第74話 S級ハンター、何かに気付く
読者の皆様に質問なんですが、この作品ってどう呼んでます?
「魔物を狩るな」? 「最強ハンター」?
しばらく感想欄を開いておくので、ご意見いただけると嬉しいです。
黄金色の瞳……。
銀色の獣毛……。
いずれも闇の中にあるのに、はっきりと色がわかる。
いや、そもそも全体的にぼんやりと光っていた。
振り返った時、僕は反射的に理解する。
こいつだ……。こいつが、猫だ、と。
けれど、それは猫というにはあまりに大きかった。
後ろ肢を二階建ての建物の屋根に置き、前肢の爪は貼り付いた建物の壁に、半ばめり込んでいる。ゆっくりと開いた口には、鋭い牙が光っていた。
僕を睨む双眸の間に、みるみる皺が刻まれていく。
それは猫と言うより巨大な蜘蛛のように見えた。
「あ……。う…………」
ハントの時、Cランクの魔物を見たと言ったけど、胸を貫くような圧力はそれ以上だ。
頭と肩を押さえつけられたように恐怖で動けない。
喉は緊張のあまり固まり、触られてもいないのに首を絞められているようだった。
『わぅぅぅぅうぅううう……』
低い唸り声が聞こえる。
警戒しているのがわかった。おそらく僕が敵か味方か判別しようとしているのだろう。
それにしたって、屋敷にある図鑑でも見たことのない獣だ。
たった今、僕は命を狙われそうになっているのに、一口で言えばとても綺麗な大狼だった。
問題は一体こんな大きな狼が、人の多い街中でどうやって潜伏していたかということだけど、今考察している暇はない。
相手がまだ僕を見て戸惑っていることは確かだ。
敵意がないことを理解してくれれば、追っかけてこないかもしれない。
僕はゆっくりと足を退く。
視線は切れない。切った瞬間、襲いかかってくる恐怖――というよりは、まるで魔眼のように僕の瞳は黄金色の瞳に吸い寄せられていく。
後ろに下がるにしても、足の感触だけが頼りだ。
幸い路地は一直線だ。逃げ込める角との距離は、100フィットもない。いける。
がちゃっ……。
今の緊迫した空気の中で、日常音が響く。
大狼が貼り付いている家の裏口が唐突に開いたのだ。出てきたのは衛兵でも、まして騎兵隊でもない。
僕より小さな男の子だった。
寝ぼけ眼を擦り、さらに外でトイレを住ませようとする。扉の向こうからは母親とおぼしき声が聞こえた。
街ではよく見かける光景だ。
だが、その日常的な光景は、今まさに非日常的な光景になろうとしていた。
「ダメだ! 出てきちゃ!!」
僕は声を上げる。
その瞬間、大狼と子どもの顔が同時に僕の方を向いた。
大狼は「ふんっ!」と鼻息を荒くする。
しなやかに着地した瞬間、僕の方に向かって走ってきた。
『ワァウ!!』
吠える。
僕は慌てて逃げるかといえば、そうじゃない。
実はちゃんと狙っていたんだ。
腰に下げていた瓶に手を伸ばす。それを思いっきり大狼に向かって投げた。
見事、大狼にヒットするとその瞬間、ボンッと煙が広がった。ただの煙じゃない。ホムラ草に、ビビリ草、さらに胡椒を混ぜたゼレット特製の悪戯爆弾だ。
ホムラ草を粉にしたものを吸い込むと喉が焼け付くような症状を起こし、ビビリ草は同じく粉状にすると、舌に強烈な痛みを伴う。胡椒はおまけみたいなものだった。
症状はすぐに緩和するけど、一瞬感じる痛みはかなり鋭い。
深酒で寝入ったシェリルだって、涙ながらに起き上がった代物だ。
「どうだ!」
ドヤ顔で僕は煙を見つめる。
その表情は長くは続かない。
煙の向こうから速度を緩めず走ってきた大狼の影が見えたからだ。
僕は一転逃げを打つ。
「誰だよ? 猫なんて書いたのは!! 猫どころか狼じゃないか!?」
これで獅子というならわかるけど、狼――しかも新種の大狼なんて聞いてない。
今はとにかく走るしかないが、狼と子どもどっちが速く走れるなんて誰でもわかる。
僕はすぐに追いつかれると、そのまま突き飛ばされた。前のめりになると、前肢で背中を押さえつけられる。
重い……。
息ができない。
アップアップしてる横で大狼はまるで口笛でも吹くかのように鼻息をフガフガと鳴らしている。
鼻を近づけ、ペロペロと僕の身体をなめ回し始めた。
こんな時なのに笑気がこみ上げてくる。本当に笑い死にしそうなんだけど……。
まずい……。
このままじゃ食べられる。
