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二〇〇八年九月、米投資銀行大手『リーマン・ブラザーズ』が経営破綻した。負債総額六千億ドル、米国史上最大の倒産は世界的な金融恐慌を招き、日本でも非正規雇用者の雇い止め、派遣社員の派遣切りが横行した。


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 ロウソクに火をつけると和紙に書いた文字がほんのりと浮かびあがった。

  〝よろず六法相談〟

 妖しくともる看板灯籠を机の左角において早紀はイスにすわりなおした。

 クリスマスまであと二週間、いつもより低い目線で見る街角もクリスマスモードに入っている。街灯には〈Merry Christmas〉のペナントが掛かり、冬枯れの街路樹にはイルミネーションがつたい、歩道に面したショーウインドーでは、商品をオーナメントにしたツリーやリースが煌びやかにディスプレイされている。

 座して待つのが辻商売。早紀は背筋を伸ばして居ずまいを正した。

「チョッと、硬いわね」

 店の前に立ったマリサは、花嫁の着付けを点検するように頬に手をあて小首をかしげた。

「お見合いじゃないんだから、そんなにシャチホコバッてたらダメよ。もっとしぜんに、あくまでもさり気なく、道端に咲く野菊のようにしてなくちゃ」

「ノギク!」早紀は目をしばたいた。

「そういう風情が肝心ってこと。道行く人が思わず足をとめてしまうような」

 なるほどーとうなずく早紀に、おいおい慣れるわよと笑って、マリサはケープ・コートに手をいれた。

 辻商売のアドバイザーでもあるマリサは早紀より三つ年上の三十三才、この界隈では評判の〝行列のできるタロット占い師〟として知られている。

「早紀ちゃん、寒くない?」

「だいじょうぶ、これがあります」

 早紀はショート・トレンチのポケットから携帯カイロを取りだしてみせた。

「カゼひかないようにしてよ。なんたってアタシたちの稼業は、寅さんとおなじ露天商なんだから。もっともここは、すこしくらいの雨ならぬれやしないけどね」

 早紀は頭上にあるエントランスの天井を見あげた。

 好文社通りと並木通りの十字路に建つ四階建ての画廊ビル『木島ギャラリー』。このビルは揶揄もこめて〝神殿ビル〟と呼ばれている。通称の由来はエントランスの左右に立つ二本の古代ギリシャ様式の柱。マリサと早紀はその柱のよこに、各々店をかまえている。

 昔からすみっこ好きの早紀は、そばにいるとなんとなく安心できるこの天然大理石の柱を憎からず思っているが、マリサは「柱だけあったってしょうがないじゃない、世界遺産じゃないんだから」とにべもない。たしかに場違いではあるが、それだけにまた人目を惹くこともまちがいない。

 この成金趣味、と言って悪ければ一点豪華主義を貫いた当ビルのオーナー木島はマリサの知人だそうで、昔いろいろお世話したよしみでビル閉店後の軒先をちょいの間、お借りしているのだという。もちろん無料(ロハ)で。

 ビルの軒下から見あげる夜空に星はない。でも街には光があふれている。喧騒をはらんだ冷たい風も早紀には心地好かった。


「マリサさん、おはようございます」

 マリサがふりむき、早紀もイスを立った。声をかけてきたのは白のダウンジャケットにミニをあわせた二十代前半の女性だった。

「ワァオー、朋美ちゃん、オハヨウ。いまから出勤、それともデート」

「お店です。いまがカキイレドキですから」

「そうよね。一番のカセギドキだもんね。ちょうどよかった、紹介するね」

 マリサは早紀の腕をとり朋美にむきなおった。

「今日オープンしたよろず六法相談の三浦早紀さん。早紀ちゃんはね元弁護士さんなの。だからね、もしなにかこまってる事があったら、なんでも相談して。きっと力になってくれるから。でもね恋の悩みはダメよ。それはいままでどおり、わたしに相談して、恋愛問題は彼女の専門外だから」

 朋美はこっくりうなずくと、ていねいなお辞儀をした。あわてて早紀も頭をさげると、マリサはなにくわぬ顔で朋美の紹介をはじめた。

「彼女はねクラブ『千花(ちはな)』の朋美さん。お店は八丁目にあってね、朋美ちゃんはそこのお嬢さんなの」

「母の店なんです。でもお店ではまだヘルプなんですよ」

 親しげな笑みをむけた朋美は、栗色のショートボブにコンサバ系のメイク。ふくよかな頬と小さめの口つきが愛らしく、カールした長いまつ毛をパチパチさせながら話しかけてくる物おじしないお嬢さんだった。

「よろず六法相談は、いつ営業してるんですか」

「金曜日の八時から十一時までです」

「マリサさんとおなじですね」

 早紀がにっこりうなずいてみせると、朋美は屈託のない笑顔のまま若さがなせる遠慮のなさを発揮した。

「弁護士をしてらしたんですか」

「春まではね」

 ふたりはそこで口をつぐんだ。

「なにか相談があるんじゃないの」

 マリサがむけると、朋美はほんのすこし眉根をよせたが、すぐに笑顔をつくって言った。

「またこんどにします。ほんというと、もう遅刻なんです」

 朋美は半歩さがって一礼すると、くるりと背をむけ歩道へと飛びだしていった。白いダウンジャケットを着た小柄な朋美が人ごみをすり抜けていくさまは、森を駈けるウサギのようだった。

「さてと」

 マリサはおもむろにふりむくと笑みをうかべて言った。

「準備はいい」

「もちろん」

 早紀は看板灯籠を見つめた。ロウソクの火がうなずくようにゆらめいた。

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