「念五郎……?」
再び時蔵の案内に従い三人は屋敷を進み、応接間の襖の前まで来ると、彼はおもむろに廊下に膝をついてから中へと声をかけた。
「親父。お客人をお連れしやした」
「おう。入ってもらいな」
中から返ってくる声はしわがれながらも良く通り、静謐な威厳がこもっていて大樹のような年齢を感じさせる。その声が聞こえただけで場の空気が引き締まり、時蔵、柊、梓の三人に緊張が走った。
時蔵は思わず頭を垂れて「へい」と一つ返事をすると、丁寧に襖を開きエンジ達を中へ招く。
何かあまり覚えの無い種類の緊張感に柊と梓が動けないでいると、全くもって普段通りの調子のエンジがちょこちょこと二人の横を通りすぎて部屋へと入って行った。それに驚いた二人も慌てながら、失礼がないよう気をつけて後に続く。
全員が中へ入ると立派な和室の中央に鎮座する座卓越しに声がかけられた。
「久しいな、エンジの嬢ちゃん。顔を合わせるのはこの前の店で以来か」
「うん。元気?」
「儂は大事ない。そっちも色々あったみたいだが、元気そうだな」
「うん。健康」
「そりゃあ何より。まあ、客人を立たせたままなのもなんだ、皆そこに座ってくれ」
声の主は、巨大な一枚板を使った高級感のある座卓の向こうで胡座をかいて座る白い総髪の好好爺。もう気温も高い時期だというのにしっかりとした和服を身に纏ったその姿は矍鑠としており、顎には綺麗に整えられた白く長い髭を蓄えている。
片手に煙管を燻らせた彼は、その髭を空いている手で撫で付けながらエンジと挨拶を交わすと、そのまま三人に着座を促す。
エンジ達が各々手近に敷いてある座布団の上に腰を下ろしたのを確認した老人は、時蔵に茶を用意するよう言い付けた。それに従い時蔵が一礼して部屋を後にすると、老人は柊と梓に向けて自己紹介を始める。
「さて、改めて自己紹介をしようか。エンジの嬢ちゃんは知っとるだろうが、儂の名は不治魚念五郎頼真。今はしがない不動産屋をやっとる爺にして、今回の嬢ちゃん達への依頼主ってところだ」
「念五郎……?」
エンジが老人の自己紹介の聞き覚えが無い部分に首を傾げていると、彼は自らの傍らにある煙草盆に吸い終わった煙管の灰を落としながら説明をした。
「字だ。大昔にな、若気の至りで色々やらかしちまった時、仲間に駄洒落でつけられたのを使っとったんだ。今じゃほとんどと言って良いほど使わんね。まあ、これも時代の流れってもんなんだろうな」
そう苦笑しながら再び煙管に葉を詰める頼真。そうしてふと顔を上げると、エンジを挟んで正座して座っている柊と梓の方へ顔を向けた。
「して、エンジの嬢ちゃんは良いとして、そちらのお嬢ちゃん方は?」
「あたしは五塔杢柊。今日はエンジの付き添い兼、手伝いで来たんだ。よろしく」
「柊っ、言葉遣い! 柊が失礼しました! 私は五塔杢梓と申します。柊と同じくエンジさんのお手伝いでこちらに伺いました。よろしくお願いいたします」
頼真が尋ねると、柊は煙管に冷ややかな視線を向けながら、ややぶっきらぼうに自己紹介をする。その態度の悪さにぎょっとした梓が慌てて柊を嗜めつつ、頼真に対して謝罪と自身の自己紹介をした。
彼女達の自己紹介を聞いた頼真は柊の態度には気にも留めず二人を良く観察し、彼女の視線の意味に気付くとばつが悪そうに小さく笑う。そして、いそいそと煙管を煙草盆に片付け始めた。
「ああ、そうか。気が利かんですまんな。若い娘がヤニの匂いを纏わせてるなんてのは外聞が悪いよな。今はそういうのにも厳しいんだろ?」
「ええ……まあそうなんですけれども……。態度が悪いのはこちらなので――」
「爺さん、換気してくれよ」
「ちょっと柊!」
片付けながらも三人に謝る頼真に、どう反応していいかわからない梓がこちらも悪いと謝ろうとしたところで、ふてぶてしい態度の柊が梓の言葉を遮った。自分が何とか場を取り持とうとしたところにそんな事をされた梓が、眉を吊り上げて柊に怒る。
そんな二人を見て頼真はカカカと声を上げて愉快そうに笑うと、梓を宥める為に声をかけた。
「いや気にせんでいい、言われて当然だからな。何分古い時代の爺なんだ、大目にみてくれ。それに言葉遣いも楽にしていい。そっちの方が儂も話しやすい」
「はっはい……。不治魚さんがそれでよろしいなら……」
「じゃあ遠慮なく」
「ここの窓開けんぞ爺さん」
「エンジさんは最初から自然体でしたよ? あと柊っ! 勝手に窓開けたらダメでしょ!?」