こんな時に僕に力があれば。
そうだよ。もう僕は10歳になったんだ。
神殿に行って、『戦技』か『魔法』を受け取ることができる年齢だ。
現に近所の子どもはすでに『魔法』を受け取ったと言っていた。
シェリルが面倒くさがって、僕を神殿に連れていかないのが悪いんだ。
ああ……。なんかもうすぐ死ぬって言うのに、段々腹が立ってきた。
恐ろしいやら、くすぐったいやら、腹が立つやら……。
今日は随分と忙しい日だな。
これでも全部、シェリルのせいだ。
もう……。
「シェリルの馬鹿ぁぁぁあああああ!!」
僕は最後に力を込めて、思いの丈を吐露した。
やれやれ……。
声が聞こえた。
風切り音のようなものが聞こえた直後、何かが闇を裂いた。
その瞬間、僕を押さえ付けていた大狼は恐ろしく俊敏な動きで後退する。
再び警戒心を剥き出し、闇の中でその黄金色の瞳を光らせた。
瞳に映っていたのは、大狼に対するとは思えないほどラフな普段着を着た女性だ。
その手には螺旋状に中ぐりされた鉄の棒が握られていた。
「こらこら。保護者に馬鹿はないだろ、ゼレット」
「来るのが遅いよぉ……」
半ばふらつきながら僕は立ち上がる。
「口の減らないガキだねぇ」
「保護者の教育の賜物だよ」
「そんな風に育てた覚えはないんだけどねぇ……。まあ、それはひとまず置いて」
シェリルは棒を大狼へと向ける。
「うちの子どもが世話になったね。今度はあたしが相手をしてやるからかかってきな」
大狼に向かって挑発する。
僕はあの大狼を初見で見た時、唇すら動かせなかった。
なのにシェリルは恐れるどころか、挑発している。
これがS級ハンターの余裕なのだとすれば、そのことに僕は恐怖を覚えずにはいられなかった。
シェリルの余裕に対して、大狼の様子はおかしかった。
べろりと舌を出して、先ほどよりも息が荒く感じる。
それほどシェリルのプレッシャーが凄いのか。それとも何か体調でも悪いのだろうか。よく見ると毛艶が悪い。黄金色の瞳も、最初見た時より、色あせているように見えた。
『ワァウ!!』
ついに大狼が吠える。
飛びかかってくると身構えたが、大狼は尻尾を見せて、逃げてしまった。
そのまま街の闇に紛れる。
常に感じていたプレッシャーが去り、僕は溜まらず息を吐いた。
「シェリル、追っかけないの?」
「あ? なんで?」
何を言っているのかわからないと、シェリルは首を傾げる。
「あたしはお前の帰りが遅いから、その魔力を辿ってやってきただけさ」
僕が首から下げている護宝石を指差す。
なんだ、そうなんだ。
僕はてっきりシェリルが心を入れ替えて、猫を探しにきたのかと思った。
「あれだよ! あれが依頼の猫だよ!」
「依頼の猫? あ! お前、依頼書を勝手に持ち出したな」
うっ……。藪蛇だった。
「迷い猫を探すぐらいならできるかなって……」
「そしたら、あたしがゼレットを見直すかもしれないって? 『さすがゼレット様ですわ』ってか?」
何それ? めちゃくちゃ気持ち悪いんだけど、主にシェリルの顔が。
すると、シェリルはポカリと僕の頭を叩いた。
「あのなあ、ゼレット。あたしはこれでもS級ハンターだぞ。その依頼が、迷い猫を探すような依頼じゃないことはすぐにわかるだろうが」
うっ……。た、確かに……。
「猫ってのは、ハンターの中で使われる隠語だ。この場合、街に魔物が入り込んだことを意味する」
「ま、街に魔物!! でも、街には城壁もあるし、衛兵だって立ってる。すぐに見つかるはずでしょ?」
魔物が街に入り込んでくる事なんて珍しくない。
産卵期のスカイサーモンであったり、ワイバーンがいきなり空から降りて人を攫っていくこともある。
問題はハンターを使って、探さなければならない魔物が、街に潜伏しているということだ。
「しかし、思っていた以上に厄介な代物だな」
「どういうこと、シェリル?」
「あれは迷い猫じゃない」
「聞いたよ。魔物なんだろ?」
「そういうことじゃないんだなあ」
シェリルはニヤリと笑って、僕をからかう。
「もったい付けないでよ」
「はっきり言うとな、ゼレット。あたしにも確信はない。けど――――はあ……」
大きく溜息を吐いた後、シェリルは一服し、煙草を吹かした。
「仕方ねぇなあ。ガンゲルのところに行くか……」
再び溜息交じりに言うのだった。