそう?と口にした。
「そいえば今回は確定ファンサもらった?」
「…貰えなかった」
目が合うこともなければ手を振られることもなかった。綺麗に自分のところだけ反応がなかった。と続ける地球に、海王星は振らないほうが良かったか、と後悔しつつ顎に手を当てた。
「んー…まあ人生そう上手くいかないよね。人じゃないけど」
地球が画面をスライドしていると画面の上部に通知が現れた。
「あ、月から返信来たわ。…なんの封筒に入れてるか聞かれてんだけど。なにゆえ?えーとりあえずインスタにあげたやつ送っとこ」
「…ファンレター落ちてたんじゃない?」
「え!?嘘でしょ!?ちょ聞くわ!!」
地球は返信と写真を送ることに集中する。そんな地球に間をおいてから、海王星は独り言のように疑問を口にした。
「…にしても、なんで認知されないのかね〜。こんなにも参戦してファンレター送ってるのに」
「まじそれな過ぎて…あ、月から返信きた。……似た封筒が落ちてたらしい、危な〜」
「なーる?それは月ナイスすぎるわ。まとーりーあーえーず、明日になるまで部屋から出ないこと!何かあったら警察に通報!おけ!?」
「はい!おけです!」
「んじゃ切るわ、おやすみー」
「話聞いてくれてありがとねー、おやすみー」
もうそろそろ切ったほうが体を休める時間を確保できるだろう。そう思って通話を終える海王星に、地球はなんとなく察して感謝を口にし、通話を切った。
こっちではしばらく何も面白いことは起こらないだろう。そう思って再度聴覚の共有をした。少し巻き戻し、DMのやり取りをしている最中あたりから聴き始める。このホテルの前にいたことはとっくに気づいているぞ。間抜けめ。
「…あーやっぱり、地球さんはここに泊まるんですね。予想通りです。…返信によっては部屋を特定することになるんですけど、今回は写真無いんですね…。暫くはここで待機でもしますか」
ここからか。ホテルの前から立ち去った後、意外と時間は経っていたらしい。月のスマホから無機質な音が鳴り、小さくため息を吐いてから通話を始めた。
「…はい、月です」
「あ、もしもし!ファンレターの件なんですけど」
「あー…今少し立て込んでまして」
「そうなんですか?あ、じゃあ簡潔にしますね!ファンレターが一通だけ落ちてて、水色の封筒なんですけど、あ、あと打ち上げあるそうです!」
「わかりました。あとからそちらに向かいますので、場所だけ送ってください。くれぐれも、飲みすぎないでくださいね。お酒弱いんですから」
「はーい!じゃ、またあとで!」
通話が切れてから月は顎に手を当てた。もしかすると、探している手紙は今、太陽の手元にあるのかもしれない。
「…降りたわけじゃない…?一旦、太陽さんを回収しに行きますかね。今回のプロデューサーさん、飲むの好きな人だから」
そう建前を並べながら、今まで自身が積み重ねてきた努力をなかったことにしないように、今すぐ太陽のもとに向かわなければならなくなった。と心のなかで舌打ちをしつつ、タクシーを呼んだ。
「ご飯まだかなーっと。…ツイッターでも更新しよっかな」
そう零した地球は、平静を保つために独り言を少し大きめに出したのだろう。聴覚の共有をやめ、扉に目を向けた。ほんの少し間をおいてから、部屋に備え付けられている呼び鈴が鳴った。
「あ、ホテルのスタッフさんかな?…一応、念には念をで、小窓から覗いて見たりして〜…」
まだ冷静になりきれていない地球はそう独り言を言いながら覗き穴に目を近づけた。
「は?え、す、水星?」
答えは明確である。再度呼び鈴が鳴り、地球は驚愕で手が震え始めていた。これを世は可哀想と言うらしい。可哀想か、馬鹿のように見えるがな。
「ど、うしよ、け、警察?海王星?だ、誰か」
スマホに手伸ばした瞬間、甘ったるい声が扉越しに部屋に届いた。
「そこにいるんでしょー?地球ちゃん」
「ひっ」
「いるのはわかってんだよ!!」
勢いよく扉が叩かれ、地球の手からスマホが落ちた。
「はっ、す、スマホっ!」
再度拾うも、扉を壊す勢いで叩き蹴る音が鳴り続ける。
「出てこいよ!このくそアマァ!」
地球がスマホをなんとか拾い、大きな音が鳴り続ける扉に背を向け、警察に電話をかけた。一コール、ニコール、コール音が止まり、人の声が耳に届いた。
「いっ、今、ホテルの部屋の前に、惑星がいてっ…」
警察が来るまで幾度となく叩き続けられる扉は、段々音が軋んできた。他の部屋の惑星たちは気付かないのか、とあたりを見渡すと、すぐにわかった。他に泊まっている惑星が少ない。理由は簡単だ。ライブ開場の近くのホテルではなく、観光するために別でとっていたホテルだからだ。それが、まさかの水星の家と会場までの間にあるホテルで、泊まりに来る客もあまりいない時期。つくづく不運である。その一言で片付けた。
「早く出てこいよ!なあ!」
「そこのあなた!何してるの!?」
「はっ!?警察!?な、なんでここに!」
警察に腕を捕まれ後ろに回され捕獲される。あの惑星、色んな惑星を長年捕まえてきたのだろう。それくらい流れるように無駄がなかった。
「器物破損で現行犯逮捕します。署までご同行、お願いします」
歩き出そうとした警察に抵抗し、水星が扉の前に一歩踏み出した。
「なんで!?なんで私なのよ!おかしいわよ!私は!太陽の列に誰も並んでないときから推してるのよ!?誰も見向きもしなかった頃から!今更っ!今更推しとか…っ!バカにすんじゃねえよっ!私より積んでないくせに…!私より!!…愛してないくせに、長く推してないくせにぃ!!」
悔しげに叫ぶ水星は、途中から目から岩やら石やらがポロポロと落とし、膝から崩れ落ちた。人間の真似事のように涙の代わりに岩石を落とす惑星に、また一つ、力を少しだけ分け与えたものを引っ付ける。二つの惑星に連れて行かれた水星を、地球はあまり働かない頭で扉越しに見つめていた。