第1話
「聖女コハルよ。よく戻られました」
「はい?」
その聞き覚えのある鈴を転がすような声に顔を上げると、怪しいローブを纏った人たちが私を取り囲んでいた。
薄暗い、石造りの静謐な空間。今の今まで寝ていたはずのふかふかのソファも魔法陣の描かれた硬い石の床に変わっていて。
そんな突然の変化にもパニックにならなかったのは、この場所、このシチュエーションに覚えがあったからだ。
――そう。あれは7年前。
高校2年生の頃、私、佐久良小春は突如異世界に召喚された。
そこは魔法や竜の存在する、小説やゲームに出てくるようなとても美しく幻想的な世界だった。
しかし、魔王の復活により魔物が世界に溢れ、人々は窮地に陥っていた。
そこで私が世界を救う伝説の『聖女』として召喚されたのだ。
真面目なだけが取り柄の平凡な私だけれど、その世界では奇跡の力を発揮しなんとか魔王の封印に成功。その世界に再び平和が訪れた。
そして聖女として立派にその役目を果たした私は、皆に惜しまれつつも無事元の世界……日本に戻ったのだった。
それから7年の月日が流れ。
24歳になった私は立派な社畜として忙しい日々を送っていた。
今日もサービス残業を終え吹けば飛ぶ枯れ枝のようになって帰宅。
とりあえず化粧は落とし、シャワーはもう明日でいいかとスーツの上着を脱いでソファにダイブした、その瞬間だった。
「聖女コハルよ。よく戻られました」
その懐かしい声が聞こえたのだ。
(あの頃の夢? にしてはやたらリアル……)
私はゆっくりと起き上がって、その場所を見回す。
間違いない。7年前、私が召喚されたときと同じ場所だ。確か『聖殿』とか呼ばれていた建物の中の『召喚の間』。
そしてまだ呆然としている私の前に進み出てにっこりと微笑んだ金髪の女性を見上げ、私は目を見開いた。
「ティーア……?」
「お久しぶりです。コハル」
「え……これ、ほんとに夢じゃない?」
「ふふ、夢じゃないですよ。またお会いできて嬉しいです」
その優しい笑顔を見て、じわりと涙が浮かんだ。
「ティーア! 久しぶり、元気だった!?」
勢いよく立ち上がった私は彼女に駆け寄りその華奢な手を取った。
――彼女、ティーアはこの王国を束ねる王女様だ。
偶然同じ年だったこともあり、私たちは7年前に友達になったのだ。
当時「可憐」という言葉がぴったりだった彼女は美しい大人の女性に成長していて、でもその柔和な雰囲気は全く変わっていなくてすぐにわかった。
ティーアも嬉しそうに顔をほころばせる。
「はい、おかげ様で元気です。コハルは、少しお疲れ……?」
言われて私は苦笑する。
「あはは……実は今さっき仕事から帰ってきて寝るところだったんだ」
「そうだったの、そんなときにごめんなさい」
「ううん。ティーアにまた会えて嬉しいし! ――え? でもなんで? また何かあったの?」
前回は魔王の復活だったけれど。
するとティーアの笑顔がなんだか困ったような笑みに変わった。
「詳しいことは城に戻って話すわね」
「う、うん……?」
そうして私たちは召喚の間を後にした。
「コハルさま~~!」
色とりどりの花々が咲き乱れる美しいお城の庭園をティーアについて歩いているときだった。
そんな可愛らしい声とともに白いもこもことしたものがこちらに向かって飛んでくるのが見えて、私は両手を広げる。
「メリー!」
「コハルさま~お会いしたかったのですぅ~~!」
翼の生えた羊のような姿をした妖精メリーがぼふっと私の胸に飛び込んできた。
久しぶりのふわふわもこもこの感触に、脳内に大量のアルファ波があふれ出るのを感じる。
「あ~相変わらず癒される~~」
「あはあは! コハルさまくすぐったいのです~」
メリーは7年前に魔物に襲われそうになっていたところを助けたのがきっかけで私に懐いてくれて、私が元の世界に帰るときに一番悲しんでくれたのがこの子だ。
ちなみに当時名前の無かったこの子に「メリー」と名付けたのも私。
「ふふ、メリーはずっとコハルに会いたがっていたのですよ」
ティーアが笑う。
と、メリーが円らな瞳で私をじっと見つめた。
「コハルさま、お疲れですか?」
「え?」
「今メリーが癒してさしあげます~」
「!」
メリーは私の腕からスポンと抜け出ると、私の身体の周りを踊るようにくるくると回った。
すると私の身体はキラキラとした輝きに包まれ、先ほどまでの疲労感がふっと楽になった。
――そうだった。メリーはそのままでも癒しの存在だけれど、更に癒しの魔法が使えるのだった。
「ありがとう、メリー。すっごく楽になった」
「早速コハルさまのお役に立ててメリーは幸せなのです~!」
なんていじらしい子だろう……!
