第82話 S級ハンター、魔剣を振るう
「『疾風怒濤』……」
シェリルがそう呟いた瞬間、急に夜の街が騒がしくなった。
石畳の上に乗っていたゴミ、枯れ葉、あるいは塵が浮き上がる。側の料理店の看板が軋みを上げて揺れ、窓が独りでに音を立て始めた。
僕の黒い髪が靡く。
そして黒瞳の視線が向かう先には 緑色の魔剣があった。
シェリルが力を入れると風が巻き起こり、纏っている黒コートと尻尾を揺らす。
空気――――いや、風の流れがすべて魔剣へと集約されていく。
もはや魔剣は鋭利な刃物というより、特大の暴風を纏った巨大な棍棒のようだ。
「あれがシェリルの力……」
「そうだ」
僕の呟きに、ガンゲルが反応する。
「あの女は、あの魔剣で魔竜王ブリガルドを討伐し、『黒い暴風』という異名がつけられたんだ」
つまりそれって、勇者の剣。
僕が知らないシェリルのもう1つの顔。
魔剣を中心にして渦を巻く風の動きが、さらに活発になる。
回転が上がり、さらにシェリルの黒髪を乱した。
そのシェリルの身体が前へと傾く。
直後、走り出した。
異名通りだ。
まさしくそれは『黒い暴風』だった。
「でやあああああああああああ!!」
シェリルの裂帛の気合いが夜の街を切り裂いた。
それだけじゃない。
神獣を覆っていた分厚い氷に、一筋の光が走る。
遅れて光から風が噴き出した。
氷を押しのけるように暴れ狂う。
当然氷はバラバラになり、夜空へと舞い上がった。
白い霜のような煙が辺りを覆う。
一面が白くなり、僕の視界からでは何が起こっているかわからなかった。
「シェリル……」
急に不安になってくる。
保護者のこともそうだけど、神獣のことも心配だった。
だが、それは僕の杞憂だったらしい。
煙の中から現れたのは、シェリルだった。
何かを抱えている。
「もしかして……」
赤ちゃんだ。
おそらく神獣の赤ちゃんだろう。
小さすぎて、先ほどまで目の前にいた神獣の面影すらない。柔らかそうな毛はなく、ほぼ肌が剥き出ているような状態だった。
シェリルはそんな赤ん坊を抱きかかえた後、僕に差し出す。
「あとは頼んだよ」
赤ん坊を受け取ると、シェリルは崩れ落ちる。
「シェリル!!」
「あたしのことはいい。それよりも、その赤ん坊をなんとかしてやれ」
「なんとかって……」
僕は赤ん坊を見つめる。
小さい。本当に生まれたての子犬ぐらいの大きさだ。
これがいつか目の前の神獣のように大きくなるのかと思うと、想像も出来なかった。
「おい。その赤ん坊、息をしておらんのではないか?」
「え?」
ホントだ!
どうしようこのままだと死んでしまうよ。
「シェリル……。どうしよう! 折角生まれたのに死んじゃうよ、この子」
「…………」
シェリルから返事はない。
何とか意識を保っているのが精一杯といったところらしい。
まずい。神獣の子どもも大変だけど、シェリルも大変だ。
僕は涙目になっていると、横から怒鳴り声が聞こえた。
「何をしておるか!」
ガンゲルだ。
僕から神獣の子どもを取り上げる。
ハンカチで、丁寧に濡れていた神獣の赤ん坊を拭き取った。すると、鼻の頭や口元を舐め取る。
「何をやってるの?」
「愚か者! 素人は黙ってろ」
あとで聞いた犬の話だけど、切開して生まれた犬の赤ん坊に呼吸を促す行動だったらしい。
そう言えば、羊の時も母親が生まれた赤ん坊を舐めていたっけ。
「むむ……。なかなか息をせんの」
「貸して! 僕もやる!!」
僕はガンゲルから赤ん坊を取り上げると、鼻の頭や口元を舐める。
しばらくそうしていると、ヒューヒューと呼吸を始めた。
やった!
