第73話 S級ハンター、2日酔いに苦しむ
シェリルとガンゲルの話し合いは、僕が珈琲を持ってくる前に決着してしまった。
応接室の扉が乱暴に開かれると、闘牛のように鼻息を荒くしたガンゲルが出てきた。
「生活に困っているだろうと思って、依頼を斡旋してやった親心がお前にはわからんのか!? もういい! 貴様には頼らん」
「へーんだ! なーにが親心だ。あんたなんかが親だったら、あたしはハイハイしてるうちから逃げ出すね。2度と屋敷の敷居を跨ぐんじゃないよ」
「なんだと!」
「なんだ? やるか、こらぁ??」
シェリルとガンゲルは恋人みたいに赤い顔を接近させるけど、その表情は全く恋人でも何でも無かった。
その2人に挟まれて、おろおろしていたのは依頼人らしい貴族だ。
「ガンゲル殿、シェリル殿も、どうぞ冷静に……」
「いつものことですから放っておきましょう」
僕は声をかける。
「いつも?」
「顔を合わせれば、こんな感じです。水と油、猿と蟹…………じゃなかった、猿と犬みたいなものです」
「そ、そうなのかい? 君は冷静だね」
「ええ……。ああ、珈琲を入れたんでどうぞ」
トレーの上の珈琲を勧めたが、その暇もなかった。
先に折れたのは、ガンゲルの方だった。
「ふん! 行きましょう、ラクエル殿。こんな貧乏屋敷に長居すれば、貧乏が移りますぞ」
「うっせぇ! お前だって薄給のクセして! この『パトロンの狗の尻尾』め」
「やかましいわ! 今度会った時、その口やかましい唇を縫い付けてやるからな」
「ごめんね、僕。これで失礼させてもらうよ」
ラクエルと呼ばれた貴族は頭を下げる。
すると、何かキツい刺激臭が僕の鼻を衝いた。
なんだろう? 薬の匂い?
「ラクエル殿、行きますぞ」
そのままガンゲルとともに、貴族は屋敷の外に出て行った。
バンッ、と玄関の扉が閉まる。
ようやく屋敷が静かになった。聞こえるのは、シェリルの獣のような息づかいだけだ。
「くそ! ガンゲルの野郎! 相変わらず人を逆撫でさせることだけは世界一だ。ゼレット、後で砂糖でも撒いておきな」
「砂糖じゃなくて、塩でしょ。砂糖なんて撒いたら、庭に蟻が来ちゃうよ」
「どうでもいい」
シェリルはトレーに載っていた珈琲カップの1つを持ち上げる。
まるで酒の一気飲みのように乱暴に呷った。
「あっっっっまっっっっ!! 何これ?」
「それ、多分ガンゲルさん用に作っておいたヤツだね。それよりも、依頼を受けなかったの?」
「その話になる前に、ガンゲルと喧嘩になった」
「あー……」
いつものことだ。
「ただ依頼内容を書いた紙は、応接室のテーブルに置かれてるはずだ」
僕は早速、応接室に顔を出す。
シェリルの言う通り、喧嘩の跡が部屋に残っていた。
高価な茶器がひっくり返ったということはないが、ソファの位置が斜めになっている。
まあ、壊したところで残ってる調度品のほとんどが、前の貴族が残していったものなのだそうだけど……。
僕は奇跡的にテーブルに残されていた依頼書を拾い上げた。
「迷い猫……探し…………? え? 何だって、シェリルにこんなお使いみたいな依頼をしようとしたんだろう」
依頼人はラクエル・マタラ・オートエルとなっていた。さっきの貴族だ。シェリルも伯爵だけど、雰囲気も恰好も全く違うなあ。
依頼書には猫の特徴が書かれていた。
銀色の毛に、金色の瞳か。
珍しい種類というか、如何にも貴族が飼っていそうな猫だ。
これなら僕でも出来そうだな。
「おーい、ゼレット。なんか飯作ってくれ。お腹とお臍がくっつきそうだ」
「それってどっちもお腹側だと思うけど」
僕は一旦依頼書をポケットに押し込むと、朝食の準備を始めた。
朝食と言うよりは、もう昼食に近い時間にご飯を食べると、シェリルは自分の部屋に戻ってしまった。
どうやら昨日の酒が抜けきらないらしい。
またうとうとと寝てしまった。
「ちょっと僕、出かけてくるね」
ベッドに丸まったシェリルに声をかける。
街行きの装備を調え、最後にシェリルから貰った護宝石を首にかけると、僕は屋敷を出て行った。
早速広げたのは、先ほどの依頼書だ。
いつか僕はハンターになろうと思ってるが、シェリルはあまりいい顔をしない。
『自分で自分の可能性を狭くするのは、感心せんな。お前はもっと大きなことができる男だよ』
何かもっともらしいことを言って、誤魔化すのだ。
だから、僕がこの依頼をこなして、シェリルを見返してやるのだ。
相手は迷い猫だが、これもハントだと思えば、少しやる気が出てくる。
要はおびき寄せて、罠を張ればいいのである。
僕は猫が好きなマタタビを街のあちこちに仕掛けた。そこに誘い込まれた猫を捕まえる寸法だ。
けれど――――。
「にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ! にゃあ!」
たちまちマタタビが仕掛けた場所が猫だらけになってしまった。
10匹や20匹どころじゃない。
100匹近い数がいる。
これでは、どれが依頼の猫か判別できない。
