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「よろず六法相談?」

 理恵は、からになったビール瓶を持ったまま、おうむ返しに聞きかえした。

 ソファーにゆったりと腰をおちつけた青葉はビールをごくりと飲んでつづけた。

「不景気になると、いろいろ怪しいもんがでてくる。これもリーマンショックの影響かね」

「そうですね」

 理恵はあいまいにうなずいてビール瓶を床においた。

 今年五十路の坂をこえた青葉は家具会社の創業社長、スコアが良くても悪くてもゴルフの帰りには店によってくれる『千花』の上客の一人である。

「リーマンショックって、なんなんですか」

 店でいちばん若い若菜(わかな)がとぼけた口調で訊く。

「いい質問だ」

 青葉は飲みかけのグラスをテーブルにおいた。

「景気がいっきに悪くなって、一番ショックを受けたのがサラリーマンだった。だからリーマンショックって言うんだ」

「ホントですか」

「嘘じゃない。見てみろ、ここだってサラリーマン連中はひとりもいやしない。なあ、ママ」

 理恵はにっこりうなずいた。たしかにリーマンショックを境に接待客はこなくなり店の売上も大きく減った。それでもなんとか営っていけるのは青葉のようにピンでも自腹で呑む客を大切にしてきたからにほかならない。

「ところでママ、朋美ちゃんは休み」

「いいえ。渋谷にクリスマスグッズを見にいってくるって」

「イルミネーションでも飾るの」

 青葉はフロアーに飾られたクリスマスツリーに目をむけた。

「レディースサンタの衣装を探すって言ってましたよ」

 若菜が言った。

「そうか、それなら俺もメンズサンタになるか」

 青葉は貫祿がついたんだと言い張る太鼓腹をさすってみせた。

「トナカイのほうがいいんじゃないですか」

 若菜がまぜかえすと、青葉は顔の前でハエを遂うように手をふった。

「ありゃダメだ。去年、(うち)の飲み会で営業の若手がやったんだが、角が貧弱でトナカイに見えねんだよ。気の毒に、それ以来彼はチャボと呼ばれてるよ」

 若菜が声をあげて笑い、青葉はからのグラスに手を伸ばした。

「ビールお持ちしましょうか」

「いや、水割りにしよう。ボトルあったかな」

 理恵は若菜をテーブルにつかせたままスツールを立った。


 カウンター厨房の徳永に氷をたのみ、トレーにコースターをしきグラスをのせる。青葉のボトルを棚から取りだし、ミネラルウォーターをそえたところで、理恵はアイスピックで氷を割っている徳永を見た。徳永は理恵と同い年の四十九歳。雇われママ時代からの同僚で、独り立ちして『千花』を開いてからは、裏方に徹したマスターを務めてくれている。

「ねえマスター、神殿ビルに占い師がいるの知ってる」

「そうらしいですね」

「そこに、よろず六法相談ていう店があるらしいんだけど、それは知ってる」

 徳永は手をふきながら顔をあげた。

「なんですか、そのよろずなんとかっていうのは」

「法律相談みたいなもんじゃないかって」

「最近ですか、できたのは」

「どうかしら、青葉さんは今日初めて見たって言ってたけど」

 理恵は徳永が差しだしたアイスペールをトレイにのせた。

「トモちゃんなら知ってるかもしれませんよ」

「朋美が、どうして」

「知りあいみたいですよ。その占い師さんとは。よく当たるから私もいちど観てもらえって、このあいだもすすめられましたよ」

 理恵が口をひらきかけたとき朋美が店に入ってきた。息をはずませた朋美は、理恵が声をかけるより先に片手拝みで遅刻を詫びると、そのまま事務所に駆けこんでいった。徳永が目をほそめて肩をすくめる。

 理恵は注文をつたえにきたチーママの琴音(ことね)に、新しいボトルと水割セットを青葉のテーブルに届けるように指示し、徳永には"ちょっとお願いね"と目配せして事務所にむかった。


 朋美はロッカーの前に立ってケイタイを見ていた。こういうとき理恵はいつも自分から声をかけることができない。立ち入ってはいけないときに来あわせてしまったような気まずさを感じて戸惑ってしまう。