頼真に宥められ、初対面の者の前で取り乱した恥ずかしさに縮こまってしまった梓。その隣に座るエンジが、一つ頷きながら分かりづらくボケて、そのまた隣に座っていた柊はいつの間にか立ち上がっており窓に手を掛けている。
好き勝手に振る舞う二人に梓がツッコミを入ると、また頼真は愉快そうに大笑いをしたのだった。
そうこうしている内に茶を用意した時蔵が戻ってきて、一旦その場の空気は仕切り直された。一頻り笑った頼真は書類の纏められたファイルを座卓の上に置き、中を開いて話し始める。
「さて、それじゃあ仕事の確認をしよう。わかっとると思うが今回の依頼は除霊。場所は音橋埠頭にある第三倉庫だ」
「音橋って最近事故のあった港だよな」
「テレビで見た」
「ああそうだ。だが、あの事故とは関係ないぞ。なんせこっちは船が沈む前からの話しだからな」
そう言って頼真は書類をめくり、地図のある地点を指差しながら説明を始めた。
「ここはウチが貿易会社に貸しとるんだが、そこから心霊現象が起きるからどうにかしとくれと苦情が入っとってな」
「具体的にはどんな事が起きたんですか?」
「最初は人影が見えただのだったらしいが、今じゃポルターガイストで積んであった商品が散乱するようになって倉庫が使えないそうだ」
「それは大変」
「全くだ。貸し主としては本当にいい迷惑だよ」
詳細を聞いたエンジがそう感想を漏らすと、頼真も同意しながら心底迷惑そうに顔を歪める。捲られた書類には現場の写真も載っており、運送用のパレットに積まれていたであろう段ボールが派手に散乱している光景が写されていた。
「物取りとかじゃないんだよな?」
「向こうさんも最初はそう思ったみたいで内部に監視カメラを設置したんだが、見事に誰も写らず、置いてあった物がひとりでに宙を舞うところが写っていたもんだから、すっかりビビっちまってウチに泣きついて来たんだ。このままじゃ仕事にならないから解約するって具合にな」
写真を見た柊が一応の確認をすると、頼真は書類を一枚抜き取り、資料として見せながら更なる詳細の説明をする。
「物質に干渉できるなんて霊障としてはまあまあじゃねぇか」
三人で顔を寄せ合って、資料に載っている防犯カメラが写した一連のシーンの抜粋を見ながら、柊はニヤリとして一言そう言い、梓は組合の情報との食い違いがないか精査する。
一方、資料から目を離したエンジは不思議そうに頼真に対して問いかけた。
「祓わなかった?」
「結果的にはそうなる。このくらい普段ならウチの者が行くんだが、最近まで音橋港の事故のせいで倉庫の周辺まで行き来が規制されてた上に、ウチが今ちょっとゴタゴタしていてな。使えるヤツが出払っていて純粋に手が足りん。だから組合に依頼を出す羽目になったんだ」
その問いかけに対して頼真はひどく面倒くさそうな感情を隠さずに答える。すると、エンジはニコリと笑った。
「わたしは助かる」
「そりゃあ不幸中の幸いだな。こっちとしてもそんなエンジの嬢ちゃんがちゃんと仕事をこなしてくれれば、貿易会社と契約が維持できて更に重畳だ」
無邪気な笑顔で悪気なくそう言ったエンジに頼真は苦笑いしながら、しっかりと油断しないよう釘をさして髭を撫で付けた。
そこで資料を熟読しながらずっと精査していた梓が顔を上げて質問をする。
「依頼主としてはどれくらいの難易度を想定されているんですか?」
「組合と同じだな。ウチとしては現場の偵察こそしていないが、今借り手の会社が寄越した情報を見るに、危険性は限りなく低いと見とる」
「つまりエンジの階級でもどうにか出来る範囲だって?」
「組合が受付を通したって事はそういうことなんだろ? なあ祓い屋さんよ?」
頼真の回答に柊が確認を入れると、彼はニヤリと挑発的な笑みを浮かべる。その反応に柊も同じような笑みを浮かべたのだった。
「これで一通りの説明は終わりだ。何か質問は?」
「あたしは特に。二人はどうだ?」
「私もです。エンジさんはありますか?」
「除霊の手段は問わない?」
その後は細々とした説明と確認が続き、それが一段落すると頼真が問いかけた。柊と梓の二人は特に何も尋ねることはなかったが、ただ一人エンジだけは、ここが本題とばかりに真剣に問いかける。
その雰囲気に頼真は少しだけ目を見開き、不思議に思ったが、深く問うことはしない。何の事情があるかは知らないが、それを問うのは野暮だろうと思うと同時に、手に負えない事態が起これば彼女の保護者がすっ飛んで来て解決するという確信があったからだ。
