第60話 元S級ハンター、出陣する
「我が国でも魔物食が流行になりつつあるが、まさか師匠が食材提供者とはねぇ」
薄く笑みを浮かべながら、ヴァナレンは執務室の席についた。
戦いの汗を流し、今は鎧から執務用の服に着替えている。赤色のゆったりとした上着に、銀のボタンが付いた白いシャツ。さらに白いズボンを合わせていた。
金糸が入った上等な織物を着ていると、如何にも王子様という感じだ。身体が大きく、すでに出来上がったような骨格を見ると、とてもじゃないが、俺よりも1歳下には見えなかった。
「ん? どうした、パメラ?」
「え……あ、いや……。ヴァナレンさんって本当に王子様だったんだなって」
俺の横で顔を赤くしながら惚けていたパメラは、我に返る。
「おやおや……。パメラちゃん、もしかして、ゼレットからオレに乗り換えるフラグ?」
ヴァナレンは机から身を乗り出し、手を伸ばそうとする。
バグッ!
「ふぎゃあああああああああ!!」
再びリルに何故か噛まれ、慌てて手を引っ込めた。
「もう! リル! 何をするんだよ!!」
涙目になりながら、再びヴァナレンは手を「ふー。ふー」する。
「変な邪推をするからです。あとゼレットとか関係ないですから」
「ふーん。それ本気で言ってる?」
ヴァナレンは一転して意味深げに呟くと、パメラはピンとアホ毛を伸ばした。
「……そ、それはそのぅ」
さらに顔は真っ赤になり、身体をモジモジさせる。
「おい。話題を戻すぞ。こっちもあまり時間がないんだ」
『星屑ミルク』はカルネリア王国にある料理ギルドに一旦預けてきたが、やはり食材は鮮度がものを言う。
出来れば、早くヴァナハイア王国に持ち帰ってやりたい。
だが、次のケリュネアは一癖も、二癖もある厄介な食材だ。
魔物でありながら、カルネリア王国では『神の使い』と崇められているケリュネアだが、その信仰は意外に浅く、50年前に遡る。
牡鹿よりも一回り大きな体躯に、その角は黄金色に輝き、蹄は青銅でできていると言われている。
ランクはBだが、比較的大人しい部類の動物で、主に高地や森に棲息している魔物だ。
何故、このケリュネアが『神の使い』となったかは、50年前に遡る。
当時、ケリュネアの黄金の角と青銅の蹄を求めて、大量のハンターたちがカルネリア王国へと押しかけた。
普通の野生動物ではなく、害獣であるケリュネアを倒してくれるのだ。近隣の住民にすれば、ハンターたちに下心があろうと万々歳だった。
しかし、ケリュネアの減少と共にあることが顕著になる。森での魔草や薬草などの生育が極端に遅くなったのだ。
原因はケリュネアの糞と唾液だった。ケリュネアの体液は、非常に濃密な魔力の塊で、これが外へと排出されることによって、土と混じり、肥沃な土地になることが研究でわかったのである。
ケリュネアがカルネリア王国の森にとってなくてはならない存在だと知った当時の王国政府は、一転してケリュネアの狩猟禁止令を王国議会にかけた。
古い文献を持ち出し、かつてケリュネアが『神の使い』であったことを訴え、民衆の理解を得ようとした。最初こそ反発があったが、度重なるハンターたちのマナーの悪さも手伝って、ついに狩猟禁止令は正式に施行されたのである。
以来、カルネリア王国とその国民は、厳格にその法律を守り、ケリュネアを保護してきた。
カルネリア王国に住んでいた頃、親から『ケリュネアは森を守ってくれている。大事にしなさい』と、俺もパメラも忠告を受けている。
そのケリュネアを食材として、俺たちはこれからハントしにいこうというのだ。
「構わないよ」
ヴァナレンはあっさりと承諾した。
「知っていると思うが、ケリュネアの禁猟は6年前に解かれた。頭数を制限し、素材目的のハントは禁止しているが、それらのルールを守ってくれればケリュネアをハントしてくれても構わない」
6年前、ついにケリュネア猟は解禁された。
理由は1つだ。50年という月日を経て、ケリュネアが増えすぎてしまい、逆に森の魔草や野草を食べ尽くしてしまったからだ。
