第10話
――触れてもいいか?
リューの手が私に触れる、寸前。
「ダメです」
そう答えると、その手はがくりとベッドに落ちた。
「コハル……」
困ったような、いや、しょげたような顔で見つめられて、私は焦って言う。
「――な、なんで、そんなこと訊くんですか!」
この間はいきなりキスしてきて、もう2度も抱き上げられている。
それなのに改めてそんなふうに訊かれたら、もうそういう意味にしか聞こえないではないか……!
するとリューはふてくされるように言った。
「いや、またコハルにリュー皇子はそんなんじゃなかったとか言われたくないからな。一応、断りを入れたんだが」
「うっ」
そういえば今朝酔いに任せてそんな失礼なことを言ってしまった気がする。
「そ、それにつきましては、本当に失礼いたしました。その、出来れば忘れていただきたく……」
そう謝罪し頭を下げた瞬間だった。
ぐいと腕を引かれたかと思うと、私は彼に強く抱きしめられた。
「……!?」
「俺は、ずっとこうしてコハルに触れたかった」
すぐ耳元でそんなふうに囁かれて、一気に全身の熱が上がる。
「7年の間ずっと、この日を夢見てきた」
「だ、ダメって言いました!」
「今の謝罪は、良いという意味に受け取ったが」
「違います!」
薄いネグリジェ越しにリューの体温が伝わってきて、その事実がどうしようもなく恥ずかしかった。
しかし逃げたくともがっしりと抱き締められていて動くことが出来ない。
「……嫌か?」
低い、男の人の声。
「俺はコハルのことが愛おしい。だから触れたいと思う。コハルは、俺に触れられるのは嫌か?」
「!」
また……!
そうやって訊くのは狡い。
……嫌ではない。
嫌ではないから、困っているのだ。
「……嫌では、ないです。でも……」
「でも?」
「まだ、全然心の準備が出来ていなくて……。すみません。もう少し、待ってください」
正直に今の気持ちを話すと、その腕が少しずつ緩んでいった。
「そうか。わかった」
そうして彼の温もりが離れてほっとする。
でも、続けて彼は私に訊いた。
「キスは、いいか?」
「え」
「コハルと、もう一度キスがしたい」
ぼっと、また顔が熱くなった。
もう一度……この間のキスは突然過ぎて、ほとんど何も覚えていないけれど。
(でも……)
「――き、キスだけなら」
小さくそう答えた途端だった。
頭の後ろに手を回され噛みつくようなキスが降ってきた。
「ん……っ」
びっくりして、目を閉じる間もなかった。
すぐ眼前に伏せられた長い睫毛が見えて、また全身が熱くなる。
ちゅっと音を立てて一度離れたそれは、またすぐに重ねられた。
気恥ずかしくはあるけれど、リューとのキスはやっぱり嫌ではなかった。
……こういうときは、やはり目を閉じた方がいいのだろうとゆっくりと目を瞑ったその時、ぐーっとリューがこちらに体重をかけてきて驚く。
「ん~~っ!?」
そのままベッドに押し倒される格好になって喉から抗議の声を上げるがキスは止まなかった。
それどころか角度を変えぬるりと舌が入ってきて、びくりと身体が跳ねる。
――それが、限界だった。
「……コハル?」
渾身の力で彼の胸を押しやっていた。
ショックを受けたように目を見開いてリューがこちらを見下ろしている。
「――ご、ごめんなさい。でも……やっぱりまだ……ごめんなさい」
何度も謝る。
酷い顔をしている自覚があって、彼の顔が見れなかった。
すると、リューはゆっくりと私の上から退いてくれた。
「いや、俺の方こそ、すまなかった。つい……」
「……」
「……」
気まずい沈黙が流れる。
(私、何してるんだろう……この歳になって、キスもまともに出来ないなんて……)
ふいに、あの後輩のクスクスという笑い声が聞こえた気がした。
「……ごめんなさい。私、こんなで」
「?」
のそりと起き上がった私をリューが不思議そうに見つめる。
「私、この世界では『聖女』なんて呼ばれていますが、本当の私はなんの取り柄もなくて、こういうことにも全然疎くて……」
リューは……リュー皇子はもしかしたら男の子が年上のお姉さんに憧れるみたいな、そんな幻想を私に抱いてくれていたのかもしれない。
でも本当の私は、後輩にも嫌われて会社もクビになるような底辺の人間で。
「なんというか……こんなつまらない女ですみません。リューがもし、聖女としての私を好きになってくれたのなら、」
「それは違うぞ」
「え?」
顔を上げると、リューが少し怒ったような、真剣な顔をしていた。
「確かにコハルの聖女の力は素直に凄いと思った。でも俺がコハルに惹かれたのは、聖女だからではない」
私は目を見開く。
表情を優しくして、彼は続ける。
「7年前、お前は俺に一番に寄り添ってくれた。あの頃の俺は……自分で言うのもなんだが酷い悪ガキだった。でもコハルはそんな俺のことを信じ、この国のため共に戦ってくれた。あの頃の俺にとって、お前の存在がどれだけ大きく、どれだけ支えになっていたか……」
そうして彼は少し照れくさそうに微笑んだ。
「だから、コハルが俺の求婚を受けてくれた時は本当に嬉しかった」
(うぐ……っ)
その話を出されるとどうしても心が痛む。
でも……。
「コハル」
「え?」
リューが畏まったふうに私の手を取った。
「改めて礼を言わせて欲しい。7年前この国を、父を、そしてこの俺を助けてくれたこと心から感謝している」
「は、はい」
改めて言われるとなんだか照れてしまう。
「そして、約束通りこうして俺の元へ来てくれて、ありがとう」
「は、はい……」
また少し心が痛んで、でもなんとか顔に出さないよう耐えていると。
「しかし良かった。コハルが約束を忘れ他の男と結婚などしていないかと、ほんの僅かだが心配していたんだ」
「あ、あはは……も、もし、そんなことになっていたら、どうしてました……?」
恐る恐る訊いてみる。
「そうだな……考えたくもないが、その男を殺してコハルを奪っていたかもしれないな」
良い笑顔で言われて、私は乾いた笑みを返しながら心底彼氏とかいなくて良かったと思った。
「だからな、コハル。ゆっくりでいい」
「え?」
「俺はもうコハル以外は考えられん。だから、コハルの心が決まるまで待つことにする」
「リュー……」
でもそこで彼はバツが悪そうな顔をした。
「たまに、その、先ほどのように抑えがきかなくなることもあるかもしれないが……共に、この部屋で眠ることは許してもらえるか」
「そ、それは勿論!」
大きく頷くとリューはほっとしたように笑った。
「よし、ではもう眠るとしよう。明日も何かと忙しいからな」
「はい!」
私も笑顔でもう一度頷いたのだった。
このとき、「ゆっくりでいい」というリューの言葉に私はすごく救われた。
リューには申し訳ないけれど、これからゆっくりと自分の気持ちを確かめようと思った。
――しかし。
(こんなの眠れませんが~~!)
横になってすぐに寝息を立て始めたリューの腕の中で、完全に抱き枕状態の私は心の中でそんな情けない声を上げていた。