故に彼はその問いに軽い調子で答える。
「まあ手段は好きにしてくれればいいが、極力倉庫は壊さんでくれ。向こうさんの仕事に差し支えるからな」
「わかった」
「ではよろしく頼む。現場まではそこの時蔵に車を出させるから乗っていくといい」
「へい。しっかりと送迎させていただきやす。どうぞご安心してこの時蔵にお任せくだせいませ」
エンジが頷くと頼真は三人の顔をしっかりと見て仕事を頼んだ。次いで今まで部屋の隅で静かに待機していた時蔵に送迎を任せる。
命じられた時蔵は、まるでこれから戦に臨むかのような面持ちでエンジ達に頭を下げ、先に応接間を出ていった。
「あの人、何であんなに気合い入ってるんでしょうか?」
「さあ? わかんねぇ」
「そりゃあ、エンジの嬢ちゃんは儂らの界隈じゃあ超がつく程の重要人物だ。万一、事故なんぞ起こそうもんなら、ウチにとって致命的といえる程の弱味になる。まあ、お嬢ちゃん達にとっては知る人ぞ知るってヤツだろうけどな」
「まあ、それならわからなくはねぇが……。けど、エンジって妖怪の間じゃそこまで有名なのな……」
「イエ~イ」
「その感情のない声色でイエーイって言うの止めろ。お前がやると怖いから」
梓の疑問に頼真が書類を片付けて煙草盆をいじりながら解説すると、柊と梓の視線は自然とエンジに向かう。すると彼女は、二人に対してゆっくりとピースサインをしながら全く抑揚のない平坦な声で言った。
からくり人形めいたその仕草はまあまあ不気味で、柊は思わず突っ込みを入れ、梓は反応に困った様子だった。
「まあな。とは言え、エンジの嬢ちゃんは兎も角、二人もちゃんと儂らの事わかっとったのかい?」
エンジにからかわれている二人に苦笑しながら頼真が柊の呟きに対してこう尋ねると、柊と梓は酷く心外そうに返答する。
「何言ってんだ。あたしらを試してた癖に」
「何度か意図的に隠行を弱めていたタイミングがありましたよね。それでも中堅程度の実力じゃ全く妖気に気付けない程度でしたけど」
「カカカッ! 合格だ! 嬢ちゃん達ならエンジの嬢ちゃんを任せても大丈夫だな」
「柊と梓なら安心」
「そうかそうか、それなら儂も安心して送り出せるってもんだ」
二人が目付きを細めて不愉快そうに睨むと、彼女らのその跳ねっ返り具合と実力が確かだとわかった頼真が笑う。エンジも柊と梓への信頼を口にしたため、彼は選択肢として持っていた、エンジの同行者に実力や信頼が伴わない場合、こちらから依頼を破棄してでも行かせないという考えを完全に捨てる事にした。
「くっ、くっちゃべってないで、もう行くぞエンジ! ほら仕事だ!」
「で、では失礼します。成果報告は後日行いますので。ほらっ、エンジさん行きましょう!」
「じゃあ行ってくる」
「おう。エンジの嬢ちゃんも、大丈夫だとは思うが決して無理だけはしてくれるなよ?」
「うん」
急に示されたエンジからの信頼に照れた柊と梓が立ち上がり、慌ただしくエンジに出立を促す。それを受けてものんびりと立ち上がり頼真と挨拶を交わすエンジに、彼は笑顔で最後の忠告をした。
彼女はそれに一つ頷くと梓に背を押され、応接間から出ていった。
三人の姿が見えなくなると頼真はひとり、煙草盆から煙管を取り出し、葉を詰めて火をつける。ぷかりぷかりと口から煙を吐き出していると胸元から軽快な音楽が鳴った。
仕舞っていたスマートフォンを取り出すと相手を確認してから電話に出る。
「いいタイミングでかけてくるな、愛梨亜の嬢ちゃん。今ちょうど依頼の説明が終わって出てった所だ」
「あらそう。それで柊と梓は貴方のお眼鏡に叶ったのかしら?」
「実力は問題なかろうて。それにしてもあの五塔杢の嬢ちゃん、当主代理にしては色々と疎くないか?」
「組合は若い当主代理に負担をかけないよう、あえて情報を絞ってるそうよ。燕おばさまからの又聞きだけれどね」
「蓮堂の最終兵器か……」
「それより依頼主が変な所ではなくて、貴方の所で本当に良かったわ。一時はどうなるかと思ったもの」
「愛梨亜の嬢ちゃんからいきなり電話が来たときは何事かと思ったわい。まあ、お使い程度の簡単な仕事だから安心するといい」
「そうね。今回のお礼にご馳走するから、今度店にいらっしゃいな」
「カカカッ、そりゃあ楽しみだ!」
頼真はそうして笑うと、そののち一言二言会話を交わして愛梨亜と通話を切ったのだった。
何とか最低でも月一でくらいは話を出したいと思ってます。思ってるだけにならなければいいなぁ……。