「10年前ぐらいから、嘆願は来ていたらしいが、ようやく6年前に解禁されたんだけど、すでに山には手が付けられないほどのケリュネアがいてね。作物を育てている村にも影響が出てる。今はケリュネア駆除が喫緊の課題なんだよ」
ヴァナレンはこれまでの国のずさんな管理を笑った。
「だが、それが思ったよりも進んでいないようだな」
「そうなんですか?」
「ゼレットの言う通りだよ、パメラちゃん。ケリュネア教のせいでね」
珍しくヴァナレンは深刻そうに頷いた。
ケリュネア教は50年前の狩猟禁止令からほどなくして肥大化していった新興宗教だ。
ケリュネアを国が主張する前から『神の使い』と崇め、保護を訴えてきた。最初は2、3人の組織だったが、禁止令施行後には5000人が信者となり、最盛期には2万人を突破した。
国は当初からこのケリュネア教には脅威を感じていたようだ。しかし、ケリュネア教のやや過激な保護方法が、密猟ハンターたちを震え上がらせていたことは事実。その方法に目を瞑ったことによって、順調にケリュネアが頭数を回復させてきたことも、紛れもない事実であった。
「解禁になってからは、世論の動きもあって信者は急速に減っていった。今では最盛期の10分の1程度になっている。問題はそのものたちが、ケリュネアが住む森を不法に占拠し、ハンターたちですら踏み込めない要塞にしてしまったことだ」
「もはやテロリストだな……」
「ああ……。我々騎士団も動きたいところだが、国の上層部の意見は割れている。これまで国を支え、ケリュネア保護を訴える貴族が強行に反対してね。たくさんの金も流れているらしい。国王も心労がたたって、今は病床の身だ」
「だから国内の問題ではなく、スターダストオークスの調査のために騎士団を派遣したということか。随分と暇を持て余していたものだな」
「その甲斐はあったよ。ゼレット・ヴィンターという大物を釣り上げることができたのだからな」
俺は溜息を吐く。
すると、ヴァナレンは姿勢を正し、目を鋭く釣り上げた。
「ゼレット……。いや、師匠。あなたは他国の人間だ。仮に失敗すれば、ヴァナハイア王国にも何らかの問題が飛び火するかもしれない」
「そういう政治的なところはお前に任せる」
「本当に……いいのか?」
恐る恐るヴァナレンは質問する。
「弟子が困っているのだ。師匠として、手を差し伸べるのは当然のことだ」
ヴァナレンの身体が一瞬震えた。天を仰ぎ、少し目元を拭う。
身体が大きいだけで、まだまだ子どもの王子様であることを、俺は再認識する。
ヴァナレンは少し落ち着いてから、こう言った。
「本当は手を貸してくれないかと思ってた」
「お前だけのためじゃない。ここは俺の故郷だ。たとえ忌まわしい過去があろうと、それは紛れもない事実……」
その森を、不法に占拠し、俺の弟子を困らせているというなら、やらない理由を探す方が難しい。
「ありがとう、師匠。騎士団は出せないが、ハンターたちに声をかけよう。元S級ハンターだと聞けば……」
「いや、いい。戦力は十分整っている」
俺は振り返る。
リル、プリム、そしてパメラが立っていた。
その中でプリムはまたもや偉そうに胸を反っていた。
「弟弟子が困ってるなら、僕も頑張るよー。任せてね、弟弟子」
おい、プリム。それぐらいにしてやれ。ヴァナレンが、さっきよりも落ち込んでいるぞ。
「ごほん。ぷ――姉弟子はともかく、パメラちゃんまで」
「カルネリアは、私の故郷でもありますから。お手伝いさせて下さい」
「パメラは『精霊使い』だ。森での戦いには最適だ。……それにだ」
俺以上の戦力が必要だと思うか?
ヴァナレンは1度深く椅子に腰掛ける。
先ほどの感傷的な表情はない。蜂蜜のように甘いマスクをこちらに向けるだけだった。
「それもそうだな」
一言呟くのだった。
こうして俺たちはケリュネアの討伐と、その魔物を崇める信者たちが立てこもる森へと向かうのだった。
次回、あのキャラが再登場です!
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