第72話 S級ハンター、叩き起こされる
第5章開幕です。
カルネリア王国を辞し、俺たちはヴァナハイア王国へ向けて一路東へと向かっていた。
行きと違って、のんびりとした旅程だ。
ヴァナハイアからカルネリア王国へと伸びる街道を物見遊山をしながら歩いていく。
幸い天気はよく快晴の空が広がっていた。
パメラと俺はリルの背に乗り、プリムは大きな荷物を頭に載せて遊びながら、街道を歩き続ける。
旅を振り返る会話も切れたところで、ふとパメラが切り出した。
「そう言えば、リル……。すっごく大きくなったよね。今、何歳?」
「ん? 今年で8歳だ」
「じゃあ、8年前か……。あの時は、子犬ぐらいだったのに。8年ってだけで、こんなに大きくなるのね、神獣って」
パメラはモフモフの銀毛に触れる。
リルの毛はモフモフな上に、滑らかだ。極上の絨毯もかくやというほど、触り心地いい。
これを枕にして寝られることは、最高の贅沢と言えるだろう。
「あの時は、まだシェリルさんもいたんだよね」
「そうだな……」
リルは師匠が取り上げたみたいなものだからな。
思えば、もう8年前になるのか。
リルと、名も無き神獣と出会ったのは……。
◆◇◆◇◆
ドンドン……。
扉を叩く音がして、僕はハッと目を開いた。
開いたのだけど、なんか暗い。
さらに言うと、汗臭く、酒臭い。
もっと状況を説明すると、僕の両目にちょうど柔らかなものが当たっていた。
というか、息が苦しい!
「ぶはっ!!」
僕は慌てて顔を引いて、脱出する。
危なかった。1歩遅かったら窒息していたよ、僕。
顔を上げる。
どう見ても、僕のベッド。そして僕の部屋だ。
なのに、そのベッドにいたのは、黒髪に馬の耳をピンと伸ばした黒毛馬族の女性だった。
「ちょっと! 師匠!! 何やってるんだよ! ここは僕のベッドだよ」
怒鳴り、そして睨む。
デニム生地のパンツから柔らかな尻尾を生やしたこの女性は、僕の師匠――シェリル・マタラ・ヴィンターだ。
僕の今の親であり、『黒い暴風』という異名を持つS級ハンター。20年前、凄い功績を残して当時の国王陛下から伯爵位を賜ったそうだけど、今では見ての通りの飲んだくれだ。
時々、10歳のベッドに潜り込んできては、誘惑してくるとんでもない親だった。
すると、艶めかしい息づかいが聞こえてくる。
ゆっくりとベッドの上で起き上がると、大きな口を開けて欠伸した。
「おはよ、ゼレット」
「おはよじゃないよ。何度僕のベッドに入ってくるんだよ」
「なんだよ。別に減るもんじゃないからいいだろ。大丈夫だ。お前の童貞は守ってやってるから安心しろ。こっちだって、精通前の子どもには興味ないよ」
「せい――――」
きゅっ、と顔が熱くなるのを感じる。
それを見て、シェリルは僕の頭を無茶苦茶掻いた。
「かっかっかっ……。その分だとお前、まだ童貞だろ」
「あ――――、ちが――――」
「背伸びしようとするな。そういうのは、大事な女のために取っとくもんだよ。それとも――――」
本当にあたしと寝てみるかい……?
「ば、馬鹿!! そ、そういうのを、じょ、情操教育に悪いっていうんだよ、酔っ払い!」
「ああ! 酔っ払いは事実だけど、ゼレットが馬鹿って言った! 馬鹿っていうヤツが馬鹿なんだぞ、ゼレット」
子どもの喧嘩か!!
