第61話 元S級ハンターに復讐するもの
そこは深い森の底に忽然と現れた街だった。
丸太を組み上げたログハウスがいくつも建ち並び、轍の跡がミミズがのたくったように奥へと続いている。
街の中心には、他とは一線を画す大きな木造の神殿。
いくつも篝火が焚かれ、その周りを武装した人間が警護に当たっている。
言うまでもなく、物騒な雰囲気だが、その空気は神殿だけではなく、街全体にも漂っていた。
街には約1000人近くの人間が住んでいるのに、一向に賑やかな喧騒は聞こえてこない。
代わりに耳朶を打つのは、ほの暗い水の底から聞こえてきそうな呪文と、魔物を礼賛するような祈りであった。
カルネリア王国王都北――セレネールの森。
かつて有数の魔草と薬草の産地であったセレネールの森は、現在『神の使い』ケリュネアを過剰に信奉するケリュネア教のアジトとなっていた。
周囲の森に多数のトラップを設置し、信者たちも闇市場から流れて来た武器を握って武装している。
カルネリア王国の国境警備よりも遥かに厄介なテロリストたちである。
そんな彼らを取り巻くのは、ケリュネアだ。
人間の側で草を食み、のどかに暮らしている。
何も知らない者が見れば、あり得ない光景だった。
いくら人間が信奉しても、魔物は所詮魔物である。
自分の縄張りを侵犯すれば、熊だろうと虎だろう、あるいは人間であろうと襲いかかってくる。
ケリュネアは他の魔物からすれば、大人しい見た目でも、場合によって人間を頭からバリバリと食べる咬筋力を持ち合わせている。
人間がそれに無造作に近づいている事自体、もはや自殺行為に近いのだが、2つの相容れないはずの生物は、共存を遂げていた。
「ゼレット・ヴィンター?」
大主教――パドリアル・キーの声が、セレネールの森にある神殿の中に響いた。
王宮の中にある謁見の間を模したような広い空間。篝火は少なく、全体的に荘厳というよりは陰鬱な雰囲気が漂っている。
玉座に座ったパドリアルの前には、黒い厚手のローブを着た信者が頭を垂れて、控えていた。
「何者だ?」
王宮の様子を内偵している信者の報告を聞いたケリュネア教大主教――パドリアル・キーは、眉根を寄せた。
「それは、あたくしの方から」
大主教が説明を求めると、代わりに同じ部屋にいた1人の信者が立ち上がる。
周辺の信者たちは、どこかやせ細ったハイエナのような身体をしているのに、その信者だけがずんぐりとした体型をしていた。
遠目から見ても、見分けられそうな姿に一瞬パドリアルは目を細めたが、フードの奥から垣間見える信者の眼光を見て、何かを思い出した。
「そなたは確か……ヘンデローネ……」
「お名前を覚えていただきありがとうございます、猊下。つい先日、猊下の末席に加えていただいたデリサ・ヘンデローネでございます」
「貴様の知り合いか?」
ヘンデローネはローブの袖の下で、拳を強く握った。
「知り合い、というのは、些か不適当でありますが、よくは知っております」
「ほう。聞かせよ」
ヘンデローネはゼレットを語る。といっても資料で取り寄せれば、すぐにわかる程度だ。
だが、彼が並々ならぬ信念を持って、Sランクの魔物を討伐するS級ハンターだと知れば、誰もがただ者ではないと気付くだろう。
事実、ヘンデローネの口から「元S級ハンター」と発言があった時、場内はざわついた。
「なるほど。相当危険な男のようだ」
「猊下……。あたくしめにお任せ下さい」
「どうするつもりだ?」
「ゼレット・ヴィンターのことは、あたくしがよく知っております。何よりあの者のせいであたくしの人生は――――」
気付けば、拳から血が流れていた。緑色の瞳は赤く濁り、食いしばった歯茎からは血が滲んでいる。
