第79話 S級ハンター、膝を突く
おかげさまで『ゼロスキルの料理番』3巻ですが、
BookWalker様でファンタジー部門2位。
ピッコマ様でも、2位になっておりました(上は完結した国民的人気作のみw)
好調のようです。よろしければお買い上げ下さい。
「ぐっ……」
シェリルは悲鳴を上げ、膝を突いた。
僕は近づこうとしたけど、それを止めたのはシェリルだ。
「来るな!」と怒鳴られると、思わず身が竦む。
ガンゲルは僕の肩を掴んだ。その視線の先にあるのは、シェリルの横に佇むラクエルさんだった。
裏通りと違って、今は開けた通りだ。
月明かりは冷たく街を照らしていて、松明がなくても街の家の形や石畳の割れ目がはっきりと見えていた。
その中でラクエルさんは手に血が付着したナイフを持って、笑っている。
半分空いた口の中で、唾液が糸を引いていた。
まるで獣のようだ。
対する神獣は、背中で荒く息を吐き出しながら、僕たちの方を窺っている。
「どうなんだ?」
シェリルの鋭い眼差しは変わらないが、脂汗がひどかった。
出血の量から見て、早く手当をしないとダメだろう。
だけど、シェリルの眼光は空に輝く月よりも冷たく、かつ僕には恐ろしく見えた。
「何がかね?」
ラクエルさんは肩を竦める。
「とぼけるな。こいつが妊娠しているって話だ!」
シェリルが怒鳴る。
また傷口が開いたらしく、押さえた指の間から鮮血が漏れた。
「さあ……」
「お前――――」
「そう怒らないでくれ。私にも本当にわからないんだ。アイムが身ごもっているかどうかなんてね」
「――――ッ!」
「むしろあなたがそう指摘する理由を教えてほしいものだね」
「音だ……」
「ほう……」
ラクエルさんは目を細める。
「ほんの微かだが、神獣の腹の中で何かが蠢く音を聞いた。おそらく中の赤ん坊が母親のお腹を叩いた音だ」
勿論、僕にはわからない。
けれど、黒毛馬族のシェリルには聞こえたんだろう。
匂いもそうだけど、シェリルは耳もいい。
赤ちゃんが母親のお腹を蹴る音なんて、お腹に耳でも近づけない限り、とても聞こえるものじゃない。
でもシェリルならば、至近に近づいた神獣から聞こえた異質な音に、気付いてもなんらおかしくはなかった。
「子どもがいるなら色々と説明がつく。あたしの攻撃を何故顔で受けようとしていたかもね」
「そうか。お腹をかばってたんだ」
僕はその時になって初めて気付いた。
シェリルの説明は続く。
「神獣が宝石店にある魔石を狙っていたのも、子どもを生むための魔力が必要だったからだ」
「なるほど。そういうことか……」
側のガンゲルも頷いた。
ラクエルさんも、どこか満足げに頷く。
「さすがは元勇者……。名推理ですな。拍手を送って差し上げたいところです」
「必要ないね。全然嬉しくないし。神獣をこんな身体にしやがって」
「こんな身体? 何を言っているのかさっぱりわかりませんよ。ボクがアイムに何をしたというのですか? ボクはアイムを可愛がってきました。彼……いや、今は彼女か――――そのために色々と手を尽くしてきたんですよ」
「その色々が問題なんだよ!」
シェリルは喝破する。
また傷口が開いたが、シェリルは構わずまくしたてた。
「そんなに可愛がっているというなら、こいつの年齢を言い当ててみろ」
「年齢? それは――――」
「そんなこともわからないのか? じゃあ、あたしが答えてやる。こいつの年齢はおそらく100歳以下だ」
「100歳以下?」
「まだわからないのか? アイスドウルフの出産周期は500年だぞ」
「あっ……」
ラクエルさんは何かに気付く。
振り返り、アイムと呼ぶ神獣をマジマジと見つめた。
僕とガンゲルはまだピンと来ていない。
ただ首を傾げるだけで、2人のやりとりを見つめている。
「気付いたか? そうだ。そのアイスドウルフは小さすぎる」
それを聞いた時、僕はやっとシェリルが言わんとしていることに気付いた。
アイスドウルフは成獣になると、山よりも大きくなると言われている。
だが、今目の前にいるアイスドウルフは書物に書かれているものよりも、遥かに小さい。
「おそらく100歳以下……。いや、50歳以下かもしれない。言わば、アイスドウルフの子どもだ。身体もまだ成熟できていないアイスドウルフが、今お腹を大きくしている。それがどういう意味かぐらいはわかるだろう」
僕は子どもだから、出産の大変さなんてわからない。
でも、今自分が子どもを出産するとなれば、その苦痛に耐えることができるかどうか……。
いや、想像するだけで恐ろしい。
「身体が整わないうちに、こいつは身ごもってしまった。だから身体が弱っている。本来必要なかった魔力摂取も必要になったんだ」
仮にアイスドウルフが出産の度に、魔石を摂取しているというなら、そういう話がどこからか聞こえてくるはずだ。
書物のどこかに書かれるだろう。
けれど、そんな話も、記載もない。
すべてはこのアイスドウルフが未熟だったせいなんだ。
「あはははははははは……!」
ラクエルさんは笑った。
何かに取り憑かれたように狂信的に哄笑を上げる。
そこには初対面の時に見た、気弱な貴族の印象はなかった。
「素晴らしい!!」
ラクエルさんが絶賛した相手はシェリルじゃない。
アイムという神獣の方を向いて、頬を染めていた。
「なんて良い子なんだ、アイム。まさか子どもを身ごもってくれているなんて。まさに僕との愛の結晶じゃないか!!」
もうまともな精神状態じゃない。
神獣と貴族の愛の結晶。
想像するだけで身が震えた。
「なんとしてでも取り上げてやらねば。そして女王に見ていただくのだ! 僕の成果を――――!!」
「やはり何かやったんだな? 例えば、その指輪の魔力増幅器とか」
膝を突いていたシェリルはおもむろに立ち上がる。
戦意は失われていない。
むしろ増すばかりだった。
そんなシェリルの覇気に、ラクエルさんは物怖じしない。
やれやれと首を振り、僕たちの方を向いた。
「はあ……。これだから人間は嫌いだ。特に勘のいい女は……」
「ラクエル殿……。何を――――」
「ご心配なく、ガンゲル殿。ただこういうことです」
お前たちはここで死ね……。