「杏里沙~、ねむい~」
エンジの地元まで行った翌日、四人は朝から自宅の雑居ビルの一階にある喫茶店「四日堂」の開店準備をしていた。
四日堂は四人が趣味で不定期に開いている店であり、店名の由来は一月の開店日数だ。開店日数が減るにつれて店名の日にちも減っていき、今では四日なのであった。
「杏里沙ー、テーブル拭き終わったよー」
「じゃあ、次は外を掃いてきてください」
「オッケー」
「杏里沙、豆はこれで良かったかしら?」
「そうですね、今日はそれがいいと思います」
「杏里沙~、ねむい~」
「エンジはいつもの椅子で寝てて良いですよ。準備が終わったら起こしますからね」
準備は主に杏里沙が中心となって行われていた。これは店に軽食も出す関係上、四人のなかで一番料理の腕がいい杏里沙が仕切った方が効率的という、他三人の推薦により実施されている。
とはいえ、愛梨亜たち三人の料理の技量は大きな差があるという訳ではなく、二人も美味しい料理を作ることができる。
また、右腕が動かないエンジも全く料理ができないという事もなく、作ろうと思えば美味しい料理を作ることができる。しかし、本人は華麗だと思っているその包丁さばきは、それを見た周囲の人物の肝を例外なく冷やすため、三人から一人での料理は禁止されていた。
有夏は箒とちり取りをもって店の前を掃くために外に出ていき、愛梨亜と杏里沙はカウンターの中で仕込みをしている。
夢で前世の自分達と会っていたエンジは、その影響で起きてからずっと欠伸をしていた。
杏里沙にやんわり戦力外通告をされたエンジは、広いフロアの奥に置いてあるアンティーク調のソファーまで行き横になる。そのうち、すうすうと静かな寝息をたてて眠りに落ちた。
このソファーこそが四日堂でのエンジの定位置であった。
寝ているエンジを他所に三人は店の準備に動き回る。
店の内装は、四人がたまに行っていた老舗の純喫茶が廃業する折りに店主から譲り受け、まるごと全部移設したものだ。一枚板のカウンターに年代物の木製テーブルや革張りの椅子、天井にはシャンデリアまであり、レトロな雰囲気の空間が出来ている。
そうこうしていると、開店準備も終わり外を掃き終わった有夏が看板を出した。
「看板出したよー」
「有夏、お疲れさまです」
「じゃあ、開店するわよ。有夏は着替えてきなさい」
「オッケー。エンジはまだ寝てる?」
「ええ、そろそろ起こしましょうか」
「エンジー起きて。店開けるよ」
「……う。……おはよう」
有夏が着替えに向かうついでにエンジを起こす。寝ぼけているエンジは杏里沙に顔を洗ってくるように言われ、有夏と一緒に上の階へと上がって行った。
「エンジは眠そうね」
「昨日はかなりはしゃいでましたから、疲れが残ってるんでしょうね」
「大丈夫かしら」
「大丈夫でしょう。無理はさせませんし」
「なら、二人が戻ってきたら開店ね」
「何も告知してませんけど、今日はお客さん来るでしょうか?」
「そのうち来るわよ。連中は耳聡いから、誰かが気付けば一気に伝わるでしょ」
「開店するのも随分久しぶりですから、皆さん気付けば来そうですね」
二人がカウンターの中で話していると、着替えた有夏と顔を洗ってすっかり目の覚めたエンジが降りてきた。
「着替えてきたよ。変なとこ無い?」
「無いわね。エンジも目は覚めたかしら?」
「起きた。大丈夫」
「なら開店しましょうか。表のプレート裏返してきます」
「お願いね」
杏里沙が入り口のプレートを準備中から営業中にするために向かう。
他の三人は、何となくで分担されている自分の持ち場へついた。
基本的には杏里沙が調理等を、有夏は給仕や会計を担当し、愛梨亜はどちらかの手が足りないときにヘルプに入る。
なお、エンジはマスコット扱いで常連の客とお喋りするのが仕事だったりする。
「変えてきました」
「ありがとう。後は、客が来るまでは待ちね」
「エンジ、来るまでカードでもする?」
「負けるから、やだ」
杏里沙が戻ってきてカウンターの中に入り、愛梨亜と話を始めた。
手持ち無沙汰の有夏は、ソファーに座っているエンジの隣に座りゲームを持ちかけるがキッパリと断られた。断られた有夏は、なら仕方ないと言ってエンジに抱きついてほっぺたをつつき始めた。
エンジがじとっとした目で有夏を見るが、有夏はニコニコしながら頭を撫でてきたので、エンジはしょうがないと諦めたように一息ついて有夏に抱きついた。
愛梨亜と杏里沙が話を続けながら二人のじゃれあいを見ていると、入り口の扉が開きベルが音を立てた。
「開いてるかね?」
「いらっしゃいませ。今さっき開けたばっかりですよ」
「ここが開くのは久しぶりだな」
「そうね、ここ最近は忙しかったから。お好きな席へどうぞ」
「そうなのか?」
入ってきたのは、常連の和服を着て帽子をかぶった矍鑠とした老人で白くて長いあご髭を蓄えていた。
老人はいつも座るボックス席に着くと、薄い羽織と帽子を脱いで隣へと置く。
その老人の元へ、有夏が注文を取りに近づいた。
