第4話
そして、あっという間に約束の日が来てしまった。
結局仕事は辞められていないし、魔法石もあのままだ。
でもこの一週間で自分の気持ちはちゃんと固まっていた。
ティーアには申し訳ないけれど、もう一度あの世界に行って、もう一度リュー皇子に会って、ちゃんと謝罪しよう。
あのときはすみません。あなたのお妃にはなれませんと、ちゃんとお断りしよう。
それが自分の出した、一番納得できる答えだった。
おそらく召喚されるのは一週間前と同じ夜だろうと思ったが、いつ呼び出されてもいいように私はネックレスを身に着けて出社した。勿論、外からは見えないようシャツの下に。
でもその日、私が社会人になって一番最悪な事件が起きた。
「どうしよう、せんぱ~~い!」
化粧室でしくしくと顔を伏せ泣いているのは、先週この場所で私を合コンに誘ってくれたあの後輩だ。
私は、頭が真っ白になるのを感じながらそんな彼女を見下ろしていた。
「あたし、あの書類がそんな大事なものだって知らなくて~~ついうっかりシュレッダーかけちゃったんです~~」
彼女がシュレッダーに掛けてしまったのは、取引先の重要な情報が載った書類で。
それを探し今オフィス内は大変な騒ぎになっているのだ。
なんで私や他の人に確かめもせずにそんなことをしてしまったのか、問い詰めたい衝動にかられたけれど、なんとかぐっと堪える。
起きてしまったことを今とやかく言っても仕方がない。気付けなかった私も悪い。最近は特に自分の仕事に手一杯で、後輩にあまり気を配れていなかった。
彼女も流石に落ち込んでいるようだし、まずは先輩として後輩の心のケアをしなければと私はなるべく優しい声で言う。
「仕方ないよ。私だってミスはするし。私も一緒に謝るから、早く課長にこのことを伝えに行こう」
「本当にごめんなさい~~」
彼女の華奢な肩をぽんぽんと叩いて、でもこの後のことを考えると頗る気が重かった。
そして案の定。
「ふざけるな! なんてことをしてくれたんだ!!」
課長はブチ切れ、顔を真っ赤にしながら怒鳴り声を上げた。
「申し訳ありません!」
「すみませ~ん」
私たちは2人そろって深々と頭を下げた。
しかし当然ながらそんなことで課長の怒りは収まらなかった。
「一体どうしてくれるんだ! うちの信用問題に関わって来るぞ」
「本当に申し訳ありません。早急に、彼女と一緒に謝罪に行ってまいります」
「当たり前だ! さっさと行ってこい!!」
そうして、私たちはお詫びの品を持って取引先へ謝罪に行った。
……しかし。
「本当にごめんなさ~い!」
「……」
その帰り道、私は彼女のその涙ながらの謝罪に答えてあげることが出来なかった。
中止されてしまったのだ。うちとの取引を。なんともあっさりと。
このことをこれから帰って課長やチームの皆に伝えなければならない。そう思うとキリキリと胃が痛んだ。
会社に戻り私の話を聞いた課長は、もう怒鳴らなかった。
代わりに酷く冷めた目で静かに告げた。
「佐久良、お前が責任を取れ」
「え?」
小さく声が漏れた。
ゆっくりと顔を上げると、課長がこちらの胸元を見て眉をつり上げた。
「お前、まさかそんなチャラチャラしたものをつけて謝罪に行ったのか?」
「!」
見れば、あの魔法石のついたネックレスがスーツの上に出てしまっていた。何度も頭を下げているうちにいつの間にか零れてしまったようだ。
「い、いえ、先方ではちゃんと……っ」
無骨な手が伸びてきて、その石をぐいと掴んだ。
チェーンは簡単に千切れ、オフィスの床に転がり落ちたその黄金色の石を課長はダンっと革靴で踏みつけにした。
パリンっとガラスが割れたような小さな音がして、粉々になってしまったそれを私は呆然と見つめる。
「俺は部長にこの件を説明してくる。……それ、綺麗に片づけておけよ」
そうして、課長はオフィスを出て行ってしまった。
(なにこれ……)
その後、私は解雇を言い渡された。
なんともあっさりと、私は2年勤めた会社をクビになった。
いきなりの無職。
「はは、なんだこれ」