はあ……。もう……。
酒場で喋るようなことをそのまま子どもに聞かせないでほしい。
というか、子どもの僕でも師匠の身体はその魅力的すぎるというか。そもそも馬族の人って、線が細いのに胸は…その大きい人が多いというか。
ダメだ。考えたら、ダメだ。
「ふふふ……。ゼレットく~ん、な~に熱烈な視線を向けているのかなあ~。まさかホントに師匠の方を見て、夢せ――――」
「ああ! もううるさい!!」
ドンッ!!
僕の声よりも大きな音が響く。
外だ。
『おい! こら! 声が漏れてるぞ、シェリル!! 早く出てこい!!』
大声が聞こえてきた。
見なくてもわかる。
多分、ハンターギルドのギルドマスター――ガンゲルだ。
多分、師匠に依頼か何かの用事があってきたのだろう。
「しまったな。居留守を使おうと思ってたのに……。ゼレットのせいだぞ」
シェリルは寝癖のついた黒髪を掻いた。
「僕のせいにしないでよ。僕が先に出るから、せめて顔と髪を整えたら」
「へーい…………ってお前は私のお母さんかよ」
「もう諦めてるよ。珈琲と紅茶どっちがいい?」
「お酒……」
「わかった。珈琲にする。眠気が吹っ飛ぶぐらいの濃いヤツ」
「むぅ……。ゼレット、可愛くないぞ」
「それで結構だよ」
『おい! 早く出てこい!!』
またガンゲルの催促の声が飛んできた。
「はーい。ただいま……」
ベッドの上に神像のように座ったシェリルを置いて、僕は玄関へと降りる。
ヴィンター家の屋敷は、シェリルが伯爵位を授与される時に、セットでもらったらしい。
元はどこかの貴族のものだったそうで、やたら広い。
僕とシェリルしか住んでいないのが申し訳ないぐらいだ。
調度品もそのまま飾られていて、玄関ホールには前の持ち主の肖像画もかかったままだった。
ドンドン……
2階に降りる間も、ガンゲルが扉を連打する音と、罵声が響いていた。
せっかちだな。これがハンターギルドのギルドマスターかと思うと少しげんなりする。
僕は働ける年齢になったら、ハンターになろうと思っている。そのために、今はシェリルの元で修行中だ。と言っても、魔物ではなく、鹿や猪狩りに同行するぐらいだけど、森や山のことを時々教えてもらうことがある。
僕がハンターになりたい理由は1つだ。
カルネリア王国にある僕が住んでいた集落を、無茶苦茶にしたSランクの魔物に復讐するためである。
ただハンターギルドのギルドマスターが、ガンゲルみたいな人だと、嫌だなあって思う。
僕がハンターになる頃にはどこかに転勤していてくれると嬉しいのだけど、シェリル曰く、不祥事でも起こさない限り、向こう10年は諦めるしかないようだ。
「遅い!」
扉を開けるなり、ガンゲルは僕に向かって雷を落とした。
僕じゃなくて、シェリルに言ってほしいんだけど。
ガンゲルの後ろには依頼人とおぼしき人が立っていた。
短髪に、大きな眼鏡。一見優しそうにみえるけど、血色の悪い肌は少し不気味だ。
どうやら貴族らしくて、ゆったりとした長衣を着ているけど、派手な装飾品はなく、全体的には地味だった。
貴族は僕の方を見て、ニコリと笑う。
「こんにちは」
「こんにちは」
反射的に頭を下げる。
少なくともガンゲルよりは良い人そうだ。
「シェリルはどうした、小僧?」
「今、起きたばかりで。身なりを整えているところです。応接室でお待ち下さい」
僕が案内する前にガンゲルは動き出す。
「案内はいい。お前は珈琲でも用意してろ。濃い目にして、砂糖は多めだぞ」
ガンゲルはそのまま貴族を伴って、屋敷の奥へと入っていく。
きっちりと珈琲のオーダーまでして、抜け目がない。
「ハンター登録するなら、別の街で登録しようかな」
呟きながら、僕は食堂に向かうのだった。