「いらっしゃい。来るの早いね、この店いつも見張ってるの?」
「そうだぞ、若い衆に頼んであってな。いつもので頼む」
「はーい。いつものね」
有夏が冗談混じりに老人に問えば、老人も冗談で返しながら注文をする。
最も、それが本当に冗談なのかは本人にしか分からない。
「ちょっと、エンジが怖がること言わないで貰えるかしら。コーヒーに塩入れるわよ?」
「すまんすまん、冗談だ。謝るから止めとくれ。この歳になると塩分がつらいんだ」
「今さら何がこの歳よ、貴方ずっと爺じゃない」
「ほっほ。何のことやらのう」
「もう、惚けちゃって。はい、いつものコーヒーセットだよ」
有夏が注文を取ると、老人の戯れをまともに受け取り、老人の言う若い衆の顔を思い出したエンジがちょっと泣きそうな顔で怖いと呟いた。
それを聞いた愛梨亜が老人に苦情を入れ、老人はそれを聞いて惚けた態度を続けた。
二人が話しているあいだ、杏里沙はコーヒーセットを作り、出来上がると有夏へと渡す。
有夏が老人に突っ込みを入れながら注文の品を運ぶと、老人は嬉しそうに有夏が持ってきたコーヒーの香りを楽しむ。
「この店はお主達のことを知っている者なら決して見逃せん場所だ。皆、大なり小なり気にしとるよ」
「それは光栄に思えばいいのかしらね?」
「どうなんでしょう? でも、少なくともお客さんには困りませんね」
「儂でも気付いたんだ。じきに皆やって来るだろう」
「で、それはそうとこんな早々来るなんて、妖怪の元締めが何か用?」
有夏に問われた老人は眼光を鋭くしてニヤリと笑う。
「なに、最近うちの者にちょっかいを掛けてくる輩がいるそうでな、どうもキナ臭い」
「戦になる?」
奥のソファーに座って話を聞いていたエンジが深刻な顔で老人に聞き、老人はエンジの方を向いて優しげな顔をして答える。
「ならんよ。祓い屋連中や魔の者、この国の神の連中ともやり合う古い時代は過ぎたんだ。もうどこも無駄な血は流したくはないだろう」
「じゃあ、何でキナ臭いなんて言うのよ?」
「困ったことに、それを望まん連中もいるということだ。何が目的かは知らんが迷惑な話だ」
老人は呆れたようにそう言い、コーヒーセットのトーストに齧りつく。
そしてまたドアのベルが鳴り一人の青年が入ってくる。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
「……」
老人を一瞥し、無言で端のカウンター席に座った長身でやせ形の青年の元へ有夏が注文を取りに行く。彼は置いてあるメニュー表から紅茶を選び指を指して注文した。
「お久しぶりですね。大学はもう卒業したんでしたっけ?」
「そうだ。去年の春にした」
「数学科でしたっけ? 楽しかったんですか?」
「そうだ。楽しいかはわからないが、面白い友人は出来た」
「それは何よりですね」
愛梨亜が準備をしているあいだ、杏里沙が青年に話しかける。青年は質問に答えるが全くの無表情でなにも感情が窺えない。
それでもそれに慣れている杏里沙は気にせず世間話を続ける。
「最近、赤人が荒れている」
「赤人ってご同業の方でしたっけ?」
「そうだ」
「あの人いつも荒れてるじゃない。はい、ダージリンよ」
「仕事道具を盗まれたそうだ」
愛梨亜が差し出した紅茶に目線を落としながら、青年が何気なく言った言葉を聞いた店内の者は、エンジを除いて一様にぎょっとした。
「おい待て、それは聞き捨てならんぞ。何時だ?」
「あの人の仕事道具って、何を誰に盗まれたのよ?」
「最近。私は何かは知らない、彼は誰かは見当がついているそうだ」
老人と愛梨亜の矢継ぎ早な質問に、青年は無表情のまま紅茶を啜り、淡々と答える。
騒然とする店内で青年といまいち理解していないエンジだけが冷静だった。
「何かまずい?」
「エンジの嬢ちゃん、この若いのが何なのか知っとるか?」
「悪神の部下」
「ただの雑用係だ。例外規定者よ」
老人の問いかけにエンジは端的に答えるが、その答えを聞いた青年が答えを訂正する。そして、エンジの方に視線を向けながら彼と同業の者達が使うエンジの呼び名を言った。
「呼び方はどっちでも同じだが、問題はその影響力だ」
「悪い方達ではなく、むしろ被害の拡大を未然に防いでいる方達なんですけどね」
「使う物や手段が過激なことが殆どなのよ」
「割りと極端でもあるね」
「仕事だからだ」
「やりすぎなんだ、お主ら魔の連中は。後始末をする羽目になる儂らや、下請けの土地神どもにはありがた迷惑だぞ」
皆が口々に魔の者と言われる者達についての情報を話すが、青年は冷淡に切って捨てる。
それに少し気勢を削がれた老人が困ったように青年に苦情を告げた。
「なんにせよ、そんな周りから警戒される人達が使う道具がまともな訳ないよねってこと」
「そうなの?」
「……否定はできない」
有夏がエンジに要点を教えると、エンジは青年に確認するように問いかける。
青年はコーヒーを啜りながら、なんとも言えない顔をして反応をしたのだった。