「コラァァァァアアアアア!! あんたかい。そんなところにマタタビをしかけたのは!!」
仕掛けた罠の近くに住んでる住民にこっぴどく怒られてしまった。
マタタビ作戦失敗だ。
「仕方ない。地道に聞き込みするか」
僕は諦めて聞き込みを始める。
銀髪に、金の瞳だ。
一目見てすぐわかるだろう。
割と楽観視していたけど、そう甘いものじゃなかった。
「銀髪に、金の瞳の猫ねぇ」
首を傾げたのは、パメラの両親だった。
職人気質で癖毛のボーアーさんに、おっとりして綺麗なレイランさん。
どっちも僕がカルネリア王国に住んでいる頃から知っているおしどり夫婦だ。
「あなた、心当たりがある?」
「ふーん。知らないなあ。宿泊者にもそれとなく聞いてみるよ」
「ありがとう、ボーアーさん」
「なーに、ゼレ坊の頼みとあっちゃあ、無下にはできねぇよ。なあ、お前」
「将来、『エストローナ』を継いでくれる優秀なお婿さんだもんね。ねぇ、パメラ」
「ちょ! お母さん! お父さん!! そ、そそそそそそういうのじゃないぃ!」
パタパタと足を踏み鳴らしたのは、パメラだった。
ぐるぐるとアホ毛を回して、ボーアーさんの背中を叩く。
耳まで真っ赤になっていた。
「そ、それよりも、銀髪と金の瞳の猫って素敵ね。なんか英雄譚の使い魔みたいだわ」
パメラは夢見る少女のように天井を仰ぐ。
この頃、子どもでも買える掌編の英雄譚が流行っていて、パメラはどハマりしていた。
自分でも何かしら書いていたはずだ。
「ゼレット、わたしも付いていっていい?」
「別に構わないけど、足手まといにはなるなよ――――痛って!」
いきなりパメラに叩かれた。
「何をするんだよ」
「なんかゼレットが生意気だったから」
「はあ??」
「誕生日はわたしの方が早いんだから。わたしの方がお姉さんなんだからね」
「早いって、5日しか違わないだろ」
猛抗議するけど、パメラは「姉」という地位を譲らない。
こう頑なになったパメラの頑固さは、シェリル以上だ。
「だから、わたしも手伝ってあげるわ。ありがたく思いなさい」
胸を反る。
その後、パメラの両親に見送られながら、僕たちは聞き込みを続けた。
だが、一向にそれらしき目撃情報がない。
気が付けば、もう夕方になっていた。
「ゼレット、聞き込みもいいが、そろそろ帰った方がいい」
そう忠告してくれたのは、青果店を営む店主だった。
僕とパメラはよく通っていて、顔なじみだ。
「最近、物騒だからな」
聞き込みをしていて、何度か注意されていたけど、今街では強盗事件が頻発している。
特に宝石店が狙われていて、根こそぎ盗られてしまったようだ。
そしてつい先日、警戒していた衛兵が襲われた。強力な『魔法』が使える魔法兵だったらしいけど、相手の顔を確認するまでもなく、あっという間にのされてしまったそうだ。
「凄腕の『戦技使い』っていう噂もあれば、魔獣だっていう噂もある」
「人はともかく、魔獣なんて隠れる場所はあるの?」
パメラは目をパチパチさせながら質問した。
青果店の店主は首の後ろを撫でる。
「さあな。見当もつかねぇよ。……何にしてもゼレット、今日はもうパメラちゃんを送って、お前も早く帰った方がいい」
その忠告の半分について、僕は従った。
つまりパメラを宿まで送ったけど、僕はそのまま帰らなかった。
恐ろしい強盗が街に潜伏しているのは、怖かったけど、思い付いたことがあったのだ。
あれほど聞き込みをして、成果はゼロだった。
猫はきっと人目に付かない場所にいる。例えば、表通りではなくて、人気のない裏通りにいるかもしれない。
パメラを『エストローナ』に送った後、僕は街の裏通りにやってきた。
予想通り人気がなく暗い。表通りと違って、魔灯籠の数が極端に少なく、その魔灯籠も夜闇の中で窮屈そうに光を放っていた。
しばらく歩くと、僕は1人で裏通りを歩いていた。
多分、強盗事件を受けて余計人が近づかなくなったのかもしれない。
『にゃあ』
突然、猫の声が聞こえてきて、僕は振り返るよりも、肩をびくつかせた。
家の垣の上に1匹の黒猫が立って、こちらを見ている。
「驚かさないでよ」
胸を撫で下ろした。
思ったよりも僕は小心者らしい。
そう言えば、黒猫って不吉な象徴なんだっけ?
何か嫌な予感がする。
それは黒猫も同じだったようだ。
『びょあああああああああああああ!!』
およそ猫とは思えない悲鳴を上げて、黒猫はその場から逃げていった。
直後、黒く大きな影が僕を包む。
思わず背筋が伸びた。鹿や猪をハントしてる時に、1度だけ大型の魔物に出会ったことがある。
それはCランクの魔物だったけど、僕は全く動けなかった。
それと今同じことが起きようとしている。
いや、それ以上かもしれない。
でも、僕だって成長している。
動かない身体を無理矢理動かし、徐々に振り返った。
「――――ッ!」
息を飲む。
闇に光っていたのは、一対の黄金の瞳だった。
若干告知が多くなることはご容赦下さい。
何卒書籍の方もよろしくお願いします。