第52話
「コハルさま、海が見えてきたのです!」
メリーのそんな嬉しそうな声で私はハっと目を開けた。
馬車は想像以上に揺れて乗り心地が良いとは言えなかったけれど、いつの間にかうつらうつらしてしまっていたらしい。
焦って顔を上げると向かいに座るカネラ王子はまだ気持ち良さそうに口を半開きにして眠っていてホッとする。
王子は出発して間もなくこくりこくり船を漕ぎ出して、それを見ていたらこちらまで眠たくなってきてしまったのだ。
(こんなに揺れてて良く眠れるなぁと思ってたのに……慣れって怖い)
「港も見えたのです、コハルさま」
窓に顔をくっつけていたメリーがもう一度声を上げて、私も窓際に移動して向かう先を見やる。
すると確かに真っ青な水平線と、数日前リューに抱えられて空から見下ろした港町が見えた。
(あの時みたいに空を飛んでいけたらもっと早く着くんだけどなぁ)
傾きかけた陽を見て、ついそんなことを考えてしまった。
でも仮にリューが同行出来たとしても、さすがの彼も私とローサとカネラ王子を一度に抱えて飛ぶのは不可能だろうし、そんなことお願い出来るわけない。
この世界にまだ飛行機など空を飛ぶ乗り物は存在しない。
子供の頃に観たファンタジー映画のように竜の背中に乗って飛んで行けたら最高なのだけど、この世界の竜は、特にこの『竜の国』では神様のような存在で、その背に乗るなんてきっと罰当たりな行為だろう。
(と言っても、私本物の竜ってまだ見たことないんだよな)
ゲームに登場するようなドラゴンに似たタイプの魔物は7年前に嫌と言うほど見たけれど、あんなものは竜ではないとリュー皇子に怒られたことを覚えている。
でもこの世界に実在するのは確かなようだし、出来るなら会ってみたいと思う。
(帰ったらリューに訊いてみよう)
と、向こうに帆船の真っ白な帆が見えてきた。
これからあれに乗って砂漠の国に向かうのだ。
こちらの世界の船の動力は“風”。蒸気機関などのエンジンがついているわけじゃないから風向きや天候に大きく左右される。
それによく揺れるのだ。
(また船酔いしちゃうかな……)
想像したら胃の辺りがもやもやしてきて慌てて深呼吸をする。
「コハルさま?」
「あ、ううん、なんでもない」
首を傾げたメリーを見て、そういえばメリーの癒しの魔法が船酔いに効くんじゃないかと思いつく。
(もしものときはお願いしてみよう)
少し希望が見えてきたところで、そろそろ王子を起こした方が良いかもしれない。
「カネラ王子、そろそろ着きますよ」
そう少し大きめの声をかけると彼は「ふぁ」とか変な声を上げてぼんやりと目を開けた。
その瞳が私を見て、それからゆっくりと窓の方を向いた。
「あ〜寝ちゃったかぁ。昨日、なっかなか眠れなくてさぁ~」
言いながら彼は大あくびをした。
「そうだったんですね」
「自分でもびっくりした。枕が変わって眠れないなんて神経が俺にもあったんだ~って」
返答に困ってハハハと苦笑しているときだった。
「!?」
馬のいななきと共に馬車が急停止して危うく王子の方につんのめりそうになった。
王子はごんっと音を立てて後ろの壁に頭をぶつけていて、いたたと呻いた。
「なに?」
「わ、わかりません」
と、馬車の扉が少しだけ開いてローサが顔を覗かせた。
「申し訳ありません。賊が出ましたので少々お待ちください」
「賊!? えっ、大丈夫なの!?」
「ご心配なく」
ローサはにこりと笑ってすぐに扉を閉めてしまった。
まさか、この竜の国に賊が出るなんて考えてもいなかった。
「ローサひとりで大丈夫かな」
「まぁ、そのための護衛だし」
カネラ王子が後頭部をさすりながら全く緊張感のない声で言う。
窓に手をついて外を見ると、確かにガラの悪い見るからに悪人面の男たちが数人、馬車の行く手を阻むように立ちはだかっていた。
「結構人数いるけど!?」
「大丈夫なのでしょうか……」
メリーも怯えた様子で私の方に飛んできた。
魔王が封印されて世界が平和になってもああいう輩はいるのだ。そのことに少しショックを受ける。
何かローサが賊たちと話しているけど、ここからではよく聞こえない。
(最悪、私の聖女の力で)
ぐっと拳に力をこめたそのとき、様々な武器を手にした賊たちが一斉にローサに飛びかかった。
「――っ!」
声にならない声を上げ、そのまま私の口は開いたままになってしまった。
――竜騎士のローサはとんでもなく強かった。
細身の長剣を鮮やかに扱いバッタバッタと襲い来る賊の男たちを倒していく。その姿はまるで優雅に踊っているようにも見えた。
最初の5人ほどを倒したあたりで、残りの賊たちはじりじりとローサから後退りし、とうとう全員蜘蛛の子を散らすように去って行ってしまった。
その一部始終をぽかんと眺めていると、ローサは剣を柄に納め駆け足でこちらに戻ってきた。
扉を開けて、彼女は先ほどと同じ笑顔を見せてくれた。
「お待たせしました。すぐに出発いたします」
「あ、うん。ありがとう。怪我とかない?」
「平気でございます」
そうして扉は閉まり、間もなくして馬車は再び動き出した。
「頼もしい護衛だね」
「……はい」
カネラ王子の言葉に私はまだ呆然としたまま頷いたのだった。
それから馬車は人で賑わう港町を通り、船がたくさん停泊する港に到着した。
がちゃりとローサが馬車の扉を開けると、ふわっと潮の香りが入ってきた。
「コハル様、カネラ殿下、メリー様、お疲れ様でした。港に到着いたしました」
カネラ王子に続いてすでに眠そうなメリーを抱っこしながら馬車から下りる。
目の前にはキラキラと輝く大海。私はその心地よい潮風を思いっきり吸い込んだ。
と、カネラ王子が停泊する船の中で一際大きな帆船の方に視線を向けた。
「じゃあ俺ちょっと声かけて来るから」
そうして王子はその大きな帆船の方へと駆けて行く。
あれが彼が乗ってきた砂漠の国の船なのだろう。
(あれに乗っていくのか……何日くらいかかるんだろう)
帆船を見上げながら知らず胃の辺りをさすっていた。
でも確か、砂漠の国と竜の国は海を挟んでお隣同士だったはず。
馬車の御者さんにお礼をして見送った後でローサに訊ねる。
「ローサ、砂漠の国までどのくらいかかりそう?」
「5日ほどかと」
「5日……」
思わずそんな情けない声が漏れてしまっていた。
と、そのときだ。
「あぁ、コハルは船酔いするんだったな」
「え?」
そんな声が聞こえて後ろを振り向く。が、誰もいない。
「こっちだ、こっち」
服の裾をくいを引っ張られて下方に視線を落とすと、そこにはひとりの少年がいた。
――え?
こちらを見上げる金の瞳には、とても見覚えがあって。
「道中問題なかったか? コハル」
にっと笑ったその少年を見て、私はあんぐりと口を開けた。
(りゅ、リュー皇子……!!?)