 しかしそれを敏感に感じ取っているのは、むしろ娘のほうかもしれない。こういうとき朋美は決まって話しかけてくる。屈託のない笑顔をつくって。

「平日だっていうのに、すっごく混んでたよ」

「だったら土日でもおなじでしょう」

「土日はいろいろと忙しいのよ。わたしは」

「おかあさんだって忙しいわよ。いろいろと」

「でしょう。やっぱり今日しかないじゃない」

 朋美はしたり顔でソファーにすわると、バッグからポーチをだして化粧直しをはじめた。理恵は聞こえよがしのため息をついて事務机のイスに腰をおろした。

「ところであなた、神殿ビルの占い師さん知ってるの」

 パフを手に手鏡を見ていた朋美が、ぽかんとした顔をむける。

「マリサさんのこと、知ってるけど」

「どんな人なの」

「きれいな人よ」

「そうじゃなくて、親しいの」

「そうね。頼れるアネキって感じかな」

 朋美は照れかくしの笑みをうかべると、手鏡に目をもどしてつづけた。

「マスターから聞いたんでしょう。おかあさんも占ってもらうの」

「ちがうわよ。青葉さんが神殿ビルの前をとおったら、よろず六法相談ていう店がでてて、女の人がすわってたって──」

「そうそう、それをチェックしにいってて遅くなったのよ」

 アイブロウペンシルをふりまわしながら朋美は声をはずませた。

「三浦早紀さんっていうんだって」

「その人に会ったの」

 朋美はすこし得意気な顔でうなずいた。

「今日がお店のオープンでね、早紀さんは元弁護士なんだって。だからね、もしなにかこまってる事があったら、なんでも相談してくださいって言ってたよ」

「その人が言ったの」

「ううん、マリサさん」

「その人、ほんとうに弁護士だったのかしら」

「わたしはほんとうだと思うな。マリサさんは嘘をつく人じゃないし、早紀さんもそんなふうには見えなかった。それによ、もしそういうつもりなら()とは言わないんじゃないの」

「それならどうして弁護士を辞めたのかしら」

「そんなこと初対面で訊けるわけないでしょう」

 朋美はあきれたと言わんばかりに目を丸くして手鏡を持ちあげた。

 理恵は朋美がマスカラをつけおわるのを待って言った。 

「その人、いつまで弁護士だったのかしら」

「春までだって」

「いくつくらいの人なの」

「三十才くらいかな」

「三浦さんのお店は、何時までなの」

「マリサさんとおなじで金曜日の八時から十一時」朋美は言葉をきって手鏡をさげ、理恵の顔をひたと見つめた。「おかあさん、なにか相談事でもあるの」

「べつにないわよ。ただおもしろいお店だなと思ってマスターに訊いたら、あなたなら知ってるかもしれないって言うから、それで訊いてみたの。あなたマスターにもすすめたんでしょう」

「そうよ。でもマスター、お店がありますからって。まあ、言われてみればそうなんだけどね」

 朋美が自分の言葉にうなずくのを見て、理恵も内心うなずいた。 

 徳永が言うようにその時間、八時から十一時は、『千花』の営業時間、七時から十二時と重なる。

「あなたはいつその占い師さんのことを知ったの」

「夏の初めごろ、具合がわるくて早退けしたことがあったでしょう。そのときに占ってもらったのが最初かな」

 

 朋美が店を手伝いたいと言いだしたのはこの春、大学を卒業して入社した電気器機メーカーに勤めはじめて、およそ一ケ月が経った五月の連休のときだった。理由を問うと接客の勉強がしたいのだと言う。理恵はひとまずようすを見るつもりで、週末だけのヘルプという条件で許した。

 いわゆる五月病なのかもしれない。それならさほど心配する必要もあるまいと楽観視する一方で、制服がやぼったいのと顔をしかめる娘にやはり事務職はむいていないのかと思い、これもまた血なのかもしれないと考え、理恵はこまったようなそれでいて嬉しいような、ちょっと複雑な心境を味わった。

 バブル期に生まれ、就職氷河期をきりぬけ、これから社会にでようというときにリーマンショックに見舞われた朋美たちの世代。苦労して努力してやっとつかんだ就職にしても、かならずしも彼女の望んだ道ではなかった。

 それでも朋美自身、社会にでて活きることの厳しさをしり、女手ひとつで育ててくれた母親をすこしでも助けてあげたいと思ったのだろう、会社と店の両立をひいき目にもうまくやっているように見えたのだが、やはり無理があったのか梅雨に入り七月になって朋美は体調をくずした。そんなとき朋美は街角の占い師をたずねた。

 こんこんとドアをノックして若菜が顔をだした。

「ママ、お願いします」

「いまいくわ」

 理恵がこたえると、若菜は朋美とちいさく手をふりあってドアをしめた。理恵はイスを立ってロッカーにバッグをしまっている朋美に訊いた。

「太刀川さんは、今日いらっしゃるの」

「今日はこられないって。なんか忙しいみたい」

 朋美は背をむけたままこたえた。理恵はしばし娘の背中を見つめやさしく言った。

「サンタの衣装は見つかったの」

 ロッカーをしめるとどうじにふり返った朋美は、大げさに口をとがらせた。

「若菜ね。サプライズにしようと思ってたのに」

「それを言っておかなかったあなたのミスよ」

 朋美はぶつぶつ言いながらドアにむかうと、へたくそなウインクをして事務所をでていった。

 理恵は姿見の前に立って壁時計を見た。八時ちょうど。鏡に目をむけると陰気な思案顔が見返している。理恵は両手で頬をたたき口の端を持ちあげた。

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