案外少なかった私物を持って帰途につきながら、思わず乾いた笑いが漏れていた。
……課長とあの後輩が不倫しているらしいと耳にしたのは、会社を出る直前だった。
スマホが振動した。
足を止め手に取って見ると、あの後輩からで。
通話に出ると、あの可愛らしい声が聞こえてきた。
「先輩今どこですか~? これからこの間言ってた合コンなんですけど~、良かったら気晴らしに来ませんか~?」
なんかもう本当に笑えてきて、私はそれに参加することにした。
こうなったらもう、思いっきり飲みたい気分だった。
スマホに送られてきたそのちょっとお洒落な居酒屋に到着し中に入ると、後輩がこちらに大きく手を振っていた。
「佐久良せんぱ~い、こっちです~! 良かった~どうしても人数揃わなくって~」
その6人掛けのテーブルには後輩と同じ年くらいの男の子が3人、女子は確かに後輩と、後輩と良く似たタイプの子の2人しかいない。
後輩はちゃんと小綺麗な格好に着替えていて、スーツのままの私は大分浮いていたけれど、そんなことはどうでもよかった。
「えっと~、私の会社の先輩の佐久良先輩です~。すっごく良い人なんですよ~。今日なんて、私を庇って会社辞めさせられちゃって~」
「は!?」
「なにそれマジで!?」
皆が驚いた顔で私を見る。
私は貼り付いたような笑顔を浮かべながら席に着いた。
「だから~今日はみんなで先輩を慰めてあげましょ~!」
「あ、生ひとつお願いしまーす」
私は手を挙げて傍にいた店員さんにそう注文し、乾杯をした後でそれを一気に飲み干した。
「先輩さんて今いくつなの?」
「24」
向かいの席の少しチャラそうな男の子に訊かれ、私は答える。
「なんだ~俺とそんなに変わらないじゃん、俺もうすぐ23」
「先輩はいつも真面目ちゃんだから、結構上に見えちゃうんですよね~」
「そうなんだ~。いいね、俺、真面目な子好きなんだよね~」
「ちょっとごめん」
立ち上がり、私はそのまま化粧室へと向かった。
(まずいな、頭ぐるぐるする)
流石に勢いよく飲み過ぎたかもしれない。
鏡に映る自分の顔がタコのように真っ赤だ。昼間見た課長の顔と良い勝負で、思わずふっと笑ってしまう。
どうせ、明日から出社しなくていいのだ。たまには限界まで呑んで酔いつぶれるのもいいかもしれない。
そんなことを考えながらふらふらと席に戻ろうとしたときだった。
「うっわ、お前最悪じゃね?」
「性悪ぅ~!」
「だって~、2つしか違わないのにいっつも年上ぶってきてさ~、正直ウザかったんだよね~~」
足が動かなかった。
あれは多分、いや、確実に私のことだろう。
(……まぁ、もうどうでもいいし)
少し時間をあけて、話題が変わったのを見計らって私は席に戻った。
「せんぱ~い、大丈夫ですか~?」
「うぅ……」
完全に悪酔いした。
店の外に出て、座り込みたいのを必死に耐えなんとか立っている状態だった。
早く、うちに帰って横になりたい。
そのまま明日の昼過ぎまでゆっくり眠りたい。
「先輩さんて、家どこ?」
そう訊いて来たのは先ほど向かいの席だった男の子だ。
最初に自己紹介されたけれど名前は全く覚えていない。
「俺、送ってくよ」
そう言ってくれたけれど、ふるふると首を振る。
「ありがとう。でも、大丈夫。ちゃんとひとりで帰れるから……」
「いや、ふらふらじゃん」
そうして笑いながら彼はいきなり私の腰に手を回してきた。
ぞわりと全身に鳥肌が立って、私はすぐさまその手から逃れる。
「さわらないで」
「え~、支えてあげただけじゃんね」
するとそれを見ていた後輩がクスクスと笑った。
「あ~佐久良先輩、全然男慣れしてないみたいだから、優しくしてあげくださいね~?」
「そうなの? ますます俺好みかも~。じゃあ、思いっきり優しくしてあげるね、先輩さん」
そうしてもう一度こちらに手が伸びてきて、もう色々と面倒だなぁと思った、そのときだった。
ぱしっと、その手を止める手があった。
「俺の妻に、気安く触れないでもらおうか」
そんな聞き覚えのある低音と共に、私の前に長身の影が立った。