その凄まじい形相に大主教ですら言葉を失った。
「よかろう。ヘンデローネ、貴様に任せよう。ヘンデローネにあれを……」
顎をしゃくり、大主教が他の信者に用意させたのは、指輪であった。
それを捧げられたヘンデローネの瞳が一転して輝く。残念ながらヘンデローネの太い指にハマらなかったが、それでも嬉々とした表情が崩れることはない。
「これはまさか……。信者の中でも、特に猊下の覚えよく、上級信者だけがはめることができるという」
「その通りだ、ヘンデローネ。それを見事に操ってみせよ」
「ありがたき幸せにございます。北の地に送られそうになったあたくしを匿い、末席に加えてくれた恩義……。必ず報いてみせましょう」
「期待している」
大主教パドリアルは下手へと退場していった。
ヘンデローネはもらった魔導具を無理やり指に嵌める。
突如身体を揺らし笑い出し、鼻息荒くその場で叫んだ。
「くくく……、あ――――はっはっはっ! 見てなさい、ゼレット・ヴィンター。この力を、あんたを完膚なきまで叩きのめしてあげるわ!!」
その高笑いは、神殿に大きく響くのだった。
ヘンデローネが貰った指輪は、ケリュネアを操ることができる魔導具だ。
『魔法』を使えるものであれば、誰でも使用できる――それが魔導具である。
アジトにいるケリュネアたちが、人間を襲わないのは、指輪の力のおかげであった。
指輪に詳しいものに使い方を聞いたヘンデローネは早速、森の中に入る。
対ゼレットのために、森中のケリュネアを集め、その数はすでに200匹以上になろうとしていた。
「指輪の説明は以上だ。わからないところがあるか?」
ぶっきらぼうに信者に尋ねられ、元侯爵夫人は少し眉間に皺を寄せる。どん、と信者を突き飛ばすと、手近にいたケリュネアに近づいていく。
「おい。あまり近づくな。いくら指輪の力があっても、危害を加えると効力を失うことも」
「そんなことあり得ないわ」
ヘンデローネはぴしゃりと言い放つ。
「魔物は賢い生き物よ。人間なんかより遥かに純真なの。見なさい、あの瞳。あの耳。可愛いでしょ……。こんな生物を、人間のエゴだけで殺してしまうなんて、ひどいわ」
ヘンデローネは何も変わっていない。
王都から追放され、爵位を奪われ、財産すら失った。当然、王に対する信頼と忠誠も……。
それでも、ヘンデローネが変節することはない。
まるでいつかゼレットに向かって言った言葉を焼き増しするように、ケリュネアに近づき、そっと手を伸ばした。
首を下ろしたケリュネアは大きく鼻穴と口を開けて、威嚇するようなポーズをとる。
見ていた信者は一瞬身震いしたが、ヘンデローネは薄く笑みを浮かべた。
「大丈夫、怖くない。……怖くないから」
ヘンデローネの手が、ケリュネアの黒い鼻頭を撫でる。それに応えるようにケリュネアは、比較的長い舌を出して、ヘンデローネの頬を撫でた。
「ふふ……。いたずらっ子ねぇ」
ヘンデローネは笑う。
本人は聖女のように笑ったかもしれないが、傍目から見たその顔は復讐を企む鬼が宿ったようにしか見えなかった。
「さあ、お行きなさい」
ヘンデローネは指輪を掲げる。
そして森の中にある集落を見据えた。
そこはセレネールの森の中にありながら、ケリュネア教に従属しない集落の1つだった。
「あなたたちの力で、命の尊さを教えてあげるのよ」
ヘンデローネの背後に、ケリュネアの軍団がずらりと並ぶ。それぞれ赤黒い眼光を光らせ、木々の向こうにある集落へと疾走しはじめる。
それはまるでヘンデローネが乗り移ったかのようであった。
懲りないヤツだ……。
すみません。体調不良と原稿作業のダブルパンチで、
次回の更新は5月8日とさせていただきます。
中2日空きますが、しばらくお待ち下さい。