私はもう一度その癒しのふわふわボディーをぎゅーっと抱きしめた。
(相変わらず綺麗なとこだなぁ。天井高~)
豪華絢爛たるお城の中の応接の間に通され、私はもう何度目かの感嘆の溜息を吐いた。
先ほどは赤い絨毯の敷かれたエントランスの両側にずらっと並んだメイドさんたちに一斉に「お帰りなさいませ、聖女コハル様」と頭を下げられてひたすら恐縮してしまった。
どうしても場違いに思えて7年前も落ち着かなかったけれど、この歳になってもやっぱりそれは変わらないみたいだ。
メリーを抱っこしていなかったら、移動中もきっとずっとそわそわと手持無沙汰だっただろう。
ティーアと私のために紅茶を入れてくれたメイドさんたちが丁寧にお辞儀をして部屋を出ていき、ふたりきりになったところで向かいのソファに座ったティーアが口を開いた。
「実は、困ったことになってしまって」
その神妙な顔つきにごくりと喉を鳴らす。
「もしかして、また魔王が復活しちゃったとか?」
「いえ、魔王はちゃんと封印されたままよ」
「そう、良かった。じゃあ……?」
「その……とても言いにくいのだけれど……」
「?」
私が首を傾げていると、ティーアが本当に言いにくそうに私に訊いた。
「コハルには今、好きな方や、将来を決めた方はいるのかしら?」
「へ?」
まさかのコイバナに一瞬冗談かと思ったが、ティーアの表情はいたって真剣そのもので。
「いない、けど……?」
「そ、そう!」
明らかにほっとした様子のティーアを見て更に首を傾げる。
「ティーア? 一体、」
そう訊ねようとしたときだった。
廊下の方が急に騒がしくなった。
「お待ちください!」
「どうか、今少しお待ちを……!」
そんな悲鳴のような声が複数聞こえてくる。
ティーアがそれに気付いてソファから立ち上がった。
「まさか……!」
次の瞬間、応接の間の扉がバンっと勢いよく開かれた。
そこに現れたのは、見たことのない男の人だった。
黒髪に金の瞳。ぱっと見かなりの高身長イケメンだ。
(誰……? ティーアの婚約者、とか……?)
もしそうだったとしたら、ティーアの口から先ほど突然出てきたコイバナも納得できると思ったのだ。でも。
「話が違いますわ。こちらから伺うとお約束したはず」
ティーアが怒っている。私の腕の中にいるメリーは怖がっているのか小さく震えていた。
と、その彼は、私と目が合うとツカツカとこちらに近寄ってきた。
なんとなく圧を感じて、私もメリーを抱っこしたままソファから立ち上がる。
彼は私の前までやって来ると、こちらを見下ろしなんとも不遜な態度で言った。
「久しぶりだな。コハル」
「え?」
(久しぶり?)
ということは、彼にも以前に会ったことがあるということだ。
しかし、思い出せない。
こんなイケメン記憶にない。
別にメンクイというわけじゃないけれど、ここまで整った顔なら一度見たら忘れないはずだ。それほどの迫力ある美形だった。
そんな私の戸惑いに気付いたのだろう。彼は不機嫌そうに眉を寄せた。
「まさか、忘れたわけじゃないだろうな」
「え、えっと……」
「約束通り、迎えに来てやったんだが」
(約束……?)
ますますわからない。
こんなイケメンと私は何を約束しただろう。全く覚えていない。
内心ダラダラと汗をかいていると、彼は私に手を差し伸べた。
「さぁ、共に我が帝国へ。そして我が妃となれ、聖女コハルよ」
「……は?」
目が点になるとはきっとこういうときのことを言うのだなぁと、私は他人事のように思っていた。