第77話 S級ハンター、仁王立つ
神獣……。
書物の中では知っている言葉。
でも、日常の会話の中で聞くのは初めてだ。
それが本物であるならば、僕は多分世界的に見ても珍しい神獣目撃者となるだろう。
神獣はそれほど珍しい獣なのだ。
普段は神様が住む神域に住み、戯れに地上へと現れる。
その伝説は様々だ。
国に千年の恵みをもたらしたというものもあれば、千年草木が生えない土地にしたという言い伝えもある。
神獣は決して人間の味方ではない。獣とつく限り、その差配は神獣自身の自我に寄るところが大きいのだ。
アイスドウルフという種類の神獣は初めて聞いたけど、ともかくその名前は僕に衝撃を与えた。
それを人が【使役】していたというなら尚更驚きだ。
皆が押し黙り、お婆さんの泣き声が響く中で、僕たちの会話は続いた。
「その反応からして、間違いないようだな」
シェリルはラクエルさんを睨む。
伯爵様は何も言わず、小さく頭を振るだけだった。
代わりに答えたのはガンゲルだ。
「その通りだ」
「が、ガンゲル殿……」
「ここに至っては白状するしかありません、ラクエル殿」
「…………」
ガンゲルに諭され、ラクエルさんは再び頭を垂れた。
顔がさらに青白くなっていく。
口を開こうとしないラクエルに変わって、ガンゲルが説明した。
「あれは神獣だ。そこらの獣じゃない。ラクエル殿は、それを【使役】していたが――――」
「逃げられたか……。本当に神獣を【使役】できていたのか、疑問だな」
シェリルはまたラクエルさんに鋭い視線を送る。
やはりラクエルさんは脂汗を垂れ流すだけだった。
「神獣はラクエル殿の制御下にあった。事実、ここまでの道中は大人しかったのだからな。……今回は偶発的な事故だ。そしてこの不幸な事故もな」
「神獣は人を襲うことはない。己を守る時以外は……。これもその事故だと?」
「ああ。そうだ」
「じゃあ、この後に起こる事故もそうだと?」
「その前に捕まえるのがお前の役割だ、シェリル」
どちらも1歩も引かない。
端から見ている僕でもドキドキするぐらいの剣幕なのに、ガンゲルだけは冷静だった。
それどころか大きく溜息を吐く。
「お前、何が言いたい?」
「捕獲でいいのか、と聞いている?」
「殺すというのか? 神獣を? それこそ罪だ。あの神獣は世界文化遺産に匹敵するほどの価値があるのだぞ。いや、それ以上かもしれん。人類にとってかけがえのない遺産となるものを殺すというのか、お前は?」
「この街で虐殺が起こるよりはマシだろう」
「そうなるとは決まってないだろう。シェリル、いい加減落ち着け。お前らしくないぞ。それとラクエル殿にも謝罪だ。この件で、1番心を痛めているのは、飼い主であるラクエル殿なんだぞ」
「…………」
シェリルは盛大に溜息を吐いた。
ラクエルさんの方を向き、乱れた襟元を直す。
「悪かったな」
「いえ……」
ラクエルさんはホッと息を吐く。
その場にへたり込み、ガンゲルの介抱を受けていた。
シェリルは現場から離れようとする。
「どこへ行く、シェリル?」
「作戦を立て直す。あいつの目的もわかったしな。……ラクエル殿」
「…………ま、まだ何か?」
「善処はする。……ただ保証はできない。それが飲めないなら、あたしは降りる」
「シェリル! 勝手に――――」
ガンゲルが激昂した。
それを抑えたのは、ラクエルさんだった。
「もういいですよ、ガンゲル殿。こうなってはボクも覚悟します。そもそもボクが悪かったんですから」
そして、その夜――――。
シェリルのハントが始まった。
◆◇◆◇◆
「なんじゃ、こりゃ??」
ガンゲルは思わず仰け反った。
目の前に置かれていたのは、煌びやかな宝石の数々だ。
換金したら、いくらぐらいになるんだろう。
しばらく食べるのに困らないぐらい、とにかくたくさんだ。
日中ですら真っ暗な裏通りでも、月の光を受けて赤、青、緑と様々に反射している。
「シェリル、これどうしたの?」
もしかしてシェリルの屋敷の売値と同価値ぐらいある宝石を見て、僕も息を飲んだ。
横でガンゲルがふんふんと頷く。
ラクエルさんだけが、僕たちを窺うように陰湿な瞳を向けていた。
シェリルはやれやれと首を振ってから、宝石を1つ摘まんで僕たちの前に掲げる。
「よく見ろ」
と言われてよく見てみる。
すると、宝石の中に突然目がパチッと開いた。
僕は悲鳴を上げながら1歩後ろに下がる。
一方でガンゲルは苦虫を噛みつぶしたような顔で、宝石を睨んだ。
「なんだ、宝石虫か……」
確か宝石の中に宿った虫霊のことだっけ?