思わずガンゲルとハイタッチをしてしまう。
これでひとまず赤ん坊の山場は越えたといってもいい。
問題は側で動かなくなったシェリルと、白い霧の向こうにいる神獣だ。
依然として空気は冷たく、まるで結界のように霧が僕たちを阻んでいる。
切開したんだ。母体の方もタダでは済まないはず。
生きているかどうかすらわからなかった。
生死の境を彷徨ってるなら、尚更だ。
ちゃんと生まれた赤ん坊を見せてあげないと……。
「おい! 小僧!!」
僕は赤ん坊を抱えたまま走り出す。
胸に抱えた神獣が小さく鳴いた。
「大丈夫……。今、お母さんに会わせてあげるよ」
折角生まれたんだ。
このままお母さんのぬくもりも知らず、万が一のことが起こったら、あまりに不憫すぎる。
あの神獣が今からどんな母親になるかなんて僕にはわからない。
けれど、決死の覚悟で生んだ子どもなんだ。
生まれた瞬間ぐらい喜んでくれるはず。
僕は霧の中に突入する。
「うっ……」
寒い。
息を吸うだけで喉が痛くなる。
側で赤ん坊が震えているのがわかった。
僕は少し強く抱きしめ、霧の中の神獣を探す。
すると、獣臭が濃くなるのがわかった。同時に息づかいも聞こえる。
良かった。まだ生きてる。
息づかいが聞こえる方へと向かうと、神獣がぐったりとした状態で立っていた。
真っ白な霜が降りている。
お腹から流した血や、恐らくシェリルが切ったと思われる臍の緒の跡があった。
一目見てわかった。
神獣が危険な状態にあることを。
1つ幸運なことは、血が止まっていることだ。開いた傷口を凍らし、神獣は自分の血を止めていた。
きっとこの濃い霧も、患部の氷を溶かさないためのものだろう。
無理な【使役】や、シェリルとの戦い。そして切開による出産。
それだけの経験をして、まだこういうことができるのは、この神獣がまだ若いからかもしれない。
「起きて。神獣……。君が生んだ子どもだよ。ちゃんと生まれたよ」
僕が話しかけると、神獣は目を開いた。
先ほどまで猛っていた猛獣の姿はない。
子どもに向ける視線は、母親のそれだった。
口を開き、差し出された子どもをペロリと舐める。
それに呼応して、赤ん坊も「みぃ。みぃ」と鳴いた。まだ目が開かないけど、それでも母親の匂いと声を覚えように甘えている。
僕はいつの間にか泣いていた。
でも、さっぱりその理由がわからない。
特別悲しいわけじゃない。嬉しさはあるけど、泣く程じゃない。
ただ僕の中で渦巻いていた感情が一気に爆発した。
そんな感じだった。
「あ。お乳がほしいんじゃないかな」
いや、神獣ってそもそもお乳がいるのか?
全然わからない。
シェリルとかわかるかな?
『う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛……』
僕が首を捻っている横で、突然神獣は唸り出す。
何か警戒させるようなことをしたのだろうか。それとも親子水入らずのところを、人間がいるから。
邪魔なら……。
『わぁう!!』
神獣はカッと目を開き、立ち上がる。
大きく首を振ると、僕を突き飛ばした。
石畳に叩きつけられる。
「ガハッ!!」
悲鳴を上げる。
直後、「小僧!」というガンゲルの声が聞こえた。
側のシェリルがぴくりと動く。
僕は一応無事だ。
ちょっと息ができないし、背中はズキズキと痛いけど、それだけだった。
シェリルや、あの神獣が受けた痛みに比べれば百倍増しなはずだ。
咄嗟に抱えた神獣の子どもも無事だった。
問題は親の方だ。
『う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛……』
また低い唸りが聞こえる。
ずっと白い霧の中にいた神獣が、姿を現した。
金色の瞳を真っ赤に血走らせて……。
どうしちゃったんだろう。
「ふはははははははは……」
狂信的な哄笑が聞こえる。
神獣と共に現れたのは、ラクエルさんだった。
さて、書籍版がお手元にある方はすでにご承知のことと思いますが、
ありがたいことに、『魔物を狩るな~』ですが……。
☆☆☆ コミカライズ 決定しました!! ☆☆☆
すでに漫画家さんには作業に入ってもらっておりまして、
今夏コミックノヴァより連載していく予定です。
小説ともども、そちらの方もお楽しみいただければ幸いです。