一応魔物だけどほぼ無害。
ただ問題は1度、虫霊に憑かれた宝石は加工できず、宝石店に売っても安値で買い叩かれてしまうらしい。
「宝石虫は商品価値こそほとんどないが、魔石であることに代わりはない。これをあいつの餌にして釣り上げる」
「なるほどな。シェリルにしてはいい考えだ」
ガンゲルは偉そうに髭を引っ張った。
「そのアイディアはいい。だが、何故このガキがいるんだ?」
今度は僕を睨む。
その鋭い眼光に、僕は一瞬竦んだけど、すぐに立ち直った。
逆に睨み返してやる。
「が、ガキじゃないです。……こ、これは僕が受けた依頼ですから」
そう。
これはシェリルが断り、僕が受けた依頼だ。
自分の手に余るようだから、危険だからと言って逃げるわけにはいかない。
それを怖がっていたら、多分僕は生きていけない。
僕にだって、夢の1つや2つはあるのだから。
「それに――――」
「あ? なんだ、ガキ?」
「『助けて』って言ってるようにみえたから」
「はあ? 誰が??」
「神獣が――だよ」
一瞬、ラクエルさんの眉間がピクリと動いたような気がした。
しかし、僕は構わずあの日の夜のことを思い出す。
忘れられない獰猛な牙と、血走った瞳。
けれど、必死になって僕を威嚇する吠え声は、僕に助けてって言っているように見えた。
そこまで話しても、ガンゲルの顔色は変わらない。フンと鼻息を荒くするだけだ。
微妙な空気を変えたのは、シェリルだった。
「まあ、そういうわけだ。今回、あたしはゼレットのサポートだ。ゼレットが降りるというなら、あたしも降りるけどね」
「僕は降りないよ!」
宣言すると、ガンゲルは鼻を鳴らした。
「ふん。私は心配していっているんだ。命の保証はせんし、うちから葬式代も出さん。それでもいいんだな」
「うん」
僕は真っ直ぐガンゲルを目で射貫く。
エルフにしては珍しい黒の瞳が、ガンゲルのギョロリとした目に映り込んでいた。
やや薄くなり始めた髪を、ガンゲルはガリガリと掻きむしる。
「チッ! これだからガキは……。いいか。足手まといにだけはなるなよ」
「お前が言うなっての」
「シェリル――――」
謝ろうとすると、シェリルは僕の頭に手を置いた。
「なんも言うな。心配しなくていい。あたしはあんたの保護者だ。お前のことはちゃんと守る」
「シェリル……」
「だが、人様に迷惑をかけるような無茶ばかりは続けるな。お前が死んだら悲しむヤツはいる。……パメラちゃんとかな。あの子を泣かせてみろ。顔がガンゲルみたいな仏頂面になるまで殴ってやるからな」
それは普通に虐待なんじゃ……。
「それにしても相変わらずその恰好はなんだ? 暑苦しくてかなわんぞ」
ガンゲルが揶揄したのは、シェリルの恰好だ。
シェリルはいつものラフな恰好ではなく、真っ黒な男物のコートを着ていた。
襟が高く、手には指ぬきのグローブを嵌めている。
「相変わらずお洒落というものがわかっていないなあ、ガンゲル」
「ふん。……私には男物のコートを着た変態女にしか見えないが」
「なんだ――――」
シェリルの馬耳が反応する。
何か察し、シェリルは柔らかな尻尾と共に振り返った。
「来た。ゼレット、離れてろ」
「う、うん」
僕は物陰に隠れる。
すると、月が陰った。
雲が出てきたのかと思ったが違う。
月が空を飛ぶ獣に覆い隠されていたのだ。
タンッ!
思いの外、拍子抜けするほど軽い着地音だった。
けれど、シェリルに発した叫びは重苦しい音を立てて、空気を掻きむしる。
『ワァゴゴゴゴゴゴンンンンンンンン!!』
銀毛が闇夜で黒く見える中、その黄金色の瞳だけは陰ることなく、目の前のシェリルを捉えていた。
本当に現れた。
神獣アイスドウルフが……。
対するシェリルは――――。
カラリ、とコートの下に転がったのは、丸い鉄棒だった。
それを拾い上げたシェリルが、神獣に鉄棒の先を向ける。
「さて……。大人しくしてもらおうか」
神獣の目の前で仁王立ちしたシェリルの顔は、今まで見てきた中でもっとも真剣なものだった。







